にいがたさくら@小話する人(@monkey_across)さんの人気ツイート(リツイート順)

江戸後期、山形県の庄内藩では藩主が転封で出ていく事が決定。しかも次に来る殿様は借金漬けの殿様。 その知らせに農民達はブチ切れ。 新しい殿様の借金返済に俺らの年貢が使われてたまるか! だが幕府の命令は絶対。そこで村々は団結し反対運動を行い、転封中止を勝ち取る。 一揆ではなく直訴で。
幕末は蒸気船と共に始まった。 聡明な藩主達は新時代到来を予見し、蒸気船製造の研究を進めた。 薩摩·水戸·佐賀等の名だたる大藩の中に、中規模藩の伊予宇和島藩もいた。 「藩内に蒸気船が作れそうな者はおらぬのか?」 その問に家老は一人の男を推挙した。 貧乏長屋に住む提灯張替職人のおじさんを
アメリカ先住民の文字の一つに、チェロキー文字がある。 文字が読めないチェロキー族の開発者が、誰から教わる事もなく、たった一人で、文字通りゼロから文字体系を作り上げた文字だ。 なのでアルファベットに似ている文字もあるが、読み方は全く違う。 例えば、[ᎠᎢᎤᎡᎣ]で[あいうえお]と読む。
お茶の原産地は現在の中国雲南省貴州省あたりで、お茶を飲む習慣は中国で始まった。 そのため、世界各地の言語は中国語からの借用語となるが、その発音は大きく分けて2系統存在する。 英語などのTEA系統と、日本語などのCHA系統だ。 ざっくり分けて、大航海で伝わったのがTEA系統。陸路がCHA系統だ。
昆布は北海道や青森岩手など寒い地域でしか採れない。そのため、古くから消費地まで輸送されてきた。 特に江戸時代、大量の昆布を中継していた沖縄県と富山県には独特の昆布文化が花開いた。 なぜその2箇所だったかというと、黒幕はあの薩摩。 そう彼らは明治維新のためにダシに使われたのだ。
原爆ドーム。 原爆の爆心地近くにありながらも原型を留めており原爆の生々しさを伝える世界遺産だ。 原爆には耐えれたが、そもそも建物なので年々経年劣化していく。 そのため補修が必要となるのだが、特有の難しさがある。 原爆ドームは既に壊れており、壊れている状態にこそ価値があるからだ。
明治後期、北海道開拓が進むと開拓物資の搬入港、北海道産石炭の積出港としての小樽港湾の需要が高まるが、冬季の日本海は荒波。 そこで当時の最新技術を集め試験·研究し、日本初のコンクリート製外洋防波堤を建設した。 現在も現役の防波堤だ。 なお経年劣化をみる耐久試験は現在でも継続中だ。
瓦は奈良時代に仏教建築と共に日本にやってきてから、ずっと変わらないと思っている人もいるだろうが、実は瓦のイノベーションは江戸前期に起こった。 役割の異なる2枚の組み合わせる本瓦葺きから、それらの機能を1枚にした桟瓦葺きに。 なので、それまでの寺社や城と一般家屋では瓦の形状が違う。
補足をいただきました。 GHQと会話したのは事実で、その途中のエピソードのいくつかが脚色とのことです。 調べていただきありがとうございます。 何れにせよ伝説上の人物ではあります。 twitter.com/crowley_magick…
最初は本気で攻めてきたと思っていた住民達は、鍬や鎌で武装。殺気立っていた。 村の数少ない知識人である小学校の先生が、白旗を見つけ、投降していることがわかる。 投降した者は丁寧に扱うのが国際的な条約。 攻めてきたのではないとわかると、村の人達は脱出用ボードを誘導し、乗組員を救助。
試作品に大成功した満鉄は本格的生産を検討。 大学教授たちと製法を検討した。 古来の日本刀はたたら製鉄で取れた鉄を何度も鍛えて作るが、最初っから鍛えた後以上の鉄が作れるので不要。 これまで刀匠の腕が頼りだった心鉄と外側の鋼の重ね方も、ロールによる成形技術で常に理想的な位置にできる。
1704年にイギリスで創刊された年刊雑誌、レディースダイアリー。 当初はその名の通り淑女のための雑誌で、恋愛や王室の話、なぞなぞなどが書かれていた。 しかし当時の淑女は知的好奇心を満たすものを渇望していた。 それに応えて変化していくうち、なぜか数学の専門雑誌となってしまった。
冒頭の画像は稚内市役所HPからお借りしました。碑の場所は稚内市宗谷公園になります。 city.wakkanai.hokkaido.jp/kanko/gaiyo_re… 参考文献 珈琲一杯の薬理 jstage.jst.go.jp/article/jjhp/5… 天明の蝦夷地から幕末の宗谷 city.wakkanai.hokkaido.jp/kyoiku/supotsu… 千島列島をめぐる日本とロシア hup.gr.jp/modules/zox/in…
方言は心の底から出てくる言葉だ ぴったりハマる標準語訳がない場合も多く、単純に標準語に置き換えれば済むという話ではない 国語の研究でも人命救助に携わることはできるのだ ちなみに『東北方言オノマトペ用例集』は以下からDL可能です www2.ninjal.ac.jp/past-publicati… #にいがたさくらの小話 その396
日本初の横文字の薬『ウルユス』は鎖国中の江戸後期の大坂で生まれた。 蘭方やアルファベットも書かれており、西洋からの舶来品のように見えるが、実は中身は漢方薬で大坂で作られたモノ。 オランダ語も微妙に間違えているニセ舶来品だ。 だが、ちゃんと薬としての効き目はあり、かなり売れたらしい
南満州鉄道株式会社は鉄道だけの会社ではなかった。 製鉄や鉱山開発、シンクタンクなどあらゆる範囲をカバーする会社だった。 冶金や金属材料の知識もある。 近代的な設備と満州の鉄で、とりあえず試作して刀剣会に出品したところ、江戸初期の名刀・初代忠吉と間違えられる程の出来栄えだったという。
江戸時代、戦乱がなくなり太平の世となり経済が発展したが、寺社は困窮した。 寺の補修のためにはカネが欲しいが、寺には仏様しかいない。 そこで、江戸や京都、大坂へ出向き、寺社が持つ秘宝·秘仏を公開する出開帳を始める。 推しが地元で見れるとあって信者達が集い、大規模イベントとなった。
市の名前が重複する場合は、新しく市を名乗る方が元々の市と被らない工夫を施すのが暗黙の了解だった。(北広島市、大和郡山市等) 大正13年に発足した福岡県若松市が福島県若松市と名前被りを起こし、県名も似ており郵便などでの間違いが多く発生したためとされる。 だが例外もある。府中市と伊達市だ
言葉が分からないが、相手は困った人間。 ロシア兵たちは、日本式の風呂にビビる。 釜茹でにして殺されるのではないか? そんな誤解を住民達は身振り手振りで応える。 また、寒さで凍えている少年兵に対して、人肌で温める母親もいたそうだ。日露戦争で戦士した我が子とダブったのかもしれない。
日本刀最大の弱点はシベリアの-20℃以下の環境では低温脆性により折れてしまうことにある。しかし、満鉄刀は近代材料技術によりカバー。 日本刀の特性である、折れず曲がらずよく斬れるを残したまま実戦に適した刀となった。 刀には魂が宿る。 満鉄刀だと魂に失礼なので「興亜一心刀」と命名された。
それまでの日本には、加糖して寒天やゼラチンで固めたヨーグルトしかなかった。 新しい味を売り込むには、背景やストーリーが必要だ。ブルガリアという国名とは切っても切り離せない。 ブルガリア大使館にも断る理由があった 「ヨーグルトは民族の心。軽々しく他人に名を語らせるわけにはいかない」
上記の話は津軽藩兵をベースに書いてます。 ちなみに増毛を守っていた秋田藩兵は、自生していたハマナスをお茶にして飲んだので壊血病には罹らなかったそうです。
軽々しくなければいいのかも。 彼らはそう考えた。俺たちの本気度を見せる。 工場に招いて製法も伝統に近づけていることを猛烈にアピール。 その結果、大使館は名前の使用を認める。絆されたのではない。本気度に感銘を受けたのだ。 しかし日本の一般庶民はブルガリアという言葉すら知らない。
バンザイは大日本帝国憲法と共に生まれた。 憲法発布の記念式典の際に、黙っていては盛り上がらない。しかし、唱和する言葉がない。 そこで当時の文部省や帝国大学などが案を検討。出てきた案を実際にやらせてみて、バンザイになった。 それから当日までは、ひたすらバンザイの練習をしたのだという。
発射は幾度も延期され、NASAは苛立っていた。 だが、予定日の気温は低かった。Oリングのメーカーも危険だとNASAに警告していた。 NASAとメーカーは協議。NASAは「春まで待てと言うのか?」と激怒。安全でないならそれを示せと突き返す。 メーカーは困る。メーカーにとってNASAはお得意様だったからだ