にいがたさくら@小話する人(@monkey_across)さんの人気ツイート(リツイート順)

江戸時代は米相場が発展したため、情報の速達性が求められた。 はじめはレートを書いた紙を米飛脚というマラソンランナーに運ばせていたが、大坂から江戸まで3日かかっていた。 そこで、より速さを求め大坂江戸間を8時間(大坂博多なら1時間以内)で伝達できる手段を確立した。 それが、旗振り通信だ。
その後、当時から人口爆発を続けていたインドでも同様に広まり、飢餓に苦しんでいた人々へを救った。 この小麦収穫量の急増は後にGreen Revolution(緑の革命)と呼ばれる。 米(東南アジアで作付されているインディカ種)でもこの原理が応用されるが、半矮性遺伝子を持った品種は台湾のものだった。
明治時代、政府は運動会を奨励していたが、生徒児童も少なく、運動場もなかった。 そのため、近隣町村が河川敷や寺社の境内に集まって実施していた。 物珍しさもあり、見物人が詰めかける。集まった人たちは運動会をなぜやるのか知らないが、ハレの日と解釈した。 そして、運動会は「祭り」となった
江戸時代は世界的に識字率が高いと言われるが、読めない人も居た 彼らは農作業で必要な暦すら読めず困る そこで南部盛岡藩領内では、絵だけで理解できる『南部めくら暦』を作って暦を伝えた 例えば、画像上中央(右から読む)では『目+石+゛+重箱2個+サイコロの6+蛇の絵』で、『明治26年巳年』とわかる
物流の革命は世界の在り方も変えた。 現地で生産したほうが安かったものも、物流コストの低下により海外からの輸入のほうが安くなる場合も増えた。 コンテナ船はどんどん大型化し、港湾のクレーン設備も洗練されていく。 こうして益々安価となった物流により、世界規模で製造業の分業体制が確立。
2004年。テレビ局の取材を受けた大阪の中堅洗剤メーカは炎上した。 パーム油のプランテーションで東南アジアの熱帯雨林が減少したことに関する『悪玉』として使われたからだ。 パーム油の主な使用先は食品産業。自社での使用を止めても世界は変わらない。 そこで熱帯雨林を守る取組を行うことに。
こうして途上国での穀物生産は急増し、人々は飢餓から開放されたが、功罪はある。 高い収穫量を得るには大量の肥料を必要とするため、高くて買えない人々との貧富の差を産んだり、塩類集積で使えない土地が出てきたり。 世界は解決しなければならない課題が山積みだ。 #にいがたさくらの小話 その196
神社のご利益は、その神社の御祭神が持つご利益と建立後に噂や逸話で追加される2パターンがある。 現代では恋愛成就が人気だが、この追加されたご利益が殆どだ。 だが、鎌倉時代から恋の神「恋命」のみを祀る神社が世界に一つだけ存在する。 福岡県筑後市の恋木神社だ。 ちなみに恋以外のご利益はない
日本で唯一「電車」が走っていない都道府県、徳島県。汽車しかない徳島県では、その理由を説明する「伝説」がある。 徳島県の霊山・剣山にはユダヤの失われし聖櫃(アーク)が収められており、四国を回るお遍路さんにより作られた結界を「電車」が壊してしまうというものだ。 って徳島新聞も言ってる。
@ilikemk23 専門薬学系ではないので詳しくはわかりませんが、参考文献1にはこういう記載があります
バズったので宣伝です。 知り合いのクッソ田舎にあるカフェが最近通販も始めたのでなんか買ってあげてね twitter.com/furukawa_tarak…
かつて七つの海を支配していた大英帝国も、植民地の相次ぐ独立によって領土は激減。 それでもまだ、太平洋にはイギリス領の島がある。 ピトケアン諸島だ。 発見時は無人島だったこの島には、『バウンティ号の反乱』という事件をきっかけに英国人が住み始め、現在でもその末裔たちが暮らしている。
バレーボール製造で有名なミカサとモルテンは広島市発祥で現在も本社がある。 なぜ広島なのかには理由がある。 大正時代、古くからの伝統工芸だった広島針が好景気に乗り、東南アジアへ進出。 帰り便で東南アジア名産のゴムを積んで帰ってくる。 ゴムと針が広島で出会い、そしてボールが生まれた。
その後も諏訪湖や青森など様々な場所で採氷したが、物流に難があり挫折。 そこで開港地だった函館に目をつけた。戊辰戦争が終わり、無用の長物となった五稜郭があった。 川から流れてきた良質な水とそれを蓄える大きなお堀、寒冷地、そして函館港という物流拠点。 函館には全ての条件が揃っていた。
日本統治時代の台湾では、宗主国日本からの文化流入が顕著だった。 近代的な機械や文化だけでなく、日本の古典芸能や文学、昔話なども同時に入ってきて台湾人にも親しまれた。 だがそんな中でも『源氏物語』だけは流行らなかった。 中国文学最大最高のハーレム物傑作『紅楼夢』があったからだ。
沖縄本島から東に300km以上離れた絶海の孤島。沖縄県南大東島·北大東島。 明治から戦前まで、ここは企業が支配する島だった。 行政のすべてを企業が行い、市町村制が施行されなかっただけでなく、島の中では日本円が通用せず、企業による独自の紙幣が使われていた。
氷は食用だけでなく、保存用、そして火傷や熱病などの医療用としても使われていた。 そのため、贅沢しなくても採氷地であるアメリカ東海岸のボストンから地球を半周してきた氷を使わざるを得なかった。 氷の有用性を理解した中川嘉兵衛は、はじめ富士山麓での採氷を志す。 だが輸送中に大半が溶けた
今でも明治の看板商品である明治ブルガリアヨーグルト。 製法もさらにまろやかになるように日々改良が続けられている。 ネーミングに拘ったからこそ、今でも当時の本気度が続いているのだろう。 #にいがたさくらの小話 その347
こうして日本商船隊は再建を果たし、1969年には英国商船隊を抜くほど復興を遂げる。 現在でも日本の商船隊は世界三位のシェアを持つほどの存在だ。 人は宝。政府に裏切られても強い組織を作ることが大切なのかもしれない。 #にいがたさくらの小話 その292
現代の地震は各地の地震計によって計測され、それを元に震度や震源、マグニチュードなどを算定している。 地震計は明治時代に作られたため、それ以前のデータはない。 だが、巨大地震は数百年スパン。過去の地震についても知りうる限り調べる必要がある。 そこで活躍する資料が、庶民が残した日記だ
現在では、それらの若者が歳を取ってしまったり、日本酒の銘柄の多様化によって売上は落ちているが、日本酒業界は若者だけでなく海外への布教にも力を入れている。 日本酒業界はさらなるイノベーションを起こせるか。 これからの日本酒業界にも注目したい。 #にいがたさくらの小話 その344
贋金作りに関わった人々は多い。 武士だけでなく商人達も大勢居た。 製造担当は全ての人々へ罪が波及しないように切腹して責任を取った。 罪の波及を恐れたため、大規模な事件にも関わらず史料があまり残されていない。 贋金を作った洞穴は現在も残されている。 #にいがたさくらの小話 その66改
ブラジル高原・セラード。 ポルトガル語で閉ざされたという意味を持ち、灌木がまばらに生える不毛の地。 逆に言えば、日本の5.5倍の面積の未開拓地だった。 そこで日本は1979年からブラジル政府と共同し、日本の技術力・資金を使って、大規模開発を始めた。 理由は、安い豆腐を食べたかったからだ。
氷は儲かる。 それに気付かされて出てきた後続には、砂の混じった粗悪な氷も多かった。 そこで品質の良さを示すため、品評会に出品し一等を獲得。ブランディング戦略も行った結果、高値でも売れたのだという。 折しも機械式冷凍庫が出てくる時代。 彼の跡を継ぐ者たちは時代の変化にも対応した。
ベトナムではスーパーカブ系の二輪車が人気だ。丈夫で多少の悪路を問題とせず、燃費もいい。 中国系の二輪車の登場はシェアを奪うというよりは、新規開拓に寄与していた。 ベトナム人にとって二輪車は高かったのだ。 価格競争に立ち向かうべく、必要でない性能カットし、部品の選定方法を見直した。