戦後、将棋は危機に瀕していた。 GHQにより「将棋は取った駒を使う、これは捕虜虐待ではないか?」と難癖をつけられたからだ。 その尋問の場に日本将棋連盟は若干29歳の男を送り込んだ。 彼はその場でこう言い放つ。 「勝つためにクイーン(女性)を犠牲にするのはレディファーストに反するのでは?」
「女の子に継続してみてもらえるアニメを作れ」と言われた男は、幼い女の子の好みがわからなかった。 これまで彼が手掛けたアニメは男子向けばかり。全くの畑違いだ。 女の子らしさとは何か。悩んだ末に、彼は企画書にこう記す。 「女の子だって暴れたい!」 プリキュアシリーズはこうして産まれた。
今年で10周年の位置情報ゲームIngress 公園や神社などを巡って陣地を取り三角形を作るゲーム。青と緑に分かれて戦う陣営戦でもある。 iphone版公開に伴いコアな人気を博し、東京で公式対抗イベントが開催されるが、その時事件は起こった。 会場を囲うと高得点のルールに則り、本州まるごと囲んだのだ
最近ハマってる動画は東大が出してる「世界史」の世界史 この導入部分だけでももうクソ面白い。 受験戦争に勝ち抜いて入ってきてこれ講義されたら痺れるわ (私はクソ田舎の大学だったのでちょっと羨ましい) ocw.u-tokyo.ac.jp/course_11348/
全国の高専が技術を総動員して作り上げたロボットを使って競う大会、高専ロボコン。 去年で35年を数えた伝統ある大会で、アイデアを競うため、毎年ルールが違う。 その中でも語り継がれるロボットがある。 その名はスプレもん。 毎年の大会ルールに『床を汚さないこと』と刻ませた伝説のロボットだ。
壊血病といえば、ビタミンC欠乏により発症する病気で、大航海時代の西洋の船乗り達がよく罹患した。 だが西洋だけではなく、江戸期日本でも蝦夷地警備をする武士達が罹患し、尊い犠牲を出す。 時代が下ると、対策としてコーヒーが飲まれた。 コーヒーにはビタミンCは含まれていないが、なぜか効いた
カップ酒といえばオッサンのイメージがあるが、実は若者向けとして開発された。 かつての日本酒には一升瓶しかないので、敷居が高く、若者に毛嫌いされていた。 そこで、缶ビールのようにカジュアルに呑めるようカップに入れ、ロゴもオシャレに。 それを受け入れた当時の若者が、現在のオッサンだ。
石川県羽咋市。能登半島にある人口2万弱の小さな市だが、NASA特別協力のガチ宇宙博物館がある。 展示物は旧ソ連ルナ計画の月面探査機予備機(本物)や実際に地球に帰還した宇宙カプセル、NASA所有の有人月面探査車の実験機等だ。 凄い展示物だが、揃えれたのには理由がある。 予算がなかったからだ。
その後、「将棋は取った駒をその地位のまま有効活用するんだ。つまり生きる機会を与えている。一方チェスは取った駒を捨てる。これは捕虜虐殺に当たる」と猛烈に講義。ビールを飲みながら。 その風貌とクソ度胸も相まってGHQは押され、チェックメイトの一言が冒頭の言葉だ。 これにより将棋は救われた
黒部ダムは有名だが、年間発電量日本一のダムが浜松市にあることはあまり知られていない。 戦前の技術力では不可能とみなされていた断崖絶壁の場所に、戦後の1953年に着工し3年という無茶振り納期を守り、その後の日本の大規模水力発電ダム技術の礎となり、今も現役のダム。 それが、佐久間ダムだ。
愛知県犬山市·野外民族博物館リトルワールド 世界中の建築がガチ再現されたテーマパークだ。 形だけ真似た他とは違い、現地の職人を呼び寄せて完全再現してある。 民族学/文化人類学的にガチ過ぎて、有名な建築物ではなく、一般の家や寺社の完コピなので、一般人には凄さが分かりづらいのが弱点だ。
こうして伝説になった升田幸三。現在の将棋の戦法にも彼の痕跡が残っているほど盤上でも活躍した。 永世タイトルに恵まれなかった彼に将棋連盟は「実力制第4代名人」という称号を与えた。 ちなみに彼の弟子には株主優待で有名な桐谷さんがいる。今は平和で何よりだ。 #にいがたさくらの小話 その119
男の名は升田幸三。現在も升田幸三賞という新手を生み出した者に送られる賞にも名を残す男だ。 後に名人に駒落ちで勝つという偉業を達成するが、この時はまだ大層な肩書のないプロ棋士。 クソ度胸を買われて送り込まれたのだ。 ちなみに尋問部屋での最初の一言は、 「ビールをくれ」だったそうだ。
京都で祇園精舎ってどこですか?と問われた時に用いる画像を入手した。
世界的に飲まれているお茶といえば紅茶。 そのため、国際規格ISOでも紅茶に関する国際標準を英国主導でいくつも定めている。 21世紀には緑茶も徐々に普及してきたため、紅茶と同じ枠組みで国際標準を検討されてきたが原案を見て日本は驚愕。 原案だと、抹茶も玉露も緑茶の定義から外れてしまう……。
バブルの頃、過疎の町・島根県大田市仁摩町はどうにかして町をアピールしたかった。 だが地元が誇れるものは鳴き砂の浜くらい。 それなら世界一の砂時計でも作れないか? 前代未聞の大きさ。数々の困難があった。 だが、困難を乗り越え、3年の歳月をかけて完成。 ちなみに砂は山形県のを使っている
1986年1月28日。 米国のスペースシャトルが発射73秒後に爆発した。 チャレンジャー号爆発事故である。 直接の原因はOリングというゴム製品が低温環境下で硬化し、そこから高熱ガスが漏れ燃料に引火したというもの。 Oリングの硬化に関し技術者達が懸念を示していたが、発射は強行されてしまった。
明治維新によって日本は変わった。 農学もイギリスからお雇い外国人を招き革新を図ったが、日本の主要農作物はコメ。 水田の知識がない彼らは役に立たない。 そこで、日本各地で在来農法や優秀な品種を受継いでいた「老農」たちを集結させ、技術交流を図ることに。 ちなみにイギリス人は解雇された。
江戸時代の船はよく難破した。 薩摩出身のゴンザも薩摩から大坂へ向かう途中に11歳で難破し、カムチャツカへ漂流した。 ロシア人によって捕らえられ、保護された彼は首都へ送られる。その間に必死でロシア語を覚えた。 そして1736年、世界初の露日辞典を完成させた。 その日本語は、薩摩弁だったが。
20世紀最大の発明品とも呼ばれるコンテナ。 どう見てもただの箱なのだが、この箱が齎したのは物流コストの大幅な削減。 一説には40分の1にもなったとも言われている。 1950年代の米国から始まったコンテナ輸送は、海、陸の輸送システムを統合し、効率的な物量を可能にした。 ただの箱と侮るなかれ。
明治初期、氷は超高級品だった。 冷凍庫のない時代、大量の天然氷を運ぶ手段が限られており、十分な量の氷を確保できなかったからだ。 そのため海外から輸入していたが、溶けまくり更に高級に。 日本国内でも作れないか? 様々な場所を検討した結果、辿り着いたのが函館。 五稜郭のお堀だった。
日本統治初期の台湾の米は品質が悪く安く買い叩かれていた。当時の台湾米は東南アジアと同じインディカ種で、日本人の舌に合わなかったからだ。 台湾は亜熱帯なので、日本の稲は育たない。 そんな常識を打ち破り、現在の美味しい台湾米『蓬莱米』を作り出したのは、日本人。 磯永吉という農学者だ。
明治維新の際、日本の首都をどこにするかで揉めた。 江戸城を明け渡されたとはいえ、天皇は京都におり、維新の中核は西国人たち。西国かつ当時の経済の中心であった大阪への遷都の声も強かった。 そんな中、江戸=東京に新首都が決まったのには理由がある。 明治新政府には、カネがなかったからだ。
日露戦争中の1905年5月28日 日本海海戦に敗北したロシア艦イルティッシュ号は島根県の漁村近くに流された。 その村は当時新聞が3日遅れで届くような村。 ロシアは戦争中の敵という認識しかなかった。 だが彼らを放っておく訳にはいかない 住民達は荒波の日本海に入り、献身的にロシア人達を救援する
満州事変以後、拡大する軍部はある問題を抱えていた。 「日本刀が足りない」 下士官以上の軍人には必須だったが、日本中からかき集めても足りなかった。 新しく作ろうにも、刀匠も限られ、そもそも製法的に量産不可。 そこで当時日本最強の技術者集団「満鉄」に依頼。 こうしてできたのが満鉄刀だ。