にいがたさくら@小話する人(@monkey_across)さんの人気ツイート(リツイート順)

伝兵衛は困惑した。 大阪谷町の質屋の息子だった彼は、江戸への航海中に遭難。 流されてカムチャツカに辿り着いた時には生存者はワシだけ。 現地のイテリメン人に捕縛されていたところを、救助されたはいいが、モスクワってどこやねん! ちなみに、江戸→インド、大坂→ウザカと間違えられていた。
明治はブルガリアの民族衣装やあの耳馴染みのある曲などで、ブルガリアという国自体を全力でアピールした。 今でもブルガリアといえば当時のCMを思いだす人も多いだろう。 本気度を見せつけた明治は、ヨーグルトの正統の地位を確立。 ブルガリアにとっても日本での知名度向上に役に立った。
持ちかけられた陶器メーカは困った。 「いやウチ、ディナーセット作る会社なんだけど?」 だが、がいしについての話を聞くうちにやる気になった。 「営利ではなく、国家のために」 こうして共同開発が始まった。 ちなみにこの2社は、世界最大級高級陶磁器メーカ・ノリタケと重電メーカの東芝である。
ゲートボールは若者のスポーツとして昭和22年、北海道芽室町で生まれた。 戦後の物不足の中でも子供たちを外で遊ばせたい、という思いから簡素な道具やフィールドを使う競技となる。 技量よりもチームワークを重視したルールにした結果、老人達がドハマり。 現在では世界大会も開かれる競技に発展した
コーヒーは何にでも効く!と思われた頃の西洋の状況についてはこちらをご参照下さい twitter.com/elizabeth_munh…
技術者たちはデータを漁った。だが、はっきりと確実にダメだという核心のデータはなかった。それでも技術者たちは、打ち上げ延期を主張した。 メーカーの経営者層は、技術者の主張とお得意様を天秤にかけた後、喰い付く技術陣トップにこう言った 「技術者の帽子を脱いで、経営者の帽子を被りたまえ」
江戸前期までの井戸の掘削方法は穴に人が入る必要があり、危険かつ深く掘れなかった。 その後金棒を突き崩し掘り進める方法ができたが、掘り進めると金棒が長く重くなり人数を要した。 そこで明治初期、竹や木など材料を加えて掘削する『上総掘り』が開発。 これにより数人で最高500mも掘削可能に。
技術陣のトップはその言葉に折れてしまう。彼は経営側の人間でもあったのだ。 それでも技術者たちは強硬に反対した。 しかし、経営者層での意思決定では満場一致で打ち上げ延期勧告の取り止めとなってしまう。 こうして技術者たちの懸念通りに事故が起き、7名の宇宙飛行士の命が失われてしまった。
コンテナは規格化されているので、ブロックのように積み込むことができ、鍵もかけられるため、盗難のリスクもない。 更に陸揚げ後、そのままトレーラーに搭載可能なので、いちいち積み替える必要もなく輸送が可能となった。 安価で効率的な輸送システムの確立により世界規模で物流の総量が増えていく
大阪の人ならみんなご存知、ビルの中に突っ込む阪神高速。 キッカケは、ビルの建替えと阪神高速の計画が同時に立ち上がったことに始まる。 場所は大阪の一等地。どちらの計画も譲れない。 そこで、新しい法律を適用して今の形が計画された。 ちなみに、阪神高速がビルの5~7階に入居する形だ。
こうして完成した佐久間ダムにより、現代土木技術が培われその後の様々なダム建設に繫がっていく。 1956年の竣工から今まで、首都圏と中京圏に電力を供給し続ける佐久間ダム。 ちなみに電力系統は東西で周波数が違うので融通が難しいが、佐久間は両方で発電可能だ。 #にいがたさくらの小話 その145
プロ野球などで使われる木製バットの材質は北米からの輸入木材もあるが、日本では国産木材のアオダモがよく使われている。 特に寒冷地で育ったアオダモは軽くて反発力があり強靭なので北海道産は最高級品だ。 トッププロ達も愛用していたが、最近は入手困難だという。 資源枯渇したからだ。
爆発的に伸びた中国系だったが、失速は早かった。故障が相次いだのだ。 一方でホンダは必要でない性能は落としたが、必要な性能は残した設計だった。 価格は中国系よりも少し高いレベルだったが、ベトナム人はホンダを選んだ。 低価格を軸に二輪車の頑丈さ、サービスなどでホンダはシェアを伸ばす。
島根県奥出雲町の棚田は、1枚1枚が大きい。 これは奥出雲町の基幹産業だった、たたら製鉄の材料である砂鉄を取るために山を切り崩し続け、その跡地を棚田として利用したからだ。 ちなみに一部古墳のように盛り上がっている場所は、神社や墓などの神聖な場所で、そこだけ切り崩さなかった名残だ。
どれだけ電子情報技術が発展しようと、コンテナを使った物流の仕組み自体は不変。 21世紀現在の港湾はクレーンなどの自動化をますます進め、更なる物流コスト低減に努めている。 なお、日本ではクレーン職人の腕が凄すぎるため、自動化があまり進んでないらしい。 #にいがたさくらの小話 その162改
四角い箱に詰めて輸送するという発想は以前からあったが、海と陸の輸送システムを統合するという発想は1950年代の米国から始まる。 それまでの輸送はバラバラの荷物を荷役する必要があり、人手と時間が膨大にかかっていた。 当時の港湾労働者は荒くれ者も多く、中には荷物を盗むものもいたそうだ。
生物多様性の観点からは、どんな生物も保護すべきだが、人間に害を与える生物は撲滅してきた。 代表的な例は日本住血吸虫症と中間宿主・ミヤイリガイだ。 かつては関東~九州北部に広く分布していたが、現在のは山梨県等の狭い地域にしか存在しない。 絶滅した筑後川流域では、供養の碑が建てられた。
干し椎茸は乾物大好き古代中国人の発明。 伝説では9世紀に弘法大師が椎茸を干す文化が伝播したという。 その後は全く不明だが、鎌倉時代には中国に市場を形成するレベルで輸出していた。 一説によると、当時の中国産椎茸は香りが長続きしないため、相当の輸入コストを払っても日本産を買い求めたという
江戸初期、オランダ東インド会社との交易をしていた幕府だが、日本からの主力商品は鉱物資源だった。 初めは銀だったが資源が枯渇したため、代わりに金を輸出商品に組込む。 小判の形で。 輸出された小判の一部は東インド会社の刻印を打ち、そのままオランダ植民地内での通貨として使っていた。
日本の交流電源の周波数は西が60Hz東が50Hz。 これは明治時代に、大阪が米国製、東京がドイツ製の発電機を導入したことに由来する。 戦後、現在の電力会社体制に継承されたため、東の電力会社は50Hzなのだが、例がある。 佐渡ヶ島だ。 佐渡だけ西と同じなのには、金山と離島であることが絡んでいる
貨幣は一般的には、多種多様な物を買うことができるように作られてきた。 日本においても銅銭や小判などは多種多様なものを購入するために鋳造、あるいは輸入してきたものである。 だが江戸中期には、朝鮮貿易で朝鮮人参を買うためだけに鋳造された銀貨があった。 その名も、人参代往古銀という。
戦後の日本はあらゆるものが足りなかった。 電力、重機を使う技術、安全意識、そして資金。 だが朝鮮戦争特需で沸く日本に急いで電力を供給しなければ。 佐久間ダムの地点は水量も高低差も発電に最適だが、当時の電力会社単独ではあらゆる面で不可能。 そこで国家プロジェクトとして作られることに。
最初は鉄パイプに穴を開けて地下水を通しただけの単純なものだったが、威力は強力だった。 会社の私道で使われて実証され、公道にも採用される。 昭和38年の豪雪でその効果を見せつけると、北陸地域や山陰を中心に普及していく。 ちなみに北陸より北の東北だと地下水が凍ってしまうので使えない。
明治初期に佐賀県で発明された製麺機·混合機によって、麺打ちが機械化されたが、そのことに不満を持つ者たちがいた。 香川県民だ。 当時の機械では、讃岐うどん独特のコシが出なかったのだ。 コシを出すためには体重をかけ足で踏む工程が必要。 だが1960年代には足踏みが不衛生と批判を受けてしまう
「じぇんこ(お金)が降ってきた」 冬の到来を告げる雪をそう言っていた人もいたという。 氷の切り出し作業は農閑期のいい小遣い稼ぎになっていたようだ。 こうして切り出された函館の氷は、ボストン氷を駆逐し、飛ぶように売れた。 横浜や神戸などの国内だけに留まらず、遠くはインドまで運ばれた。