にいがたさくら@小話する人(@monkey_across)さんの人気ツイート(リツイート順)

玉露も抹茶の原料である碾茶も、生育過程で日光を遮ることで苦味成分であるカテキンを減らしたお茶だ。 原案には「緑茶は機能性成分のカテキン類が含まれることが優れた特徴。」と書かれており、その下限値が示されていた。 日本は議決権のない立場だったが、議長国の英国に掛け合い、問題点を指摘
製氷会社として生まれ変わり、会社合併などの紆余曲折を経て、現在は冷凍食品でお馴染みのニチレイとなっている。 時代や売るものは変わっても、冷たいもので人々を温かい気持ちにしたいという思いは、今も当時と変わらないのだろう。 #にいがたさくらの小話 その87改
明治初期の日本といえば、人力車。 実はこの形の人力車は当時諸外国にはなく、明治2年に東京で発明されたという。 外国人が乗る馬車をヒントに、大八車というリアカーとを組み合わせた発明だ。 なぜ馬車ではなく人力車だったかというと、当時の日本では馬より人間のほうがコストが安かったからだ。
北海道の地名は基本的にアイヌ語から来ているので、当て字が多いため読みにくいものが多い。 その中でも道東、釧路町には難読地名がズラリと並んだ道道142号、通称難読地名ロードがある。 北海道の中でも特にこの地域だけ異常に難しい漢字を当てている理由は、現在のところわかってない。
若い子に、「前提を擦り合わせないとアンジャッシュのネタみたいになるぞ」と指導したら、若い子はアンジャッシュのネタを『多目的トイレでいけないことをする』と認識したらしく、まさにアンジャッシュのネタみたいな事象が発生した。
幕末にはロシアなど各国に輸出されたコンプラ瓶をだが、この可愛らしい形と欧州の日本趣味が合わさり、ヨーロッパでは空瓶に花を活けたりと、オシャレアイテムとして使われたそうだ。 今でも欧州ではアンティーク品として瓶が取引されているらしい。 #にいがたさくらの小話 その167醤油輸出·前編
1900年のメンデルの法則再発見以後、様々な動植物で遺伝子地図が研究·解明されていた。 戦前に解明された中で一番詳細だったのは主要穀物のトウモロコシだが、二番目はアサガオだったという。 何故アサガオか、そのルーツは江戸後期にある。 突然変異のアサガオを作る園芸ブームが起こったのだ。
明治時代の知識人は西洋的概念をとにかく翻訳していった。 時代が下ると漢学が尊ばれなくなり、読みをそのままカタカナで表すことが一般的になる。 1930年に発見された冥王星も元々プルートーと音訳されていたが、冥王星と意訳されたのには理由がある。 冥王星のほうが、カッコいいからだ。
本州と北海道を分かつ海、津軽海峡。 日本だけでなく、韓国、ロシア極東、中国北部などから北米への最短経路の国際海峡だ。 海峡の真ん中は日本の領海ではなく公海であり、様々な国の船が通る。 ちなみに津軽海峡の海面下にある青函トンネルの中は日本の領土なので、公海の下に領土があることになる。
その後乗組員達を引き渡しても、住民達は彼らを思い、次の年からロシア祭りをすることにした。 戦争や担い手不足などいくつかの中断はあったものの、2022年現在まで続く。 文化や主義は違えど相手も人間。 人助けの話はこれからも語り継がれるだろう。 #にいがたさくらの小話 その383
三角形で絵を作るフィールドアートなども見事だ。 2022年11月15日で10周年を迎えるIngress。 これまで様々な遊びをやってきたし、これからもまだ知らない遊び方があるかもしれない。 様々な人が一緒にやるからゲームは面白い。 真剣にやってます。仕事じゃないので。 #にいがたさくらの小話 その300
8代将軍徳川吉宗による、洋書の輸入制限緩和で西洋天文学が日本に齎された。 西洋天文学を使って微妙にズレていた当時の暦を修正したい。それには望遠鏡が必要だ。 だが当時の輸入望遠鏡は真鍮製であり、重くて不便。もっと良い材料はないのか? そこで考案されたのが紙。 紙で望遠鏡を作ったのだ。
稟議制度は日本独特らしい。 稟議制度は、下っ端が稟議書を起案する方式だが、他国では上司の命令指示が最初だそうだ。 現在の稟議制度には不合理な箇所も多いが、元々は戦国時代、最前線の足軽大将に開戦のタイミングの権限を委譲したことが始まりだという。(諸説あり) 当時は合理的な手段だった
私はプリキュアオタクなので、娘にどのプリキュアを見せればよいかの相談をよく受けます。 私の答えは毎年同じで、今やってるプリキュアです。 プリキュアは毎年その年を生きている幼女のために作られています。 初代は名作ですが、20年も前の作品です。我々が1stガンダムに感じる古さと同じです。
1960年代、珍味を扱う会社は打撃を受けていた。 中国との関係悪化により中華料理で使うクラゲの輸入が停止したからだ。 そこで代替品を作るための研究開発が始まり様々な材料を試行錯誤するが失敗。 研究員は失敗作を試食している際に気付く。 「これカニっぽくね?」 カニカマはこうして生まれた。
薬用養命酒。 日本一有名な薬酒だ。 伝説では1602年誕生。江戸幕府より古い歴史を持ち、抜群の効果は口コミで広がり、伊那地方では誰もが知ってる超有名な酒だった。 企業になるのは大正時代。 伊那地方で超人気なら、東京にいけばもっと売れる。 そう目論んで東京進出したが、全く売れなかった。
福岡県筑後市には鎌倉時代から続く恋愛成就の神社がある。 他の恋愛成就系神社と違い、恋愛に特化しており、全国で唯一、恋愛専門の神様『恋命』のみを祀っている神社だ。 ちなみにハートマークのようなものは、この神社の御神紋(神社の紋章)で古来からの伝統の形。西洋文化に合わせたわけではない。
青森県陸奥湾を代表する海産物ホタテ。 だがかつては、漁獲量が不安定だった。 自然に任せた方法だと、大量発生し数年は大漁が続くが、その後はまた不漁となる。 なんとか安定して獲りたい。 人々の叡智を結集し、ついに養殖に成功する。 養殖成功の決め手となったは、一介の漁師が発案した玉葱袋だ
かつて音ゲーは枯れたジャンルと呼ばれていた。 音楽に合わせて上から流れてきたものを打ち込むというゲーム性が変えようがないと思われていたからだ。 新規客を掴めないジャンルは先細ってしまう。 そんな危機感の中、2008年にKONAMIが捻り出したのがJubeat。 4×4のパネルが未来を切り開いた。
そこで注目されたのが、長崎の波佐見焼。 波佐見焼に醤油を詰めコルクで封をして輸出することで、ワインのように劣化を抑えれる。 焼く際にはオランダ語でJAPANSCHZOYA(日本の醤油)という商品名とコンプラ株仲間を意味するコンプラドール(ポルトガル語で仲買人という意味)の略語CPDと書かれた。
彼のお陰で台湾の米は日本本土でも旨くて安いと評判になり、台湾の日本米は『蓬莱米』と命名され、大人気に。 彼は米に留まらず、裏作の麦や芋、タバコなども改良·指導を行い、『台湾農業の父』と呼ばれた。 戦後、台湾は中華民国政府に変わるが、彼は中華民国政府から熱烈な依頼を受けて続投する。
北海道は寒すぎる。冬は暖房が欠かせず、開拓初期から薪や石炭などを燃やして暖をとらないと死ぬ。 しかし、戦中から戦後にかけての物不足で石炭や薪が手に入りづらくなると彼らは困った。 そこで、その辺の土を乾燥させ、それを燃やして暖をとることにした。 北海道の土は燃える泥炭が多かったのだ
大学卒業後、台湾総督府に就職した彼がまず始めたのは、品種の調査。 在来の優秀品種を選び出し、不可能と言われていた台湾のインディカ種と日本のジャポニカ種の掛け合わせに成功する。 さらに病気に強く、美味しい米を模索して品種改良しただけでなく、田植えの方法も改善し、農民たちに指導した。
1957年に帰国するまでの台湾農業改善による台湾経済への効果は大きい。 農家の収入は増え、蓬莱米輸出による外貨獲得、それによる工業への投資と、今の台湾の発展の根源を生み出したといっても過言ではない ちなみに台湾ビールにも蓬莱米が入っている。台湾の命だ。 #にいがたさくらの小話 その31改
買付業者のオランダ人は日本の醤油の旨さを知っていた。欧州のみならず、東南アジアに行って売り捌けば大儲けできる。 しかし風味が命の醤油。木製の樽での輸出で劣化し、高値で売り捌けない。 そこでオランダの船乗りが航海中に飲んでいた洋酒の空瓶を利用することに。 たが圧倒的に数が足りなかった