にいがたさくら@小話する人(@monkey_across)さんの人気ツイート(リツイート順)

Plutoを冥王星と訳すことを提唱した人物は天体学者ではなく、作家·野尻抱影。 Plutoはローマ神話の冥府の王。彼は真っ先に科学雑誌に投稿し、京都天文台で採用。 ただし、東京天文台ではプルートーと呼び続けた。 東京天文台が冥王星と呼ぶようになるのは、戦中の1943年。外国語排斥の機運によるもの。
野球のバット以外にも昔はテニスラケットやスキー板などに使われていたアオダモ。 1本からプロ野球用のバットなら8本しか作れない上に、プロ野球用に使える強度になるには70年もの長い年月が必要。 需要が急増した1980年代に一気に枯渇へ向かう。 今は野球界、林業界が一丸となって植林を行っている。
現在もパエリアやリゾット等用の米を作っている南欧。 パスタと同じ感覚で茹でているため、日本とは異なる米文化となっている。 現在のEUの稲作は安い東南アジア産に価格で負けるが、生態系の保護などの水田の価値によって守られているそうだ。 #にいがたさくらの小話 その55改
この後地元に帰った彼らは、多くを語らなかった。 幕府に他言するなと厳命されていたのもあるが、元々の知識が乏しかったため情報がオーバーフローしてしまったこともあるだろう。 だが彼らが皇帝から賜った上着は現在も地元で大切に保管されている。 #にいがたさくらの小話 その361
藩主を擁護する直訴は前代未聞。幕府役人も江戸市民も庄内農民に同情的になる。仙台藩主伊達斉邦も幕府中枢に苦言を呈す程。 命令を出していた11代将軍家斉が死去すると、幕府は命令を撤回。村々では勝利の宴が繰り広げられた。 江戸期の転封撤回はこの1件だけだ。 #にいがたさくらの小話 その62改
日本の大都市の起源は例外を除けば、戦国末期~江戸時代に成立したものが多い。これは治水技術の発達により沖積平野が開発できたから。 農業も同じでそれまで開拓不可の平野部を開発しまくるが、18世紀になると頭打ちに。 だが農民は生産性を向上させたい。 そこで彼らが取った策は『勤勉になる』だ。
一般的水道補修業者の看板です。
だが種痘への不信感は根強く普及の悪い地域もあり、そこでは焦った蘭方医がその辺の子供を捕まえて、親の承諾も得ずに施術し、反対派を増やしてしまう例もあったそうだ。 天然痘の感染が拡大すると、接種者が罹らなかったことが知れ渡り普及が進んだという。 だが、次なる問題が発生。 モグリの医者だ
国際規格ISOの中でもお茶は、食品専門委員会茶分科委員会という専門の会議体を持っており、お茶にまつわる様々な規格を作っている。 英国等の西欧はお茶の大量消費国。 自国生産不可のため輸入となるが、以前はその際に偽物や混ぜ物などが蔓延り品質低下したため、国際的な規格が必要だったのだ。
産業革命は蒸気機関の改良、農業革命はノーフォーク農法の発展など、革命には技術革新が付き物。 第二次世界大戦後のアメリカの物流でも革命的なことが起きた。積卸時間を大幅に短縮させたり、船舶とトラック輸送を効率よく連結するモノが発明されたからだ。 それは四角い箱。 つまり、コンテナだ。
東北·北海道地方の方言で、丁寧に喋ろうとするとなぜか過去形になるというのがある 理由は諸説あるんだが、有力な説として、『敬語はそもそも相手との距離を保つもの、これらの地方では時間軸で適切な距離にするために過去形にする』ってのがあるらしい
宣伝その2。私の家来があんまり面白くない動画配信をしているので、チャンネル登録してあげてね。 twitter.com/hardy_daytona_…
終戦前後は生産を中止したものの、しばらくしてから復活。 高度経済成長は彼らにとって超ビジネスチャンスだった。家庭に風呂が普及したのだ。 バスクリンは競合になるような商品もなく、生産が間に合わなくなってしまうほどの人気になる。 夏に特化したクールバスクリンも発売し、盤石の布陣となる
通水した用水路は稲生川と命名され、300haもの水田が生まれる しかし、水田があるだけでは『街』にはならない 養蚕や馬鈴薯、味噌作り、地場産業の馬市や革細工など全国各地からありとあらゆる職人・商人を呼び寄せた 街には産業が必要だからだ 産業以外も街に必要な神社仏閣も遊郭も誘致した
そこでできたワインは国内外で賞を受賞するほどに成長。 戦後農地改革で敷地面積は減るが、現在でも牛久シャトーとしてワインを製造し、国内外で高い評価を得ている。また洋風の建物も人気で、ドラマのロケ地としても使われている。 傳兵衛の拘りは今でも生きている。 #にいがたさくらの小話 その301
八丈人との意思疎通の結果、島の人は英語ベースの言葉を母語としながらも日本語を理解可能に。 私的な場では英語ベースの言葉を、公的な場では日本語と使い分ける。その後日本語に慣れた世代が増え、日本語をベースにした言葉を私的にも使用するように。 だがその頃から米軍統治下となり英語になる。
愛媛県四国中央市。 紙幣と切手以外の紙製品は何でも作れると豪語する日本一の紙の街。 この地域は元々和紙の街だが、歴史は江戸中期頃からと後発で、かといって北海道のように域外からの大規模な資本投下でできたわけでもない。 新技術を導入·探求し続けることで紙産業を発展させてきたのだ。
一流のシェフは、素材の持ち味を知っている。 世界で初めての組み合わせだったが、これが大人気に。 一方、福神漬自体は日清日露の戦争で兵士の食事として提供されていたため、帰還した者たちによって全国に広まる。 カレーライスも同様だ。 大正の初めには、既に付け合せの地位にあったようだ。
言語の強制は支配と直結している。 オランダ語を流暢に話す植民地知識人層は、それを痛いほど理解していた。 最大多数のジャワ人ですら半数にも満たない。そんな中でとある民族の言語を国語にすれば、他の民族はその民族に支配されることになる。 だが、一つの国民として団結するには言葉が必要だ。
ネット広告とかで地政学って言葉がひとり歩きしているように感じる 地政学は、地理学と歴史学、政治·経済学を複合した学問なんだから、地理と歴史を一通りやらずに地政学やっても陰謀論以外身につきません ドラクエで例えると、戦士武道家をやらずにバトルマスターになろうとするくらい横着な行為です
日本の川はよく氾濫した。 木曽三川と呼ばれる揖斐川長良川木曽川は江戸期の悲惨な工事でマシにはなったが、川が近すぎて氾濫毎に合流して被害を悪化させる治水の難所。 そこで明治政府は当時世界最高の土木技術を持っていたオランダからお雇い外国人を招集した。 3つの川を完全分離させるために。
その後の不況により、バスクリン事業はツムラから独立。 本家から冷たくされても、俺達で温まっていこう。それがバスクリンの使命なのだから。 更に多様化する現代社会に合わせ、様々な所とコラボしながら、彼らは今でも世界中の風呂に溶け込んでいる。 #にいがたさくらの小話 その349
更に家の設計までやっている。 黍殻を使って間取りを設計したそうだ。 暑がりだった彼が風通しに極振りした設計になっている。 ただし、目が視えない彼が設計したので、明かり採りが全く考慮されていないらしい。 現存して、土日は開放している。 #にいがたさくらの小話 その350
日本では、合格したらサクラサク、不合格ならサクラチルと花で例えるが、これは電報の文章が由来。 一方、1000年以上科挙というペーパーテストを行ってきた中国では、今でも当時から使われている合格、不合格を示す四字熟語がある。 合格の場合は「金榜題名」 不合格の場合は「名落孫山」 という。
みんな大好き踏み絵。 最近はこのモノ自体のことを踏み絵、コレを踏ませる行為を絵踏みと使い分けています。 絵踏み、覚えてね!