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この報告書No.25が太平洋戦争や戦後政策に直接齎したものは不明だが、影響は多分にあるだろう。
また、文化には優劣はなく、タイプが異なるだけだという見方が一般に広まる契機にもなった。
文化とは相対的なものなのだ。という例として菊と刀を見てほしい。
#にいがたさくらの小話 その290
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シアトル市には日本人移民も多く移住した。直接だけでなく、ハワイから再移住するものも多く、日本人街も成立した。
中華系の移民も多く、現在でもアジア系の割合は高い。
排日移民法や1929年の世界恐慌からはシアトルでも祖国に帰る人も増え、太平洋戦争後の強制収容で日本人街が消え現在に至る。
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後編から見た人、前編も見てね!
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幕末より50年以上前、佐賀藩はやらかしをしていた。
フェートン号事件だ。
長崎に近い佐賀は長崎警固の役目がある。
そこに、突如英国船が現れたのだ。
警固要員もケチって僅かしか配置していなかったため、為す術もなく英国船の要求に応えた彼らは異国の脅威を知る。
力こそパワーの時代が来る。
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鉄製大砲を作るための反射炉をはじめ、佐賀藩は自前での武器製造に躍起になった。
折しも黒船が来航し、世間が攘夷だー尊王だーと騒ぐ中、ガン無視して武器製造のための研究開発に没頭。
資金源の確保も抜かりなく、佐賀藩の名産·有田焼をヨーロッパに輸出する計画も進められていた。
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英国海軍のカレーの流れを汲む当時のカレーには、南アジア料理では定番のチャツネが添えられていた。
だがある時、チャツネを切らしてしまう。
困ったシェフは代わりに福神漬を添えたのが始まりだという。
ちなみに福神漬を添えたのは一等客のみで、二等以下の客には沢庵が添えられていたらしい。
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もぐり対策としては、幕府による公認。免許制が取られ、江戸のお玉ヶ池種痘所などが公認されている。
江戸後期の予防接種はこうして普及していった。
ちなみに迷信では接種すると牛の角が生えるとか言われてたそうだ。
現代でも似たような事を言ってる人もいるなぁ。
#にいがたさくらの小話 その216
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金鉱石は国内で純金に加工され出荷される。
金は工業用途としても重要だ。
近年発達したスマホなどの電子機器には金が必ず入っている。
主に工業用途では、紛争地帯の武装勢力の資金源にならないよう、産地や加工地などを証明する必要がある。
菱刈鉱山の金は安心安全の日本産。
証明書類も完璧だ。
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現代と比べて娯楽の少なかった江戸時代、出開帳は一躍ブームになったそうだ。
ちなみに道中の名古屋などでも出開帳を行われた形跡があるという。
江戸時代の庶民も我々とあんまり変わらないのかもしれない。
#にいがたさくらの小話 その187
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彼は俵で大損害を出していた。
蒸気船で函館から品川へ品物を送った俵が破損したからだ。
江戸時代までの習慣では、重さを基準としたやり取りだったが、明治の蒸気船では個数単位に変わる。
荷を気にしながら運ぶのは効率が悪いからだ。
案の定俵は破損。汽船会社は法令に基づき責任なしとされた。
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日本は江戸時代前期、ガチガチの鎖国状態。
そんなことはつゆ知らず、デンベイにロシア語をロシア人に日本語を学ぶよう指示。
だが、まだまだ航海技術が未発達な時代。
ロシア極東もまだまだ未知な場所が多かった。
ロシア人が日本にくるのはだいぶ先となる。
#にいがたさくらの小話 その33改
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学校では英語、家では島独特の混ざった日本語と使い分けた結果、また見るよ(see you again)のような英語の影響が残る言葉使いだったそうだ。
現在ではほぼ消滅したが、独自の文法を持つ日本語方言の一つとして辞典に残る。
世界自然遺産・小笠原諸島は、文化も遺産だ
#にいがたさくらの小話 その6改
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細かいところを見ると、昭和初期には無くなっていた文化などを紹介しているが、大枠は見事に捉えており、欧米人にとって、理解不能だった日本人の考え方を恥の文化という言葉を使って理解可能な物に変化させたところが特徴だ。
後に菊と刀という題で一般にも出版され、直後に日本研究の古典となる。
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マラッカ海峡の海賊は減少傾向だが、まだ治安に不安がある。マラッカ海峡が通れなければロンボク海峡を通るが1600km以上も遠回りだ。
タイの一番細いところに運河を作る話もあるが、出ては消えの状態で実現には程遠い。
マラッカ海峡の重要性は千年以上変わらないのだ
#にいがたさくらの小話 その287