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日本中が危機感を持つ前から危機感を持っていた彼らは、長崎に近い立地を活かし、西洋の軍事技術にのめり込んだ。
同時に藩士の知力の底上げ、教育改革も行う。
西洋の軍事技術が気に入った藩主は、黒船来航前に長崎に来航していたオランダの軍艦に乗船。
搭載されていた大量の大砲をその目で見た。
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漁師たちは、賭けに勝った。
豊かなホタテと安定した養殖手法を手に入れた彼らは盤石となった。
ただし、漁師になれるのは限られた人だけ。貝柱の加工工場は最低賃金のままで人手不足だそうだ。
この富を次は何に活かすのか。
それがこれからの課題だろう。
#にいがたさくらの小話 その326
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この望遠鏡は幕府の天文方だけでなく、様々な人たちへも広まる。裕福な町人も望遠鏡を買えたらしい。
伊能忠敬も測量のため、この望遠鏡を持ち運んでいたという。
なお、この後技術革新があり、江戸後期には更に高性能な望遠鏡が鉄砲鍛冶により作られることになる。
#にいがたさくらの小話 その209
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1984年にからし蓮根の真空パックによる集団食中毒事件が起きてからは一旦下火となってしまうが、組合を結成し、店の衛生管理等を徹底。
現在も熊本名物として君臨。
からし蓮根はツマミとして食べることもあるので、この話はいい酒の肴になると思う。
#にいがたさくらの小話 その164改
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淡路島の農民車の動画をおすすめしておきます
youtu.be/dZkjRbSEb7s
youtu.be/6h7kKhcQeas
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1927年に65歳で亡くなり、その後会社は1950年に潰れる。
だが、彼が日本の電機業界に残した業績は大きい。乾電池という言葉も彼が名付け親とされる。
彼の情熱の詰まった乾電池。液漏れしないように管理したいものだ。
#にいがたさくらの小話 その320
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工事はトンネルを含む用水路の建設がポイントだった
清流・奥入瀬川から水を引くには高い技術力が必要
藩内には鉱山開発技術の流れをくむ土木工事集団『南部土方衆』がいた
普段は農民だが、隣の仙台藩などに集団出稼ぎを行って技術を蓄積してきた人々だ
彼らの技術力によって計画が具体化していく
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ローマ法王庁には貢物を受取る文化があった。
日本からも古くは織田信長が献上している記録が残っている。これまでの日本からの貢物の中に米はなかった。
このことが当時、国内外の様々なメディアが取り上げた。
あまりにもキャッチーだったからだ。
そして神子原米は飛ぶように売れたのだという。
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だが伝統的焼畑農耕は環境破壊の悪者にされた。
プランテーションを作るために森を焼く行為を焼畑だと勘違いされたり、当時研究が進んでいなかったりしたためだ。1980年には国連の機関が熱帯林の減少を焼畑農耕によるものと書いたことも影響し、今では否定されているにも関わらず悪者イメージが残る。
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戊辰戦争では新政府軍に参加。
彼らが作ったアームストロング砲による城の破壊は、古い時代を新しい時代が壊す象徴ともなった。
新時代を迎えるには、相当の準備とトップのリーダーシップ、そして狂おしいまでの情熱が必要なのだ。
#にいがたさくらの小話 その76改
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現在の十和田市は郊外に広がる美しい田園風景、中心街は碁盤の目状の美しい街並み、そして現代アートの美術館がある青森県第4の街だ
幕末の開拓初期から美しいものを根付かせたからこそ、現代美術館が受け入れられたのだろう
#にいがたさくらの小話 その146改
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一般に焼畑農業は熱帯地域に多いが、現在の日本でも行われている。
焼く理由は複合的だが、土壌改良や地力の回復、強害雑草の効率的な除去など多様であり、地域によって期待する効果が異なる。
英語ではhifting cultivationなので焼くことは本質ではなく休閑が本質。なので、焼かない焼畑もある。
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火力発電についても興味持ってね!
twitter.com/monkey_across/…
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