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細かいところを見ると、昭和初期には無くなっていた文化などを紹介しているが、大枠は見事に捉えており、欧米人にとって、理解不能だった日本人の考え方を恥の文化という言葉を使って理解可能な物に変化させたところが特徴だ。
後に菊と刀という題で一般にも出版され、直後に日本研究の古典となる。
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この報告書No.25が太平洋戦争や戦後政策に直接齎したものは不明だが、影響は多分にあるだろう。
また、文化には優劣はなく、タイプが異なるだけだという見方が一般に広まる契機にもなった。
文化とは相対的なものなのだ。という例として菊と刀を見てほしい。
#にいがたさくらの小話 その290
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終戦後、どの業界も壊滅したが、特に船会社は苛烈を極めていた。
メーカーなら壊れた機械を修理して日用品を作れるし、商社ならそれを売り歩ける。
だが船がなければ船会社は成り立たない。
復員してくる社員の生活を考えている最中での踏み倒しだ。
連合国の思惑で、会社存続の危機の船会社もあった。
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人材しか残っていない船会社だったが、海運のノウハウを担保に金を借り、船を作った。
安定的な需要がある輸送契約のチャーター代を担保に金を借りたのだ。
また当時の日本の海運会社には国際的信用があった。戦時中に停止されていた各航路の船会社の同盟に復帰させるための交渉力を持つ人材もいた。
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こうして日本商船隊は再建を果たし、1969年には英国商船隊を抜くほど復興を遂げる。
現在でも日本の商船隊は世界三位のシェアを持つほどの存在だ。
人は宝。政府に裏切られても強い組織を作ることが大切なのかもしれない。
#にいがたさくらの小話 その292
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一般に焼畑農業は熱帯地域に多いが、現在の日本でも行われている。
焼く理由は複合的だが、土壌改良や地力の回復、強害雑草の効率的な除去など多様であり、地域によって期待する効果が異なる。
英語ではhifting cultivationなので焼くことは本質ではなく休閑が本質。なので、焼かない焼畑もある。
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だが伝統的焼畑農耕は環境破壊の悪者にされた。
プランテーションを作るために森を焼く行為を焼畑だと勘違いされたり、当時研究が進んでいなかったりしたためだ。1980年には国連の機関が熱帯林の減少を焼畑農耕によるものと書いたことも影響し、今では否定されているにも関わらず悪者イメージが残る。
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最近は日本では焼畑が復活しているところも多い。
焼畑は肥料や農機が不要で、伐採・火入れの時期以外はそんなに人手もかからないメリットがあり、山間部の農業として見直されている。
日本には焼畑に纏わる伝統文化も継承している地域もある。
今、焼畑がアツい!
#にいがたさくらの小話 その54改
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Armed services editionと銘打たれたペーパーバックは、大戦中需要が減っていた雑誌用の輪転機を転用し、効率的に生産された。
内容は全て既に作られた作品だが、様々な趣味を持つ米軍の兵士のために様々なジャンルの作品を採用。タイトルだけでも千を超える。
支給された兵士は仲間内で読み回した。
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内容に対するアンケートも取られ、兵士の需要に応えつづけた。
大戦後も駐留する米軍兵士への提供は続けられ、米軍が帰還するときには地元の人間に売られたり、捨てられたりすることとなるが、逆側から見れば、本来アメリカ国内で消費されていた文学作品などを大量に手にする機会ともなっていた。
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英語圏の人々や非英語圏の知識人層への影響は計り知れない。
冷戦期のアメリカは自国の文化を売り込むのに躍起になっていたが、このときに意図せず齎した大量の安価な本が売り込まれた国のアメリカ文化の受容に一役買ってるのかもしれない。
安価な本と侮るなかれ。
#にいがたさくらの小話 その295
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