福神漬は明治初期の東京で生まれた。 7種類の野菜を使い、これさえあれば他のおかずは要らないから経済的という意味を込めて福神漬と名付けられ、あらゆるシーンで活躍した。 ところが明治30年代、福神漬は、太平洋上の豪華客船で運命の出会いを果たす。 相手はもちろんカレーライスである。
明治維新は、無茶振りの連続だった。 理想が高い新政府は、廃藩置県、地租改正、郵便制度、ありとあらゆる布告を出しまくる。 だが村々まで浸透させるには大変な労力が必要だ。 識字率も高くない村もある中で、上からの指示を捌き、下からの要望を取りまとめていったのが、戸長という役職の人たちだ。
長野県と新潟県に跨がる秘境、秋山郷。 冬は雪に閉ざされるため、酷道と呼ばれる国道405号以外でのアクセスは不可となる非常に交通の便が悪い場所だ。 平家の落人の里としても知られており、戦前測量で訪れた他所の者に対して「源氏はまだ栄えているか?」と聞いたという伝説があるほどだ。
若い子に、「前提を擦り合わせないとアンジャッシュのネタみたいになるぞ」と指導したら、若い子はアンジャッシュのネタを『多目的トイレでいけないことをする』と認識したらしく、まさにアンジャッシュのネタみたいな事象が発生した。
このマニ車もガチもんの関係者によって作られているので、法力も半端ない。 民族学に興味ある人はぜひ行ってほしい。 興味がない人はメシを食うだけでも楽しめるので、行ってほしい。 ちなみに屋内の常設展は開館以来ほぼ変わってないので、ちょっと怖い。 #にいがたさくらの小話 その338
こんなフランスアルザス地方みたいな風景が、愛知県犬山市で見れるとあって、かなり映えスポットとしても魅力的。 民族衣装の貸出も行われているので、インスタとも相性がいい。 平日は人がほぼいないので、写真を取りたい方は平日がオススメだ。 持込のコスプレはイベント以外では禁止なので注意。
しかもここ、民間企業。 建てられたのはバブル期なので、今年で開園39年。 一時期はあまりにニッチ過ぎて来場者が伸び悩んでいたが、近年は映えとメシによって土日はかなりの人がいる。 一周2.5kmというクソ広い場所を世界各地の料理を食べ歩きながら回るのが、オススメだ。移動は腹ごなしになるし。
愛知県犬山市·野外民族博物館リトルワールド 世界中の建築がガチ再現されたテーマパークだ。 形だけ真似た他とは違い、現地の職人を呼び寄せて完全再現してある。 民族学/文化人類学的にガチ過ぎて、有名な建築物ではなく、一般の家や寺社の完コピなので、一般人には凄さが分かりづらいのが弱点だ。
茶道は淑女の嗜み。 現代でも、お茶を習う女性は多いと思う。 しかし、よくよく考えてみると、お茶は戦国時代にブームになり江戸時代に定着した武士の文化。 千利休も男だし、利休七哲もみんな男。 淑女の嗜みとして現代に受け継がれたのには理由がある。 キッカケは、明治維新による近代化だ。
この事象は大学の技術者倫理の授業でほぼ必ず登場する有名な事故。 登場人物の誰かを「悪」として批難することは容易だが、事故を防ぐのは難しい。 物事を短絡的に捉えて、「悪」を糾弾するだけの人間は、この登場人物の誰に成り代わっても事故は防げないだろう。 #にいがたさくらの小話 その336
技術陣のトップはその言葉に折れてしまう。彼は経営側の人間でもあったのだ。 それでも技術者たちは強硬に反対した。 しかし、経営者層での意思決定では満場一致で打ち上げ延期勧告の取り止めとなってしまう。 こうして技術者たちの懸念通りに事故が起き、7名の宇宙飛行士の命が失われてしまった。
技術者たちはデータを漁った。だが、はっきりと確実にダメだという核心のデータはなかった。それでも技術者たちは、打ち上げ延期を主張した。 メーカーの経営者層は、技術者の主張とお得意様を天秤にかけた後、喰い付く技術陣トップにこう言った 「技術者の帽子を脱いで、経営者の帽子を被りたまえ」
発射は幾度も延期され、NASAは苛立っていた。 だが、予定日の気温は低かった。Oリングのメーカーも危険だとNASAに警告していた。 NASAとメーカーは協議。NASAは「春まで待てと言うのか?」と激怒。安全でないならそれを示せと突き返す。 メーカーは困る。メーカーにとってNASAはお得意様だったからだ
1986年1月28日。 米国のスペースシャトルが発射73秒後に爆発した。 チャレンジャー号爆発事故である。 直接の原因はOリングというゴム製品が低温環境下で硬化し、そこから高熱ガスが漏れ燃料に引火したというもの。 Oリングの硬化に関し技術者達が懸念を示していたが、発射は強行されてしまった。
戦前の南米ペルーには「綿花王」と呼ばれた日本人がいた。 彼の名は岡田幾松。 小学校中退の彼は、21歳のとき広島県から移民1世としてペルーに行き、大農園の過酷な労働条件下で頭角を現す。 変化する時代にチャンスを見出し、男気と度胸で事業を拡大し、多くの日本人·ペルー人を従える王となった。
会津藩は戊辰戦争後に消滅するが、様々な尽力により再興を許される。 その場所は会津から離れた、青森県下北半島。ヤマセで作物が実らない極寒の地。豊穣の会津盆地から見れば異世界だった。 耐え忍ぶことを美徳とする会津武士達でも大半が逃げ出す程の絶望的な環境でも彼らは懸命に生き延びた。
史上最大の作戦と呼ばれたノルマンディー上陸作戦。 上陸成功には天候が鍵を握るのだが、作戦前夜の現地は大荒れ。波も高く上陸不可。 しかし連合軍の気象チームは、世界初の波浪予報や最新鋭の気象観測装置を用いて、決行予定日の翌日なら僅かな時間だけ天気が好転し、波が穏やかになる予報を出す。
明治初期に佐賀県で発明された製麺機·混合機によって、麺打ちが機械化されたが、そのことに不満を持つ者たちがいた。 香川県民だ。 当時の機械では、讃岐うどん独特のコシが出なかったのだ。 コシを出すためには体重をかけ足で踏む工程が必要。 だが1960年代には足踏みが不衛生と批判を受けてしまう
瓦は奈良時代に仏教建築と共に日本にやってきてから、ずっと変わらないと思っている人もいるだろうが、実は瓦のイノベーションは江戸前期に起こった。 役割の異なる2枚の組み合わせる本瓦葺きから、それらの機能を1枚にした桟瓦葺きに。 なので、それまでの寺社や城と一般家屋では瓦の形状が違う。
つよつよな神社ですね
稟議制度は日本独特らしい。 稟議制度は、下っ端が稟議書を起案する方式だが、他国では上司の命令指示が最初だそうだ。 現在の稟議制度には不合理な箇所も多いが、元々は戦国時代、最前線の足軽大将に開戦のタイミングの権限を委譲したことが始まりだという。(諸説あり) 当時は合理的な手段だった
新潟県長岡市山古志地区。 急峻な山々の間で棚田を作っている、雪深い静かな村だ。 だがこの村には、国内だけでなく世界中のバイヤーが集う一大産地がある。 それが、錦鯉だ。(芸人の方ではない) なぜこんな交通の便が悪い所で錦鯉の養殖?と思うかもしれないが、雪国ならではの深い事情がある。
後に「からくり儀右衛門」と呼ばれる天才からくり士、田中久重は1799年(寛政11年)の生まれ。 しかし彼の業績はからくりだけに留まらない。 明治14年82歳の生涯を終えるまで、移りゆく時代やニーズにあわせ、発明をし続けた。 73歳で明治政府から近代化のための人材として直オファーがくるほどに。
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市役所の熱意に押され、ふるさと納税の返礼品になると、さらにネットで火がつく。 ネタではなく、ガチな需要も発生。一時はSNSに投稿が相次いだという。 むつ市長も認めたホタテ水着。 陸奥湾のホタテは、美味しい。 食べる以外でも、2度美味しいのだ。 #にいがたさくらの小話 その327