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伝兵衛は困惑した。
大阪谷町の質屋の息子だった彼は、江戸への航海中に遭難。
流されてカムチャツカに辿り着いた時には生存者はワシだけ。
現地のイテリメン人に捕縛されていたところを、救助されたはいいが、モスクワってどこやねん!
ちなみに、江戸→インド、大坂→ウザカと間違えられていた。
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私はプリキュアオタクなので、娘にどのプリキュアを見せればよいかの相談をよく受けます。
私の答えは毎年同じで、今やってるプリキュアです。
プリキュアは毎年その年を生きている幼女のために作られています。
初代は名作ですが、20年も前の作品です。我々が1stガンダムに感じる古さと同じです。
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コカ・コーラを心待ちにしていた道民も愛想を尽かし、ガラナを飲む。
こうして北海道に定着したガラナは、3年後のコカ・コーラ上陸以降も生き残れたのだ。
当時の思いが現代まで受け継がれているかはわからないが、ガラナは今日も北の大地で飲まれている。
#にいがたさくらの小話 その163改
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コカ・コーラは正に王者だった。
本格的に輸入が始まると、コアップガラナは各地で窮地に立たされた。
ギリギリ間に合わせたガラナでは、人々に定着する前に剥がされてしまったからだ。
だが、北海道にはコカ・コーラはやってこなかった。当時の物流の関係上、後回しにされたのだ。
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全国清涼飲料協同組合は、コカ・コーラの味を知っていた。
戦前から細々と輸入されていたし、戦後の進駐軍も愛飲していたからだ。
故に危機感がめちゃくちゃあった。
当時から世界的に普及していたコカ・コーラだが、ブラジルでは苦戦していたことを知る。
ガラナとの出会いは、そこから始まる。
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更に家の設計までやっている。
黍殻を使って間取りを設計したそうだ。
暑がりだった彼が風通しに極振りした設計になっている。
ただし、目が視えない彼が設計したので、明かり採りが全く考慮されていないらしい。
現存して、土日は開放している。
#にいがたさくらの小話 その350
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