日本刀最大の弱点はシベリアの-20℃以下の環境では低温脆性により折れてしまうことにある。しかし、満鉄刀は近代材料技術によりカバー。 日本刀の特性である、折れず曲がらずよく斬れるを残したまま実戦に適した刀となった。 刀には魂が宿る。 満鉄刀だと魂に失礼なので「興亜一心刀」と命名された。
試作品に大成功した満鉄は本格的生産を検討。 大学教授たちと製法を検討した。 古来の日本刀はたたら製鉄で取れた鉄を何度も鍛えて作るが、最初っから鍛えた後以上の鉄が作れるので不要。 これまで刀匠の腕が頼りだった心鉄と外側の鋼の重ね方も、ロールによる成形技術で常に理想的な位置にできる。
南満州鉄道株式会社は鉄道だけの会社ではなかった。 製鉄や鉱山開発、シンクタンクなどあらゆる範囲をカバーする会社だった。 冶金や金属材料の知識もある。 近代的な設備と満州の鉄で、とりあえず試作して刀剣会に出品したところ、江戸初期の名刀・初代忠吉と間違えられる程の出来栄えだったという。
満州事変以後、拡大する軍部はある問題を抱えていた。 「日本刀が足りない」 下士官以上の軍人には必須だったが、日本中からかき集めても足りなかった。 新しく作ろうにも、刀匠も限られ、そもそも製法的に量産不可。 そこで当時日本最強の技術者集団「満鉄」に依頼。 こうしてできたのが満鉄刀だ。
原子炉の歴史は古く、20数億年前に遡る。 勿論人類の創造物ではなく、地球が作ったもの 天然原子炉と呼ばれ、基本的な核分裂の仕組みは人工の原子炉と同じで、反応熱は水を沸騰させていた 原子炉ができるには様々な条件が必要だが、偶然が重なりまくって臨界し、数10万年程度核分裂を継続したという
沖縄本島から東に300km以上離れた絶海の孤島。沖縄県南大東島·北大東島。 明治から戦前まで、ここは企業が支配する島だった。 行政のすべてを企業が行い、市町村制が施行されなかっただけでなく、島の中では日本円が通用せず、企業による独自の紙幣が使われていた。
台湾、香港、フィリピンの中間にある東沙諸島。 明治末期、ここは『西澤島』と呼ばれていた。 西澤吉治という男が、当時無人島だった島に大規模 なインフラ投資を行い、労働者を送り込んでいたのだ。 その絶妙すぎる位置は、当時台湾を領有する日本と清の間で領土問題となり、結局清へ返還された。
鉱山の中はトロッコではなくダンプが行き交い、効率的な採掘がなされている。 なおこの鉱山、金鉱石と同時に温泉が出まくるため、ポンプを使って麓の温泉地に送られる。 金と同時に出てきた温泉に浸かって黄金の国ジパングに思いを馳せてみてはどうだろう。 #にいがたさくらの小話 その57改
金鉱石は国内で純金に加工され出荷される。 金は工業用途としても重要だ。 近年発達したスマホなどの電子機器には金が必ず入っている。 主に工業用途では、紛争地帯の武装勢力の資金源にならないよう、産地や加工地などを証明する必要がある。 菱刈鉱山の金は安心安全の日本産。 証明書類も完璧だ。
鹿児島県伊佐市菱刈地区は、江戸時代にも金の採掘が行われていた土地。 当時は出ないだろうと思われていた地層から鉱脈が発見された奇跡の鉱山。 特徴はなんといっても金鉱石の品位。 通常の鉱山は1トンの鉱石の中に数グラムしか金が含まれないのに対し、菱刈鉱山では平均約20グラムと超高品位だ。
黄金の国ジパングは過去の話で、既に掘り尽くしてしまったと思っている人も多い。 だが実は、現在でも商業規模で稼働中の金山が鹿児島県にある。 それが、菱刈鉱山だ。 1985年に金採掘が始まったが、現在採掘した分だけで、佐渡金山の累計産出量の3倍以上、260トンもの金を産出した鉱山だ。
日本統治時代の台湾では、宗主国日本からの文化流入が顕著だった。 近代的な機械や文化だけでなく、日本の古典芸能や文学、昔話なども同時に入ってきて台湾人にも親しまれた。 だがそんな中でも『源氏物語』だけは流行らなかった。 中国文学最大最高のハーレム物傑作『紅楼夢』があったからだ。
明治時代、政府は運動会を奨励していたが、生徒児童も少なく、運動場もなかった。 そのため、近隣町村が河川敷や寺社の境内に集まって実施していた。 物珍しさもあり、見物人が詰めかける。集まった人たちは運動会をなぜやるのか知らないが、ハレの日と解釈した。 そして、運動会は「祭り」となった
昆布は北海道や青森岩手など寒い地域でしか採れない。そのため、古くから消費地まで輸送されてきた。 特に江戸時代、大量の昆布を中継していた沖縄県と富山県には独特の昆布文化が花開いた。 なぜその2箇所だったかというと、黒幕はあの薩摩。 そう彼らは明治維新のためにダシに使われたのだ。
1913年タイ王国。 苗字必達令により庶民に苗字を強制したが、多くの庶民が困った。 ほぼ全員が苗字そのものを知らなかったからだ。 困った政府は、苗字のサンプルを作り配布。 庶民はそれを参考に苗字を考えるが、彼らは他人と被るのを嫌う。 なので今でもタイ人の苗字は種類がめちゃくちゃ多い。
ベトナムを愛している ホンダベトナムのスローガンだ。 大量のシェア獲得後も、ベトナムに寄り添った。 排ガス処理や車種の拡充、社会貢献により、ベトナムを愛した。 欠点は見た目がダサいと思う派がいるくらいで、そういう層はヤマハを買っている。 日本と同じだ #にいがたさくらの小話 その371
爆発的に伸びた中国系だったが、失速は早かった。故障が相次いだのだ。 一方でホンダは必要でない性能は落としたが、必要な性能は残した設計だった。 価格は中国系よりも少し高いレベルだったが、ベトナム人はホンダを選んだ。 低価格を軸に二輪車の頑丈さ、サービスなどでホンダはシェアを伸ばす。
ベトナムではスーパーカブ系の二輪車が人気だ。丈夫で多少の悪路を問題とせず、燃費もいい。 中国系の二輪車の登場はシェアを奪うというよりは、新規開拓に寄与していた。 ベトナム人にとって二輪車は高かったのだ。 価格競争に立ち向かうべく、必要でない性能カットし、部品の選定方法を見直した。
現在ベトナムの二輪車のシェアは7割がホンダだ。 だが2000年、シェアは9%まで落ち込む。 中国系の超低価格二輪車の登場によりシェアを奪われたからだ。 このことに衝撃を受けたホンダは、超低価格路線に本腰を入れ、ベトナム向けの低価格二輪車WAVE αを導入。 シェアを取り返す以上の活躍をした。
江戸時代、酒といえば灘の酒。 大量消費地である江戸へも関西方面から酒専用船で運ばれていた。 当時日本酒を製造する時期は限られており、江戸っ子たちは新酒を待ち焦がれていた。 一番酒には高値が付く。業者達は競った。 この競争は暫くするとルール化され、レースとなった。 それが新酒番船だ。
かつて七つの海を支配していた大英帝国も、植民地の相次ぐ独立によって領土は激減。 それでもまだ、太平洋にはイギリス領の島がある。 ピトケアン諸島だ。 発見時は無人島だったこの島には、『バウンティ号の反乱』という事件をきっかけに英国人が住み始め、現在でもその末裔たちが暮らしている。
1704年にイギリスで創刊された年刊雑誌、レディースダイアリー。 当初はその名の通り淑女のための雑誌で、恋愛や王室の話、なぞなぞなどが書かれていた。 しかし当時の淑女は知的好奇心を満たすものを渇望していた。 それに応えて変化していくうち、なぜか数学の専門雑誌となってしまった。
なので、どうしてもナーロッパで稲作したいなろう作家さんは、スペインやイタリアっぽい気候である描写を入れるのと、大規模灌漑をやる技術力を見せつけてあげると説得力が増しますよ。 あと田植えのための大規模出稼ぎ労働者(もしくはそれに変わるもの)も 個人的にはダークエルフの里に作って欲しい
現在もパエリアやリゾット等用の米を作っている南欧。 パスタと同じ感覚で茹でているため、日本とは異なる米文化となっている。 現在のEUの稲作は安い東南アジア産に価格で負けるが、生態系の保護などの水田の価値によって守られているそうだ。 #にいがたさくらの小話 その55改
現実のヨーロッパでも稲作はされている。 欧州の稲作は中世のスペインに始まる。 異教徒に支配されていた頃に稲作技術が持ち込まれ、気候条件のいい地域に定着していった。 水田作りには大量の水が必要なのだが、ローマ帝国時代に建設された灌漑用水路で賄っていたという。 (写真はイタリアの映画)