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売り出した当初は全く売れないどころか、フタから液漏れがあり、商品回収などでマイナスだった。
それでも彼らは若者を諦めなかった。
フタは改善され、新たな販路を自販機や駅のキヨスクなどへ広げる。
電車で移動中に呑める酒が手軽に買える。
キヨスクへの導入はまさにイノベーションだった。
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そこで注目されたのが、長崎の波佐見焼。
波佐見焼に醤油を詰めコルクで封をして輸出することで、ワインのように劣化を抑えれる。
焼く際にはオランダ語でJAPANSCHZOYA(日本の醤油)という商品名とコンプラ株仲間を意味するコンプラドール(ポルトガル語で仲買人という意味)の略語CPDと書かれた。
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こうして完成した砂時計は砂暦と名付けられ、サンドミュージアムに設置。
後に、漫画やドラマ、映画の舞台になるなど、大田市仁摩町を代表する施設として成長。
2016年にはギネスにも認定された。
完成から32年。砂時計は現在も、町の風景の一部として時を刻んでいる
#にいがたさくらの小話 その390
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こうして日本商船隊は再建を果たし、1969年には英国商船隊を抜くほど復興を遂げる。
現在でも日本の商船隊は世界三位のシェアを持つほどの存在だ。
人は宝。政府に裏切られても強い組織を作ることが大切なのかもしれない。
#にいがたさくらの小話 その292
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梱包とは、商品の価値をも向上させる物。
それにいち早く気づき、生涯を賭して人々に伝えたことに彼の功績はある。
ちなみに現在、米俵の内容量は60kg(4斗)だが、これはこのときの運動の中で、次第に統一されたもので、今の米袋(30kg)にもつながっている。
#にいがたさくらの小話 その392
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若い子に、「前提を擦り合わせないとアンジャッシュのネタみたいになるぞ」と指導したら、若い子はアンジャッシュのネタを『多目的トイレでいけないことをする』と認識したらしく、まさにアンジャッシュのネタみたいな事象が発生した。
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1927年に65歳で亡くなり、その後会社は1950年に潰れる。
だが、彼が日本の電機業界に残した業績は大きい。乾電池という言葉も彼が名付け親とされる。
彼の情熱の詰まった乾電池。液漏れしないように管理したいものだ。
#にいがたさくらの小話 その320
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昔は大学の合格発表は紙で貼り出されるスタイルだった。そのため、遠隔地に住む受験生は合格発表を見れず、通知が郵送されるまで待ち焦がれていた。
そこで、大学の近所に住む学生が受験生からお金を取って代わりに見て、合否を電報するサービスを始める。
合格の時の電文の言葉は、サクラサクだ。
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こうして完成した佐久間ダムにより、現代土木技術が培われその後の様々なダム建設に繫がっていく。
1956年の竣工から今まで、首都圏と中京圏に電力を供給し続ける佐久間ダム。
ちなみに電力系統は東西で周波数が違うので融通が難しいが、佐久間は両方で発電可能だ。
#にいがたさくらの小話 その145
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