251
全国清涼飲料協同組合は、コカ・コーラの味を知っていた。
戦前から細々と輸入されていたし、戦後の進駐軍も愛飲していたからだ。
故に危機感がめちゃくちゃあった。
当時から世界的に普及していたコカ・コーラだが、ブラジルでは苦戦していたことを知る。
ガラナとの出会いは、そこから始まる。
252
253
日本で唯一「電車」が走っていない都道府県、徳島県。汽車しかない徳島県では、その理由を説明する「伝説」がある。
徳島県の霊山・剣山にはユダヤの失われし聖櫃(アーク)が収められており、四国を回るお遍路さんにより作られた結界を「電車」が壊してしまうというものだ。
って徳島新聞も言ってる。
254
幕末より50年以上前、佐賀藩はやらかしをしていた。
フェートン号事件だ。
長崎に近い佐賀は長崎警固の役目がある。
そこに、突如英国船が現れたのだ。
警固要員もケチって僅かしか配置していなかったため、為す術もなく英国船の要求に応えた彼らは異国の脅威を知る。
力こそパワーの時代が来る。
255
戊辰戦争では新政府軍に参加。
彼らが作ったアームストロング砲による城の破壊は、古い時代を新しい時代が壊す象徴ともなった。
新時代を迎えるには、相当の準備とトップのリーダーシップ、そして狂おしいまでの情熱が必要なのだ。
#にいがたさくらの小話 その76改
256
淡路島は神戸や大阪などの都会に近いため、スクラップ部品が手に入りやすかった。
無骨な作りだが、農家の要望にダイレクトに応えれたため、実用性は極めて高かった。
農家の要望に合わせてオーダーメイドで作るため、すべて一点物だ。もちろん設計図などない。
ちなみにナンバーも取得できる。
257
鹿児島県伊佐市菱刈地区は、江戸時代にも金の採掘が行われていた土地。
当時は出ないだろうと思われていた地層から鉱脈が発見された奇跡の鉱山。
特徴はなんといっても金鉱石の品位。
通常の鉱山は1トンの鉱石の中に数グラムしか金が含まれないのに対し、菱刈鉱山では平均約20グラムと超高品位だ。
258
259
260
みるみるうちに石油の価格は上がり、国の方針も変わる。
そして、石炭を見る目も変わった。融資も貰えた。
こうして建設された日本初の海外炭火力は、十分なNOxSOx対策を施しても、発電単価が重油火力よりも安くなった。
これを契機に日本国内で次々と海外炭を使った火力発電所が建設されることに。
261
262
この後地元に帰った彼らは、多くを語らなかった。
幕府に他言するなと厳命されていたのもあるが、元々の知識が乏しかったため情報がオーバーフローしてしまったこともあるだろう。
だが彼らが皇帝から賜った上着は現在も地元で大切に保管されている。
#にいがたさくらの小話 その361
263
四国三郎と呼ばれた吉野川は洪水をもたらした。治水技術が未発達の時代には、台風シーズンによく決壊し、収穫前の米に打撃を与えた。一方藍なら台風前に収穫ができる。平和な時代には商品作物の需要は高い。
ちなみに「筑紫次郎」の筑後川流域でも藍栽培をしており、久留米絣という染物が発達した。
264
265
鉱山の中はトロッコではなくダンプが行き交い、効率的な採掘がなされている。
なおこの鉱山、金鉱石と同時に温泉が出まくるため、ポンプを使って麓の温泉地に送られる。
金と同時に出てきた温泉に浸かって黄金の国ジパングに思いを馳せてみてはどうだろう。
#にいがたさくらの小話 その57改
266
267
つまり感情的な物言いをしている奴。お前は理系でも文系でもねーよ。文系を語るな
268
269
270
情報にタダ乗りする輩が現れると、暗号通信の手段も発展した。
また、早すぎる伝達の規制や米飛脚の保護のために幕府から禁止されたこともあるが、禁止されていない地域を使ってやり取りが行われたという。
旗振り通信による情報を求める人は年々増え、後には定額通信制に移行したらしい。
271
272
273
現在様々な國やメーカーで折る刃式カッターが作られているが、刃の世界規格は当時開発者が試行錯誤をして導いた寸法がベース。
製造業が海外に移転する時代を経た今でもOLFAはずっと日本製に拘る。
試行錯誤して切り拓いたカッターという製品の品質を守るために。
#にいがたさくらの小話 その364
274
275
鉄製大砲を作るための反射炉をはじめ、佐賀藩は自前での武器製造に躍起になった。
折しも黒船が来航し、世間が攘夷だー尊王だーと騒ぐ中、ガン無視して武器製造のための研究開発に没頭。
資金源の確保も抜かりなく、佐賀藩の名産·有田焼をヨーロッパに輸出する計画も進められていた。