全国清涼飲料協同組合は、コカ・コーラの味を知っていた。 戦前から細々と輸入されていたし、戦後の進駐軍も愛飲していたからだ。 故に危機感がめちゃくちゃあった。 当時から世界的に普及していたコカ・コーラだが、ブラジルでは苦戦していたことを知る。 ガラナとの出会いは、そこから始まる。
日本の交流電源の周波数は西が60Hz東が50Hz。 これは明治時代に、大阪が米国製、東京がドイツ製の発電機を導入したことに由来する。 戦後、現在の電力会社体制に継承されたため、東の電力会社は50Hzなのだが、例がある。 佐渡ヶ島だ。 佐渡だけ西と同じなのには、金山と離島であることが絡んでいる
日本で唯一「電車」が走っていない都道府県、徳島県。汽車しかない徳島県では、その理由を説明する「伝説」がある。 徳島県の霊山・剣山にはユダヤの失われし聖櫃(アーク)が収められており、四国を回るお遍路さんにより作られた結界を「電車」が壊してしまうというものだ。 って徳島新聞も言ってる。
幕末より50年以上前、佐賀藩はやらかしをしていた。 フェートン号事件だ。 長崎に近い佐賀は長崎警固の役目がある。 そこに、突如英国船が現れたのだ。 警固要員もケチって僅かしか配置していなかったため、為す術もなく英国船の要求に応えた彼らは異国の脅威を知る。 力こそパワーの時代が来る。
戊辰戦争では新政府軍に参加。 彼らが作ったアームストロング砲による城の破壊は、古い時代を新しい時代が壊す象徴ともなった。 新時代を迎えるには、相当の準備とトップのリーダーシップ、そして狂おしいまでの情熱が必要なのだ。 #にいがたさくらの小話 その76改
淡路島は神戸や大阪などの都会に近いため、スクラップ部品が手に入りやすかった。 無骨な作りだが、農家の要望にダイレクトに応えれたため、実用性は極めて高かった。 農家の要望に合わせてオーダーメイドで作るため、すべて一点物だ。もちろん設計図などない。 ちなみにナンバーも取得できる。
鹿児島県伊佐市菱刈地区は、江戸時代にも金の採掘が行われていた土地。 当時は出ないだろうと思われていた地層から鉱脈が発見された奇跡の鉱山。 特徴はなんといっても金鉱石の品位。 通常の鉱山は1トンの鉱石の中に数グラムしか金が含まれないのに対し、菱刈鉱山では平均約20グラムと超高品位だ。
戦後の日本はあらゆるものが足りなかった。 電力、重機を使う技術、安全意識、そして資金。 だが朝鮮戦争特需で沸く日本に急いで電力を供給しなければ。 佐久間ダムの地点は水量も高低差も発電に最適だが、当時の電力会社単独ではあらゆる面で不可能。 そこで国家プロジェクトとして作られることに。
北海道産の農産物は美味しいものばかりだが、昭和時代、米だけは不味かった。 北海道は寒冷地。そんな土地でも育つように品種改良した結果、味が犠牲になり、米屋から『やっかいどう米』と呼ばれていた。 稲作を諦める農家も出る中、大幅に風味を改善した北海道米が登場した。 それが、きらら397だ。
みるみるうちに石油の価格は上がり、国の方針も変わる。 そして、石炭を見る目も変わった。融資も貰えた。 こうして建設された日本初の海外炭火力は、十分なNOxSOx対策を施しても、発電単価が重油火力よりも安くなった。 これを契機に日本国内で次々と海外炭を使った火力発電所が建設されることに。
アフリカで産まれた人類は当時の陸地を通り世界中へと広がったが、太平洋諸島は陸続きではない。 現在の台湾やフィリピンあたりから2000年以上かけて太平洋の島々へと長い航海を経て移住する。 それもカヌーで。 長い航海に耐えれぬ者たちが淘汰された結果、現在の彼らはほぼ全員ガタイがいい。
この後地元に帰った彼らは、多くを語らなかった。 幕府に他言するなと厳命されていたのもあるが、元々の知識が乏しかったため情報がオーバーフローしてしまったこともあるだろう。 だが彼らが皇帝から賜った上着は現在も地元で大切に保管されている。 #にいがたさくらの小話 その361
四国三郎と呼ばれた吉野川は洪水をもたらした。治水技術が未発達の時代には、台風シーズンによく決壊し、収穫前の米に打撃を与えた。一方藍なら台風前に収穫ができる。平和な時代には商品作物の需要は高い。 ちなみに「筑紫次郎」の筑後川流域でも藍栽培をしており、久留米絣という染物が発達した。
幕末の日本は鉄を欲した。大砲作りに必要不可欠。 だが、伝統製法のたたら製鉄では絶対数が不足。 そこでオランダの書物を基に、鉄鉱石を原材料として高炉を用いた銑鉄法を日本でやる計画を立案。 鉄鉱石の場所も発案者の大島高任は知っていた。 そこは現在の岩手県釜石市。鉄の町の始まりである
鉱山の中はトロッコではなくダンプが行き交い、効率的な採掘がなされている。 なおこの鉱山、金鉱石と同時に温泉が出まくるため、ポンプを使って麓の温泉地に送られる。 金と同時に出てきた温泉に浸かって黄金の国ジパングに思いを馳せてみてはどうだろう。 #にいがたさくらの小話 その57改
日本統治時代の台湾では、宗主国日本からの文化流入が顕著だった。 近代的な機械や文化だけでなく、日本の古典芸能や文学、昔話なども同時に入ってきて台湾人にも親しまれた。 だがそんな中でも『源氏物語』だけは流行らなかった。 中国文学最大最高のハーレム物傑作『紅楼夢』があったからだ。
つまり感情的な物言いをしている奴。お前は理系でも文系でもねーよ。文系を語るな
長野県と新潟県に跨がる秘境、秋山郷。 冬は雪に閉ざされるため、酷道と呼ばれる国道405号以外でのアクセスは不可となる非常に交通の便が悪い場所だ。 平家の落人の里としても知られており、戦前測量で訪れた他所の者に対して「源氏はまだ栄えているか?」と聞いたという伝説があるほどだ。
第一次世界大戦。日本は1ヶ月半ほどでドイツの植民地軍を破り、ドイツ軍約5千人を捕虜にした。 欧州での戦闘が長引いたため彼らは長期に渡り日本国内各地に収容された。代表的なのは徳島県の板東俘虜収容所だ。 日本で初めてベートーヴェンの第九を全曲演奏したのも徳島県のドイツ人捕虜たちだ。
情報にタダ乗りする輩が現れると、暗号通信の手段も発展した。 また、早すぎる伝達の規制や米飛脚の保護のために幕府から禁止されたこともあるが、禁止されていない地域を使ってやり取りが行われたという。 旗振り通信による情報を求める人は年々増え、後には定額通信制に移行したらしい。
2004年。テレビ局の取材を受けた大阪の中堅洗剤メーカは炎上した。 パーム油のプランテーションで東南アジアの熱帯雨林が減少したことに関する『悪玉』として使われたからだ。 パーム油の主な使用先は食品産業。自社での使用を止めても世界は変わらない。 そこで熱帯雨林を守る取組を行うことに。
島根県浜田市。日本海に面した島根県の田舎町だ。 江戸時代は浜田藩だったが、財政難に苦しんでいたが、武士たちにアイデアはなかった。 そこで、商人会津屋(今津屋)八右衛門が壮大な打開策を持ち掛けた。 浜田を拠点に朝鮮·清·東南アジアへと密貿易をするビッグビジネス。 勿論幕府には秘密だ。
現在様々な國やメーカーで折る刃式カッターが作られているが、刃の世界規格は当時開発者が試行錯誤をして導いた寸法がベース。 製造業が海外に移転する時代を経た今でもOLFAはずっと日本製に拘る。 試行錯誤して切り拓いたカッターという製品の品質を守るために。 #にいがたさくらの小話 その364
江戸時代までの米は、藩により厳しく管理されていた。 大事な年貢だからだ。 各藩毎に標準を定め、ある程度の米俵の規格化がなされていた。 しかし、年貢が金納に変わると管理がなくなり、売買する者たちに委ねられ、次第に安価な梱包方法に変わっていく。 函館で廻船業を営む遠藤吉平はこれを憂いた
鉄製大砲を作るための反射炉をはじめ、佐賀藩は自前での武器製造に躍起になった。 折しも黒船が来航し、世間が攘夷だー尊王だーと騒ぐ中、ガン無視して武器製造のための研究開発に没頭。 資金源の確保も抜かりなく、佐賀藩の名産·有田焼をヨーロッパに輸出する計画も進められていた。