彼のお陰で台湾の米は日本本土でも旨くて安いと評判になり、台湾の日本米は『蓬莱米』と命名され、大人気に。 彼は米に留まらず、裏作の麦や芋、タバコなども改良·指導を行い、『台湾農業の父』と呼ばれた。 戦後、台湾は中華民国政府に変わるが、彼は中華民国政府から熱烈な依頼を受けて続投する。
大学卒業後、台湾総督府に就職した彼がまず始めたのは、品種の調査。 在来の優秀品種を選び出し、不可能と言われていた台湾のインディカ種と日本のジャポニカ種の掛け合わせに成功する。 さらに病気に強く、美味しい米を模索して品種改良しただけでなく、田植えの方法も改善し、農民たちに指導した。
かつて音ゲーは枯れたジャンルと呼ばれていた。 音楽に合わせて上から流れてきたものを打ち込むというゲーム性が変えようがないと思われていたからだ。 新規客を掴めないジャンルは先細ってしまう。 そんな危機感の中、2008年にKONAMIが捻り出したのがJubeat。 4×4のパネルが未来を切り開いた。
軽々しくなければいいのかも。 彼らはそう考えた。俺たちの本気度を見せる。 工場に招いて製法も伝統に近づけていることを猛烈にアピール。 その結果、大使館は名前の使用を認める。絆されたのではない。本気度に感銘を受けたのだ。 しかし日本の一般庶民はブルガリアという言葉すら知らない。
現在、地球温暖化の『悪玉』となっている石炭火力。 だが、前述の火力発電所では現在、CO2排出削減のための最新設備を導入し、将来的には地中に埋める計画が推進中だ。 40数年前に受けた逆風と同じ。 彼らは黙々と技術を示していくのだろう。 #にいがたさくらの小話 その141改
稟議制度は日本独特らしい。 稟議制度は、下っ端が稟議書を起案する方式だが、他国では上司の命令指示が最初だそうだ。 現在の稟議制度には不合理な箇所も多いが、元々は戦国時代、最前線の足軽大将に開戦のタイミングの権限を委譲したことが始まりだという。(諸説あり) 当時は合理的な手段だった
薬用養命酒。 日本一有名な薬酒だ。 伝説では1602年誕生。江戸幕府より古い歴史を持ち、抜群の効果は口コミで広がり、伊那地方では誰もが知ってる超有名な酒だった。 企業になるのは大正時代。 伊那地方で超人気なら、東京にいけばもっと売れる。 そう目論んで東京進出したが、全く売れなかった。
明治はブルガリアの民族衣装やあの耳馴染みのある曲などで、ブルガリアという国自体を全力でアピールした。 今でもブルガリアといえば当時のCMを思いだす人も多いだろう。 本気度を見せつけた明治は、ヨーグルトの正統の地位を確立。 ブルガリアにとっても日本での知名度向上に役に立った。
「じぇんこ(お金)が降ってきた」 冬の到来を告げる雪をそう言っていた人もいたという。 氷の切り出し作業は農閑期のいい小遣い稼ぎになっていたようだ。 こうして切り出された函館の氷は、ボストン氷を駆逐し、飛ぶように売れた。 横浜や神戸などの国内だけに留まらず、遠くはインドまで運ばれた。
贋金作りに関わった人々は多い。 武士だけでなく商人達も大勢居た。 製造担当は全ての人々へ罪が波及しないように切腹して責任を取った。 罪の波及を恐れたため、大規模な事件にも関わらず史料があまり残されていない。 贋金を作った洞穴は現在も残されている。 #にいがたさくらの小話 その66改
江戸後期、山形県の庄内藩では藩主が転封で出ていく事が決定。しかも次に来る殿様は借金漬けの殿様。 その知らせに農民達はブチ切れ。 新しい殿様の借金返済に俺らの年貢が使われてたまるか! だが幕府の命令は絶対。そこで村々は団結し反対運動を行い、転封中止を勝ち取る。 一揆ではなく直訴で。
氷は儲かる。 それに気付かされて出てきた後続には、砂の混じった粗悪な氷も多かった。 そこで品質の良さを示すため、品評会に出品し一等を獲得。ブランディング戦略も行った結果、高値でも売れたのだという。 折しも機械式冷凍庫が出てくる時代。 彼の跡を継ぐ者たちは時代の変化にも対応した。
持ちかけられた陶器メーカは困った。 「いやウチ、ディナーセット作る会社なんだけど?」 だが、がいしについての話を聞くうちにやる気になった。 「営利ではなく、国家のために」 こうして共同開発が始まった。 ちなみにこの2社は、世界最大級高級陶磁器メーカ・ノリタケと重電メーカの東芝である。
その概要は、 関東、東北で戦闘が続いている中、江戸を抑えないのはよくない。 大阪は物流的に有利だが、今後は蒸気船の時代。大した利点にはならない。 大坂には政府が使える施設は少ないが江戸では諸藩邸が流用できる。 江戸は政治都市。政治から分離されればインフラが無駄になる。 といったもの
試作品に大成功した満鉄は本格的生産を検討。 大学教授たちと製法を検討した。 古来の日本刀はたたら製鉄で取れた鉄を何度も鍛えて作るが、最初っから鍛えた後以上の鉄が作れるので不要。 これまで刀匠の腕が頼りだった心鉄と外側の鋼の重ね方も、ロールによる成形技術で常に理想的な位置にできる。
日本初の横文字の薬『ウルユス』は鎖国中の江戸後期の大坂で生まれた。 蘭方やアルファベットも書かれており、西洋からの舶来品のように見えるが、実は中身は漢方薬で大坂で作られたモノ。 オランダ語も微妙に間違えているニセ舶来品だ。 だが、ちゃんと薬としての効き目はあり、かなり売れたらしい
江戸幕府成立後、対馬藩は板挟みにあった。 朝鮮の役で途絶えた交易を再開したいが、朝鮮も家康もその話は相手からしろという立場で平行線だったからだ。 更に朝鮮側からは王墓を荒した犯人を捕まえてこいという追加要求。 どうしても国交回復したい対馬藩は、偽者と書類偽造で乗り切ることにした。
冒頭の画像は稚内市役所HPからお借りしました。碑の場所は稚内市宗谷公園になります。 city.wakkanai.hokkaido.jp/kanko/gaiyo_re… 参考文献 珈琲一杯の薬理 jstage.jst.go.jp/article/jjhp/5… 天明の蝦夷地から幕末の宗谷 city.wakkanai.hokkaido.jp/kyoiku/supotsu… 千島列島をめぐる日本とロシア hup.gr.jp/modules/zox/in…
忘年会シーズンの出し物としての需要があったのだ。男女兼用って言っといて良かった。 その後、定番となってしまったため、ホタテ水着を作る日々が続く。 ネットでコアな評価を受けていたところに、市から声が掛かる。 「ふるさと納税の返礼品にしたいんです」 彼は問う。 「市役所、正気か?」
幕末にはロシアなど各国に輸出されたコンプラ瓶をだが、この可愛らしい形と欧州の日本趣味が合わさり、ヨーロッパでは空瓶に花を活けたりと、オシャレアイテムとして使われたそうだ。 今でも欧州ではアンティーク品として瓶が取引されているらしい。 #にいがたさくらの小話 その167醤油輸出·前編
大分県別府市 今でこそ日本有数の温泉地だが、江戸時代までの別府は湯治場と地獄があるだけの寂れた寒村だった 明治時代になると交通網が発達し、人の往来が増えたが、それだけでは従来の温泉地には勝てない 彼らは新技術を柔軟に取り入れ、アイディアを実践することで、現在の地位を築いたのだ
氷は食用だけでなく、保存用、そして火傷や熱病などの医療用としても使われていた。 そのため、贅沢しなくても採氷地であるアメリカ東海岸のボストンから地球を半周してきた氷を使わざるを得なかった。 氷の有用性を理解した中川嘉兵衛は、はじめ富士山麓での採氷を志す。 だが輸送中に大半が溶けた
半年もの間難破し、辿り着いたカムチャツカでは、ロシアの下っ端軍人に痛い目に遭う。 17名の乗組員のうち、助かったのは2名。ゴンザとソウザだ。 積荷のうち目ぼしいものは全て奪われ、ヤクーツクをへてモスクワへと送られる。 まだ若かったゴンザはこのときに必死でロシア語を覚えたのだという。
お茶の原産地は現在の中国雲南省貴州省あたりで、お茶を飲む習慣は中国で始まった。 そのため、世界各地の言語は中国語からの借用語となるが、その発音は大きく分けて2系統存在する。 英語などのTEA系統と、日本語などのCHA系統だ。 ざっくり分けて、大航海で伝わったのがTEA系統。陸路がCHA系統だ。
今でも明治の看板商品である明治ブルガリアヨーグルト。 製法もさらにまろやかになるように日々改良が続けられている。 ネーミングに拘ったからこそ、今でも当時の本気度が続いているのだろう。 #にいがたさくらの小話 その347