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結局無尽蔵に砂を採取できる山形県の地層に埋まっている砂にした。それをひたすらふるいにかけた。
砂の選定以外にも問題があった。
それは大きすぎるので、砂時計の上と下で温度が変わるため、物理法則に従い砂時計中の空気圧力が変わるというもの。
容器内の圧力を精密制御する機器を導入し解決。
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日本は江戸時代前期、ガチガチの鎖国状態。
そんなことはつゆ知らず、デンベイにロシア語をロシア人に日本語を学ぶよう指示。
だが、まだまだ航海技術が未発達な時代。
ロシア極東もまだまだ未知な場所が多かった。
ロシア人が日本にくるのはだいぶ先となる。
#にいがたさくらの小話 その33改
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私はプリキュアオタクなので、娘にどのプリキュアを見せればよいかの相談をよく受けます。
私の答えは毎年同じで、今やってるプリキュアです。
プリキュアは毎年その年を生きている幼女のために作られています。
初代は名作ですが、20年も前の作品です。我々が1stガンダムに感じる古さと同じです。
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物流の革命は世界の在り方も変えた。
現地で生産したほうが安かったものも、物流コストの低下により海外からの輸入のほうが安くなる場合も増えた。
コンテナ船はどんどん大型化し、港湾のクレーン設備も洗練されていく。
こうして益々安価となった物流により、世界規模で製造業の分業体制が確立。
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会社を設立して乾電池を売り出すが、当初は全く売れなかったのだという。
時代が早すぎたのだ。
転機になるのは、1904年の日露戦争。
軍事通信機用の電池の需要が急増。
質電池との競争となったが、乾電池に軍配が上がった。満州の厳しい冬の寒さの前に、湿電池が凍結し、使い物にならなかったのだ。
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ベトナムを愛している
ホンダベトナムのスローガンだ。
大量のシェア獲得後も、ベトナムに寄り添った。
排ガス処理や車種の拡充、社会貢献により、ベトナムを愛した。
欠点は見た目がダサいと思う派がいるくらいで、そういう層はヤマハを買っている。
日本と同じだ
#にいがたさくらの小話 その371
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だが明治後期を境に化学合成された安価な藍に押され、昭和中期には最盛期の1万分の1にまで減少。現在は天然素材が持つ色合いと伝統で徐々に回復している。
世界的にも特殊な製造方法の藍だが、高価なため輸出実績はないらしい。
ジャパンブルーの未来に期待したい。
#にいがたさくらの小話 その228
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アメリカから持ち帰ってきた特別高圧用のがいしを基に解析し、形、釉薬の研究を行い、国産の高圧用がいしを完成させる。
だが売り込みには苦戦した。不良品率が高かったのだ。
職人の腕のみに頼っていては、安定した製品が作れない。
製法を見直し、品質の向上に努め、海外製がいしを追い抜いた。
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さらに、砂時計の容器が国内で作れないという問題にも直面。
ドイツの職人の力を借りることになるのだが、ドイツ人には巨大砂時計を本気で作るのか訝しむ。
ふるさと創生事業という日本の制度を不思議がりながらもなんとか説得。
ちなみに砂が流れる場所(オリフィス)は日本の職人の技で解決した。
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コカ・コーラは正に王者だった。
本格的に輸入が始まると、コアップガラナは各地で窮地に立たされた。
ギリギリ間に合わせたガラナでは、人々に定着する前に剥がされてしまったからだ。
だが、北海道にはコカ・コーラはやってこなかった。当時の物流の関係上、後回しにされたのだ。
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そもそも当時の石炭は価格が高かった。
そしてなにより環境に悪い。
特に酸性雨の影響が叫ばれた時代。NOxやSOxの対応には石油火力より遥かに大規模な設備が必要となる。
だが石油一本でいいのか?
戦前の日本が石油輸入禁止で破滅の道へと加速したことも、当時の人間には鮮明な記憶だった。
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