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小さいとはいえ大聖寺藩は加賀百万石の支藩。
芸術を重んじる藩の中には、金属細工が上手い下級藩士が居た。
彼は金銀の何たるかを熟知しており、商人や協力者を仰げるネットワークも持っていた。
ちなみに浸けた温泉は、現在の山代温泉である。
これにより大阪や新潟等の本場の商人さえも騙せた。
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そんなこんなで戦地に投入された興亜一心刀が、戦車や砲弾が支配する近代戦においてどれほど活躍したのかはわからない。
だが、日本刀は魂。精神的な拠り所にはなった。
戦後は美術品でもない上に日本刀のカテゴリからも外されたので、その殆どが消えてしまった。
#にいがたさくらの小話 その21改
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その後、日本ガイシとして分離独立し、がいしだけでなくエンジン用スパークプラグ等セラミック分野へ裾野を広げる。
現在では様々な特殊材料を扱う企業として、業界をリードする存在となっている。
熱い思いがなければ、新しい技術を手に入れることは出来ないのだ。
#にいがたさくらの小話 その394
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コカ・コーラを心待ちにしていた道民も愛想を尽かし、ガラナを飲む。
こうして北海道に定着したガラナは、3年後のコカ・コーラ上陸以降も生き残れたのだ。
当時の思いが現代まで受け継がれているかはわからないが、ガラナは今日も北の大地で飲まれている。
#にいがたさくらの小話 その163改
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コーヒーは何にでも効く!と思われた頃の西洋の状況についてはこちらをご参照下さい
twitter.com/elizabeth_munh…
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バズったので宣伝です。
知り合いのクッソ田舎にあるカフェが最近通販も始めたのでなんか買ってあげてね
twitter.com/furukawa_tarak…
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どれだけ電子情報技術が発展しようと、コンテナを使った物流の仕組み自体は不変。
21世紀現在の港湾はクレーンなどの自動化をますます進め、更なる物流コスト低減に努めている。
なお、日本ではクレーン職人の腕が凄すぎるため、自動化があまり進んでないらしい。
#にいがたさくらの小話 その162改
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江戸時代の『下り酒』にルーツを持つ老舗酒造である大関にとって、カップ酒はまさにチャレンジだった。
だが同時に危機感もあった。
若者が日本酒を飲まなければこの業界全体が滅ぶ。
当時の若者はビールなどの洋酒に目が向いており、なんとかして日本酒を呑ませたい。
その思いで開発が始まる。
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仁摩町の砂浜の砂は粒度が大きかった。
粒が大きいため、何十トンもの砂が必要となり非現実的だ。
そこで、日本で最も粒が細かい場所へ向かった。そこは旧日本軍が風船爆弾に搭載する用の砂時計の材料ともなった浜。実績は十分だった。
だが、そこはリゾート開発されており、砂がなかった。
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市の名前が重複する場合は、新しく市を名乗る方が元々の市と被らない工夫を施すのが暗黙の了解だった。(北広島市、大和郡山市等)
大正13年に発足した福岡県若松市が福島県若松市と名前被りを起こし、県名も似ており郵便などでの間違いが多く発生したためとされる。
だが例外もある。府中市と伊達市だ
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一方、当時のロシア女帝アンナは日本との交易に期待した。
シベリアを経由して本国から物資を輸送するよりも安く済む上、物品も魅力的。
ゴンザとソウザは科学アカデミーへ送られ、ロシア語の読み書きを教えた。特に若く才能のあるゴンザは、すぐ上達したという。
そして彼は日本語講師となる。
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この時期、どの藩も多かれ少なかれ似たような偽造工作はしていた。
だが、大聖寺藩の贋金は群を抜いていた。
「大聖寺の小梅」と渾名がつくほど人気の銀貨だった。
作った贋金を基で元手に琵琶湖に蒸気船を導入するなど、独自の近代化を推し進めていた大聖寺藩だが、他藩からのやっかみを受ける。
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現在では、それらの若者が歳を取ってしまったり、日本酒の銘柄の多様化によって売上は落ちているが、日本酒業界は若者だけでなく海外への布教にも力を入れている。
日本酒業界はさらなるイノベーションを起こせるか。
これからの日本酒業界にも注目したい。
#にいがたさくらの小話 その344
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