それまでの日本には、加糖して寒天やゼラチンで固めたヨーグルトしかなかった。 新しい味を売り込むには、背景やストーリーが必要だ。ブルガリアという国名とは切っても切り離せない。 ブルガリア大使館にも断る理由があった 「ヨーグルトは民族の心。軽々しく他人に名を語らせるわけにはいかない」
小さいとはいえ大聖寺藩は加賀百万石の支藩。 芸術を重んじる藩の中には、金属細工が上手い下級藩士が居た。 彼は金銀の何たるかを熟知しており、商人や協力者を仰げるネットワークも持っていた。 ちなみに浸けた温泉は、現在の山代温泉である。 これにより大阪や新潟等の本場の商人さえも騙せた。
そんなこんなで戦地に投入された興亜一心刀が、戦車や砲弾が支配する近代戦においてどれほど活躍したのかはわからない。 だが、日本刀は魂。精神的な拠り所にはなった。 戦後は美術品でもない上に日本刀のカテゴリからも外されたので、その殆どが消えてしまった。 #にいがたさくらの小話 その21改
その後も諏訪湖や青森など様々な場所で採氷したが、物流に難があり挫折。 そこで開港地だった函館に目をつけた。戊辰戦争が終わり、無用の長物となった五稜郭があった。 川から流れてきた良質な水とそれを蓄える大きなお堀、寒冷地、そして函館港という物流拠点。 函館には全ての条件が揃っていた。
福岡県筑後市には鎌倉時代から続く恋愛成就の神社がある。 他の恋愛成就系神社と違い、恋愛に特化しており、全国で唯一、恋愛専門の神様『恋命』のみを祀っている神社だ。 ちなみにハートマークのようなものは、この神社の御神紋(神社の紋章)で古来からの伝統の形。西洋文化に合わせたわけではない。
その後、日本ガイシとして分離独立し、がいしだけでなくエンジン用スパークプラグ等セラミック分野へ裾野を広げる。 現在では様々な特殊材料を扱う企業として、業界をリードする存在となっている。 熱い思いがなければ、新しい技術を手に入れることは出来ないのだ。 #にいがたさくらの小話 その394
昆布は北海道や青森岩手など寒い地域でしか採れない。そのため、古くから消費地まで輸送されてきた。 特に江戸時代、大量の昆布を中継していた沖縄県と富山県には独特の昆布文化が花開いた。 なぜその2箇所だったかというと、黒幕はあの薩摩。 そう彼らは明治維新のためにダシに使われたのだ。
明治後期、北海道開拓が進むと開拓物資の搬入港、北海道産石炭の積出港としての小樽港湾の需要が高まるが、冬季の日本海は荒波。 そこで当時の最新技術を集め試験·研究し、日本初のコンクリート製外洋防波堤を建設した。 現在も現役の防波堤だ。 なお経年劣化をみる耐久試験は現在でも継続中だ。
コカ・コーラを心待ちにしていた道民も愛想を尽かし、ガラナを飲む。 こうして北海道に定着したガラナは、3年後のコカ・コーラ上陸以降も生き残れたのだ。 当時の思いが現代まで受け継がれているかはわからないが、ガラナは今日も北の大地で飲まれている。 #にいがたさくらの小話 その163改
コーヒーは何にでも効く!と思われた頃の西洋の状況についてはこちらをご参照下さい twitter.com/elizabeth_munh…
バズったので宣伝です。 知り合いのクッソ田舎にあるカフェが最近通販も始めたのでなんか買ってあげてね twitter.com/furukawa_tarak…
どれだけ電子情報技術が発展しようと、コンテナを使った物流の仕組み自体は不変。 21世紀現在の港湾はクレーンなどの自動化をますます進め、更なる物流コスト低減に努めている。 なお、日本ではクレーン職人の腕が凄すぎるため、自動化があまり進んでないらしい。 #にいがたさくらの小話 その162改
瓦は奈良時代に仏教建築と共に日本にやってきてから、ずっと変わらないと思っている人もいるだろうが、実は瓦のイノベーションは江戸前期に起こった。 役割の異なる2枚の組み合わせる本瓦葺きから、それらの機能を1枚にした桟瓦葺きに。 なので、それまでの寺社や城と一般家屋では瓦の形状が違う。
江戸時代の『下り酒』にルーツを持つ老舗酒造である大関にとって、カップ酒はまさにチャレンジだった。 だが同時に危機感もあった。 若者が日本酒を飲まなければこの業界全体が滅ぶ。 当時の若者はビールなどの洋酒に目が向いており、なんとかして日本酒を呑ませたい。 その思いで開発が始まる。
仁摩町の砂浜の砂は粒度が大きかった。 粒が大きいため、何十トンもの砂が必要となり非現実的だ。 そこで、日本で最も粒が細かい場所へ向かった。そこは旧日本軍が風船爆弾に搭載する用の砂時計の材料ともなった浜。実績は十分だった。 だが、そこはリゾート開発されており、砂がなかった。
市の名前が重複する場合は、新しく市を名乗る方が元々の市と被らない工夫を施すのが暗黙の了解だった。(北広島市、大和郡山市等) 大正13年に発足した福岡県若松市が福島県若松市と名前被りを起こし、県名も似ており郵便などでの間違いが多く発生したためとされる。 だが例外もある。府中市と伊達市だ
一方、当時のロシア女帝アンナは日本との交易に期待した。 シベリアを経由して本国から物資を輸送するよりも安く済む上、物品も魅力的。 ゴンザとソウザは科学アカデミーへ送られ、ロシア語の読み書きを教えた。特に若く才能のあるゴンザは、すぐ上達したという。 そして彼は日本語講師となる。
1900年のメンデルの法則再発見以後、様々な動植物で遺伝子地図が研究·解明されていた。 戦前に解明された中で一番詳細だったのは主要穀物のトウモロコシだが、二番目はアサガオだったという。 何故アサガオか、そのルーツは江戸後期にある。 突然変異のアサガオを作る園芸ブームが起こったのだ。
この時期、どの藩も多かれ少なかれ似たような偽造工作はしていた。 だが、大聖寺藩の贋金は群を抜いていた。 「大聖寺の小梅」と渾名がつくほど人気の銀貨だった。 作った贋金を基で元手に琵琶湖に蒸気船を導入するなど、独自の近代化を推し進めていた大聖寺藩だが、他藩からのやっかみを受ける。
幕末の長崎には女傑と言われた大商人がいた。 彼女の名は大浦慶。お慶さんだ。 江戸が黒船にビビってる時期、彼女はオランダを通じて諸外国に茶のサンプルを贈り、巨額の受注を受けて財を成した。 ちなみに彼女は、迎えた婿が気に入らず、祝言の翌日に追い出してしまったという逸話を持つ女傑だ。
霊場·恐山 元々はローカルな信仰の場であり、他の有名霊場と比べれば歴史は深くなく、発展するのは江戸時代から それ故、霊場としての固定観念が薄く、様々な文化や民間信仰を柔軟に受け入れ発展した 例えば、有名なイタコは恐山の寺(曹洞宗)の教えと一切関係ないが、追い出したりせずに共存していた
北海道の地名は基本的にアイヌ語から来ているので、当て字が多いため読みにくいものが多い。 その中でも道東、釧路町には難読地名がズラリと並んだ道道142号、通称難読地名ロードがある。 北海道の中でも特にこの地域だけ異常に難しい漢字を当てている理由は、現在のところわかってない。
現在では、それらの若者が歳を取ってしまったり、日本酒の銘柄の多様化によって売上は落ちているが、日本酒業界は若者だけでなく海外への布教にも力を入れている。 日本酒業界はさらなるイノベーションを起こせるか。 これからの日本酒業界にも注目したい。 #にいがたさくらの小話 その344
かつて七つの海を支配していた大英帝国も、植民地の相次ぐ独立によって領土は激減。 それでもまだ、太平洋にはイギリス領の島がある。 ピトケアン諸島だ。 発見時は無人島だったこの島には、『バウンティ号の反乱』という事件をきっかけに英国人が住み始め、現在でもその末裔たちが暮らしている。
コンテナは規格化されているので、ブロックのように積み込むことができ、鍵もかけられるため、盗難のリスクもない。 更に陸揚げ後、そのままトレーラーに搭載可能なので、いちいち積み替える必要もなく輸送が可能となった。 安価で効率的な輸送システムの確立により世界規模で物流の総量が増えていく