こうして東京が首都になったが、首都を定める法律は現在もない。京都に配慮した結果、東西両都という形にしたからだ。 文化は京都、経済は大阪、政治は東京という形で明治政府はスタートした。 ちなみに現在の法律では東京が首都であることを前提とした法律はある。 #にいがたさくらの小話 その310
北海道は寒すぎる。冬は暖房が欠かせず、開拓初期から薪や石炭などを燃やして暖をとらないと死ぬ。 しかし、戦中から戦後にかけての物不足で石炭や薪が手に入りづらくなると彼らは困った。 そこで、その辺の土を乾燥させ、それを燃やして暖をとることにした。 北海道の土は燃える泥炭が多かったのだ
どうやらこの話は創作だったようです。 伝説級の人なのでなんの不思議もなく書いておりましたが、お詫びします。 twitter.com/schoolwars1/st…
日本一高い空が見える場所といえば、富士山山頂なのは日本人であればほぼ全員知っているだろう。しかし、日本一低い空が見える場所をご存知だろうか? 答えは青森県八戸市の『八戸キャニオン』で海抜マイナス170m。 ここは現在稼働中の現役の石灰石採掘場なので、日に日にさらに深くなっているのだ。
紅茶の淹れ方には国際規格ISOによって定義されている。 英国規格を国際標準化したものだ。 と聞くと、英国人は正しい紅茶の淹れ方を決めたのか?と思われるがそうじゃない。 味の比較をする際に一定の淹れ方を定義しないと紅茶の味がブレてしまうからであり、一般人が普通に飲む分には何でもいい。
発射は幾度も延期され、NASAは苛立っていた。 だが、予定日の気温は低かった。Oリングのメーカーも危険だとNASAに警告していた。 NASAとメーカーは協議。NASAは「春まで待てと言うのか?」と激怒。安全でないならそれを示せと突き返す。 メーカーは困る。メーカーにとってNASAはお得意様だったからだ
こんなフランスアルザス地方みたいな風景が、愛知県犬山市で見れるとあって、かなり映えスポットとしても魅力的。 民族衣装の貸出も行われているので、インスタとも相性がいい。 平日は人がほぼいないので、写真を取りたい方は平日がオススメだ。 持込のコスプレはイベント以外では禁止なので注意。
天然痘が流行した江戸後期。予防接種である「牛痘」がオランダ領から長崎に到着。 オランダの医学書を読んでいた医師達は日本各地へとそれを持ち帰り、会場を設け接種していく。だが庶民は訝しみ、接種が進まない地域も。 各地ではポスター作ったり、藩主の息子に接種させたりと普及に努めた。
本州と北海道を分かつ海、津軽海峡。 日本だけでなく、韓国、ロシア極東、中国北部などから北米への最短経路の国際海峡だ。 海峡の真ん中は日本の領海ではなく公海であり、様々な国の船が通る。 ちなみに津軽海峡の海面下にある青函トンネルの中は日本の領土なので、公海の下に領土があることになる。
バンザイは大日本帝国憲法と共に生まれた。 憲法発布の記念式典の際に、黙っていては盛り上がらない。しかし、唱和する言葉がない。 そこで当時の文部省や帝国大学などが案を検討。出てきた案を実際にやらせてみて、バンザイになった。 それから当日までは、ひたすらバンザイの練習をしたのだという。
ゴンザは1739年に21歳で亡くなる。 彼の没後は日本語教育が下火になるが、新たな日本人漂流民が発見され、モスクワへ送られて講師となり、存続していたという。 ちなみに彼らの出身は、現在の青森岩手。 薩摩訛りの次は南部訛りだ。 #にいがたさくらの小話 その115改
1960年代、珍味を扱う会社は打撃を受けていた。 中国との関係悪化により中華料理で使うクラゲの輸入が停止したからだ。 そこで代替品を作るための研究開発が始まり様々な材料を試行錯誤するが失敗。 研究員は失敗作を試食している際に気付く。 「これカニっぽくね?」 カニカマはこうして生まれた。
幕末は蒸気船と共に始まった。 聡明な藩主達は新時代到来を予見し、蒸気船製造の研究を進めた。 薩摩·水戸·佐賀等の名だたる大藩の中に、中規模藩の伊予宇和島藩もいた。 「藩内に蒸気船が作れそうな者はおらぬのか?」 その問に家老は一人の男を推挙した。 貧乏長屋に住む提灯張替職人のおじさんを
アメリカ先住民の文字の一つに、チェロキー文字がある。 文字が読めないチェロキー族の開発者が、誰から教わる事もなく、たった一人で、文字通りゼロから文字体系を作り上げた文字だ。 なのでアルファベットに似ている文字もあるが、読み方は全く違う。 例えば、[ᎠᎢᎤᎡᎣ]で[あいうえお]と読む。
技術者たちはデータを漁った。だが、はっきりと確実にダメだという核心のデータはなかった。それでも技術者たちは、打ち上げ延期を主張した。 メーカーの経営者層は、技術者の主張とお得意様を天秤にかけた後、喰い付く技術陣トップにこう言った 「技術者の帽子を脱いで、経営者の帽子を被りたまえ」
青森県新郷村。 酪農を中心とした山間ののどかな村だが、昭和10年に衝撃の転機を迎える。 新興宗教の教祖により、『キリストの墓』が発見されたのだ。 ここはゴルゴタの丘ではない。 だが、観光スポットに乏しい村にとって、正に神がくれたチャンス……。 村は『キリストの墓』にのっかることにした
8代将軍徳川吉宗による、洋書の輸入制限緩和で西洋天文学が日本に齎された。 西洋天文学を使って微妙にズレていた当時の暦を修正したい。それには望遠鏡が必要だ。 だが当時の輸入望遠鏡は真鍮製であり、重くて不便。もっと良い材料はないのか? そこで考案されたのが紙。 紙で望遠鏡を作ったのだ。
技術陣のトップはその言葉に折れてしまう。彼は経営側の人間でもあったのだ。 それでも技術者たちは強硬に反対した。 しかし、経営者層での意思決定では満場一致で打ち上げ延期勧告の取り止めとなってしまう。 こうして技術者たちの懸念通りに事故が起き、7名の宇宙飛行士の命が失われてしまった。
伝兵衛は困惑した。 大阪谷町の質屋の息子だった彼は、江戸への航海中に遭難。 流されてカムチャツカに辿り着いた時には生存者はワシだけ。 現地のイテリメン人に捕縛されていたところを、救助されたはいいが、モスクワってどこやねん! ちなみに、江戸→インド、大坂→ウザカと間違えられていた。
南満州鉄道株式会社は鉄道だけの会社ではなかった。 製鉄や鉱山開発、シンクタンクなどあらゆる範囲をカバーする会社だった。 冶金や金属材料の知識もある。 近代的な設備と満州の鉄で、とりあえず試作して刀剣会に出品したところ、江戸初期の名刀・初代忠吉と間違えられる程の出来栄えだったという。
青森県陸奥湾を代表する海産物ホタテ。 だがかつては、漁獲量が不安定だった。 自然に任せた方法だと、大量発生し数年は大漁が続くが、その後はまた不漁となる。 なんとか安定して獲りたい。 人々の叡智を結集し、ついに養殖に成功する。 養殖成功の決め手となったは、一介の漁師が発案した玉葱袋だ
1957年に帰国するまでの台湾農業改善による台湾経済への効果は大きい。 農家の収入は増え、蓬莱米輸出による外貨獲得、それによる工業への投資と、今の台湾の発展の根源を生み出したといっても過言ではない ちなみに台湾ビールにも蓬莱米が入っている。台湾の命だ。 #にいがたさくらの小話 その31改
上記の話は津軽藩兵をベースに書いてます。 ちなみに増毛を守っていた秋田藩兵は、自生していたハマナスをお茶にして飲んだので壊血病には罹らなかったそうです。
江戸時代、戦乱がなくなり太平の世となり経済が発展したが、寺社は困窮した。 寺の補修のためにはカネが欲しいが、寺には仏様しかいない。 そこで、江戸や京都、大坂へ出向き、寺社が持つ秘宝·秘仏を公開する出開帳を始める。 推しが地元で見れるとあって信者達が集い、大規模イベントとなった。
日本刀最大の弱点はシベリアの-20℃以下の環境では低温脆性により折れてしまうことにある。しかし、満鉄刀は近代材料技術によりカバー。 日本刀の特性である、折れず曲がらずよく斬れるを残したまま実戦に適した刀となった。 刀には魂が宿る。 満鉄刀だと魂に失礼なので「興亜一心刀」と命名された。