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こうして明治農法と名付けられ、全国展開した農法により、水田の反収は飛躍的に進化を遂げた。
この後、日本の農学は確立し、品種改良や化学肥料等が普及していくわけだ。
ドイツの科学は世界一と日本の伝統を混ぜ合わせて僕らの祖先はコメを作っていたのだ。
#にいがたさくらの小話 その90
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ドイツ人が着目したのは農法ではなく土壌。
多くの地方では田んぼの水を抜かない方式だったため、深く耕せず土地が痩せたと指摘。
水を抜き深く耕す方法は実は既に日本にもあった。
江戸より前に朝鮮から伝えられ北部九州で継承されていた方式だ。
ドイツ人の根拠をもとに全国的に普及することに。
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茶分科委員会の会議にて、日本はプレゼンを行う。最高級の京都府産抹茶と最高級の福岡県産玉露を携えて。
「原案の規格に示された成分表からは外れてしまうが、これらも緑茶です」
猛烈にアピールを行い、会議の参加者に味で納得させ、規格の脚注に玉露や抹茶の事情を明記してもらえることに。
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玉露も抹茶の原料である碾茶も、生育過程で日光を遮ることで苦味成分であるカテキンを減らしたお茶だ。
原案には「緑茶は機能性成分のカテキン類が含まれることが優れた特徴。」と書かれており、その下限値が示されていた。
日本は議決権のない立場だったが、議長国の英国に掛け合い、問題点を指摘
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最初は本気で攻めてきたと思っていた住民達は、鍬や鎌で武装。殺気立っていた。
村の数少ない知識人である小学校の先生が、白旗を見つけ、投降していることがわかる。
投降した者は丁寧に扱うのが国際的な条約。
攻めてきたのではないとわかると、村の人達は脱出用ボードを誘導し、乗組員を救助。
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言葉が分からないが、相手は困った人間。
ロシア兵たちは、日本式の風呂にビビる。
釜茹でにして殺されるのではないか?
そんな誤解を住民達は身振り手振りで応える。
また、寒さで凍えている少年兵に対して、人肌で温める母親もいたそうだ。日露戦争で戦士した我が子とダブったのかもしれない。
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このマニ車もガチもんの関係者によって作られているので、法力も半端ない。
民族学に興味ある人はぜひ行ってほしい。
興味がない人はメシを食うだけでも楽しめるので、行ってほしい。
ちなみに屋内の常設展は開館以来ほぼ変わってないので、ちょっと怖い。
#にいがたさくらの小話 その338