日本には五稜郭が2つある。 一つは戊辰戦争の激戦地、北海道函館市の五稜郭。 そしてもう一つは何故か長野県佐久市にある。しかも佐久市の中心からだいぶ離れたところに。 なんでこんな微妙なところに五稜郭が建てられたのかには諸説ある。 その中でも私は『カッコいいから』という説を推したい。
鳥取県はかつて、島根県に併合されていたことがあった。 明治9年のことである。 どうでもいいのだが、本人たちにとっては一大事。 鳥取人たちは一致団結。 裏に表に様々なレジスタンス活動を行って、明治14年、鳥取県は独立を果たす。 ちなみに、独立記念日9月12日は鳥取県民の日となっている。
元々羽咋市は8世紀頃の古文書にUFOっぽいのが現れたという記述があり、それに全乗っかりでUFOの町をアピールしている。 当初はそのシンボルとして建てられだのがこの宇宙博物館、コスモアイル羽咋だ。 しかし建物の建設に予算を使ってしまい、展示物にかける費用がない。 焦った担当者はNASAへ向かう。
炎上商法と焼畑農業、名前は似ているが全く違うものだ。 双方とも環境の悪化を無視して畑を燃やし、一度きりの収穫を狙うようなイメージを持つ人も多い。 だが伝統的な焼畑農業は、地域の自然特性をうまく利用して肥料や農機を使わず労働生産性を高められる循環的な農業。 遅れた農法というのは偏見だ
明治時代、あらゆる西洋文明が受け入れられる中、ワインは受け入れられなかった。 当時の日本人には酸っぱすぎたのだ。 そこに気付いた実業家・神谷傳兵衛は、漢方薬や蜂蜜を入れマイルドにしたワイン『蜂印香竄葡萄酒』を売り大ヒットさせる。 そこで弾みを付けた彼は国産ワイン製造を志した。
製氷会社として生まれ変わり、会社合併などの紆余曲折を経て、現在は冷凍食品でお馴染みのニチレイとなっている。 時代や売るものは変わっても、冷たいもので人々を温かい気持ちにしたいという思いは、今も当時と変わらないのだろう。 #にいがたさくらの小話 その87改
彼らは米、味噌、沢庵、漬物など新鮮な野菜以外は本土と変わらない食事を取っていたが、ビタミンは足りなかった。 ビタミン不足を補う大根が支給されることもあったが、全員には行き渡る量ではなかった。 そもそも寒い蝦夷地。 極寒の中、知識のない彼らは謎の奇病にやられ、壊滅する隊もあった
アメリカ北西部ワシントン州シアトル。 タリーズコーヒーやマイクロソフト等で有名な港湾都市で、日本人にもイチローが在籍していたマリナーズなどで知られる。 1860年代まで寂れた西部の寒村だったこの街は、鉄道による物流で発達したが、もう一つ理由がある。 日本とアメリカの最短経路だったからだ
日本側にも緑茶の定義の議論以前の態度を反省し、議決権を持つメンバーになる。 現在は抹茶の定義について、日本主導で国際規格化が進行中。規格ができれば、偽物を締め出せる。 国際規格には魂が宿る。 魂を吹き込む際にはそれに立ち会う必要があるのだ。 #にいがたさくらの小話 その309·茶ISO後編
三角形で絵を作るフィールドアートなども見事だ。 2022年11月15日で10周年を迎えるIngress。 これまで様々な遊びをやってきたし、これからもまだ知らない遊び方があるかもしれない。 様々な人が一緒にやるからゲームは面白い。 真剣にやってます。仕事じゃないので。 #にいがたさくらの小話 その300
この事象は大学の技術者倫理の授業でほぼ必ず登場する有名な事故。 登場人物の誰かを「悪」として批難することは容易だが、事故を防ぐのは難しい。 物事を短絡的に捉えて、「悪」を糾弾するだけの人間は、この登場人物の誰に成り代わっても事故は防げないだろう。 #にいがたさくらの小話 その336
その後乗組員達を引き渡しても、住民達は彼らを思い、次の年からロシア祭りをすることにした。 戦争や担い手不足などいくつかの中断はあったものの、2022年現在まで続く。 文化や主義は違えど相手も人間。 人助けの話はこれからも語り継がれるだろう。 #にいがたさくらの小話 その383
石川県羽咋市神子原地区。 里山の中にひっそりと棚田が広がる場所で、そこで取れるコメは旨いのだが、認知度が低かった。 「誰か有名人に食べてもらってブランド化しよう!」 様々な場所に依頼をかけるが、難しかった。 だが一箇所だけOKの返事が来る。 こうして神子原米は、ローマ法王に献上された
しかし日本にはオランダから入ってくる書物だ。 「コーヒーが効く!」 1803年に日本の蘭学者がそう紹介した。 だがそれは、150年前の誇大宣伝。 既に西洋では柑橘が効くことが知られていた。 しかし、オランダは商機を感じた。 当時、オランダはインドネシアでコーヒーを作っていたからだ。
幕末、薩摩藩は諸藩に先んじて近代化の重要性を感じた。 近代兵器を自作せねば。 様々な技術を海外から輸入し、近代的な機械工場も作った。 戦争に備え弾薬は大量に必要だが、薩摩には火薬の起爆剤を作るために必要な工業用アルコールが少なかった。 そこで量産されるようになったのが、芋焼酎だ。
太平洋戦争勃発後の米国中枢は困っていた。 軍事作戦の成功には相手国の理解が必要だが、当時の米国中枢には東洋人への偏見に満ちていたからだ。 そこで学者を総動員し日本の国民性を研究させた。 その際の報告書がNo.25、『菊と刀』。 そこでは、欧米を罪の文化、日本を恥の文化という見方を示した。
第一次世界大戦で欧州の主要都市が戦果に見舞われ、英国は困った。 銀食器が手に入らない! 開戦前はドイツから輸入していた銀食器。 彼らにとって銀食器はステータスを示す道具でもあった。 大正時代。まだ日本には洋食器が普及してない状況。 だがそんな中、銀食器を作ったのが新潟県燕市だ
結構古い本に書いてあったんだけど、英語ネイティブな人、これ本当なの?
1913年タイ王国。 苗字必達令により庶民に苗字を強制したが、多くの庶民が困った。 ほぼ全員が苗字そのものを知らなかったからだ。 困った政府は、苗字のサンプルを作り配布。 庶民はそれを参考に苗字を考えるが、彼らは他人と被るのを嫌う。 なので今でもタイ人の苗字は種類がめちゃくちゃ多い。
島原の乱は、疲弊した農民、領主の圧政、キリシタンに立ち返ったもの、早期鎮圧したい幕府中枢など、様々な思いが交差していたが、援軍を要請された九州諸藩にはどうでも良かった。 大坂の陣以来20年振りの大戦。 身体は闘争を求める。 各藩はいきり立ち、幕府からの要請よりも多く兵士を派遣した。
江戸時代、戦乱がなくなり太平の世となり経済が発展したが、寺社は困窮した。 補修のためには、カネがいくらあっても足らない。しかし寺は仏様しかいない。 そこで人々に寄付を募るため、江戸や京都へ出向き、寺社が持っている秘宝·秘仏を公開する出開帳を始める。 江戸時代の大規模イベントだ。
第二次世界大戦中の米軍は広く遠い戦線に兵隊を送り込んだが、兵士は不満だった。 移動時間が暇すぎる。 戦地に着く前に不満が爆発してしまうことを懸念した軍は、累計1億冊以上の本を支給するプランを策定。 内容も戦意高揚のようなカタい話ではなく、娯楽小説がメイン。 ポケットサイズの暇潰しだ。
栃木県鹿沼市。 江戸時代から続く麻の産地で、今でも日本一だ。 麻は縄文時代から衣服や布、漁労用の網、宗教的行事など日本人に親しまれた素材。 麻を大麻と呼ぶのは明治時代からで、外国の麻と区別する必要があったから。 なお現在国内で生産されている品種には幻覚成分がほぼ入っていない。
打ちこわし 江戸時代の都市で、飢饉などによる物価高の際に値を吊り上げて私腹を肥やす商人や役人の店や家を襲撃する行為のことだ。 だが打ちこわしにはルールがある。 盗みや人に危害を加える等は禁止。 見物していた武士が『誠に丁寧に狼藉仕り候』と感想を述べるほど、秩序のある集団行動なのだ
江戸時代は藩が境目で、人の往来も制限されていた。せっかく編み出した農法も、農書という書物にはできたが、教え広めることはできなかった。 老農たちが集まる農談会では、種籾の交換や農具の改良情報が積極的に行われ、地域を超えた人材交流も進む。 なおイギリス人に代えて雇ったドイツ人は活躍する