17世紀末、極東を探検中のロシア人は奇妙な男を発見。 男は上品な漆器、陶磁器を持っている。只者ではない。 だが言葉が通じず、事情聴取不可。 そこで男をモスクワまで輸送し皇帝に謁見。 聞き取れた言葉を基に『インド帝国のウザカ人·デンベイ』と報告した。 これが日本とロシアの初接触だった。
日本初の入浴剤、バスクリンは偶然から生まれた。 生薬を加工して薬を作っていたのだが、生薬の切れ端が余る。 勿体ないので風呂に入れたのが始まりだ。 温まるし、あせもにも効く。 それが社長の目に止まり、明治30年に商品化。 ちなみに当時のクレームは「温まり過ぎて夏ヤバい」だったそうだ。
1943年農業国メキシコは小麦が罹る病気のせいで約半数を輸入に頼っていた。 その後、品種改良により病気は克服したが、今度はたわわに実った穂により茎が折れる問題に直面した。 そこで導入されたのが、小麦農林10号という品種。 後に世界の小麦畑を一変させるこの品種は、戦前の日本で生まれた。
北陸の冬には欠かせない消雪パイプは偶然から生まれた 昭和30年代の冬の新潟県長岡市 道路工事中に不具合で地下水が湧き出てしまうことに始まる。 天気は雪だが、地下水が出た箇所だけ雪がない。 地元住民は気づいた。地下水は雪を解かせるということに。 そして消雪パイプの技術開発が始まった。
スプレもんに限らず、ロボコンには若き技術者のアイデアが詰まっている。 特にルールのQ&Aは必見だ。 そんなことまで考えるの?というのは、ロボコニストにとっては褒め言葉。 回答する方も大変だろうな。 わたしも昔やってましたけど。 #にいがたさくらの小話 その99改
戦後、紙を切る道具は主にカミソリが使われていた。 カミソリの刃先で切っていたのだが、使っていくうちに次第に切れなくなっていく。 大部分は大丈夫なのに切先だけ悪くなると取り替える必要があり、勿体なかった。 大阪の印刷会社に勤めていた男が、その常識を覆した。 それが折る刃式カッターだ
色を変えるというアイデアはあまりにも奇抜だったが、技術が追いつかなかった。 スプレもんは伝説だけ残して一回戦で敗退。 床にドバドバと垂れる塗料に大会運営は困りまくる。 ちなみに作った大分高専は17回大会まで、惜しいところで全国出場が果たせなかったが、スプレもんの呪いと呼ばれた。
石油危機が起こる前、誰もが中東の石油の安さを信じていた。 一方国内の石炭は斜陽産業として衰退し、保護されながら、ゆっくりと死を迎えると思われていた。 ましてや、石炭の輸入など想像すら……。 石炭は汚い。オワコン。 日本初の大規模海外炭火力発電所は、そんな逆風の中、検討されていた。
全ての国道を過去にする。 衝撃の国道0号
新潟県長岡市山古志村 雪深いこの地には、全長922m日本最長の手掘りトンネルがある。 中山隧道ができるまでは、冬、雪に閉ざされていた。 集落の人々は病人が出ても医者に診せることもできない。 「峠さえなければ」 だが、資金はない。 そこで彼らは自らの手でツルハシを持ち掘り進めることにした
昔のビルは壁がコンクリートだったが、最近施工されたビルはガラス張りのようになっていて、都会らしさが際立つ。 とはいえ、オサレなデザインだからガラス張りのビルが乱立している訳ではない。 ガラス張りのほうがコストが安く、そして高いビルを作りやすいためである。 理由は材料が軽いからだ。
北海道長万部町·国縫(くんぬい)漁港。 人工島へは橋で行き来するためワイングラスのような形となる。島式漁港という方式で、日本では国縫漁港が初。 この形の理由は、波の力によって運ばれてくる砂が漁港内になるべく溜まらないようにするのと、近隣の海浜への影響を最小限にするためだ。
しかし、臆することなくその金額ならいらんからロシアに持って帰れ、と指摘。輸送費も馬鹿にならない。こうしてロシアからも購入に成功。 こうしてガチな展示物が並ぶ博物館になったのだ。 ちなみに当初目的だったUFOの話は申し訳程度に展示してある。 #にいがたさくらの小話 その58
大正時代、淡路島の小作農民達は過酷だった。 他の地域では小作料として米を払えば済むのに、淡路島だけは二毛作の麦まで現物納品していたからだ。 「稼げる物を植えんとアカン」 そこで試されたのが、玉ねぎ。 これが淡路島の気候や農家にマッチし、現在まで100年以上続く玉ねぎの名産地となった。
NASAに展示してあった月面探査機は貸出しをしていることがわかった担当者はこれを借りることに。貸出期限の欄に100年と書いて。 NASAに面白い日本人だな、と笑われるが、「イギリスだって香港を100年借りたんだ。俺たちだってこれを100年借りても手続き上問題ない筈だ!」と言って食い下がる。
戦前、世界第三位だった日本商船隊は第二次世界大戦で徴用され、殆どは喪失した。 戦後の政府は、船のレンタル料や補償金などの権利に100%の税金をかけた。つまり、踏み倒したのだ。 金も船もない船会社。残ったのは人だけ。 だが、人が持つノウハウを元手に日本の商船隊は奇跡の復興を成し遂げる。
伝説が起きたのは、第4回。しかも地方予選だ。 この年のルールは、ロボットで箱を積み上げるというもの。 ただし、一番上の色のチームがその特典を総取りするというルール。 スプレもんは箱を乗せるという常識から解き放たれ、塗料をかけた。 スプレもんという名前だが、チョロチョロと流した。
北海道猿払村。 今でこそ国内有数の裕福な村だが、かつては、『貧乏見たけりゃ猿払へ行け』と言われた程貧しい村だった。 昭和29年以降にニシンの群れが途絶え、その後炭坑が閉山。乱獲によりホタテなども壊滅。 役場職員の給料も払えない程の困窮。 そんな状況の中、彼らはホタテ養殖に全てを賭けた
事態は海外に出ていくだけにとどまらない。 三角形を作るゲームなのだが、一つの拠点(ポータル)にリンクを集中させるスーパーノヴァという遊び方も出てくる。当然、プレイヤーは全国各地、海外からも含めて集まる。公式なイベントではないにも関わらず大量の人員がゲームのためだけにリアル移動をした
開国後、多数の外国人が商売をしに横浜に来るが、当然日本語はわからない。 商売には会話が必要。そこで現地の欧米人が聞き取れた言葉や欧米の言葉を混ぜたカタコトの日本語が誕生した。 横浜ピジン日本語やYokohameseと呼ばれる言葉だ。 現代日本語のちゃぶ台の「ちゃぶ」等もこの言語が由来だ。
現在ベトナムの二輪車のシェアは7割がホンダだ。 だが2000年、シェアは9%まで落ち込む。 中国系の超低価格二輪車の登場によりシェアを奪われたからだ。 このことに衝撃を受けたホンダは、超低価格路線に本腰を入れ、ベトナム向けの低価格二輪車WAVE αを導入。 シェアを取り返す以上の活躍をした。
アメリカ人気質なNASA職員はこれを気に入り、実際に貸し出された。ついでに使用済ロケットも格安で売ってくれた。 これに味をしめ、今度はロシアに向かい、これまた格安で買付る。一旦物品の真贋を確かめるためNASAに輸送すると、一桁多くふっかけられるというトラブルが発生。 しかも相手は軍人。
オランダに支配されていた頃のインドネシアでは、各地の勢力が独立のために連携を模索していた。 だが、彼らは多民族国家。どの言語を使うのかで困っていた。 まさかオランダ語を使うわけにもいかない。 そこで、どの主要民族の母語でもない言語を『国語』に定めた。 それが、インドネシア語だ。
明治時代、椎茸は松茸の10倍の値段する高級品。 当時の椎茸採取方法は榾木に鉈で傷付け、シイタケ菌が着くのを待つガチャ方式で、菌が付着せずに爆死する者もいた。 安定して生産したいが、西洋には椎茸がないので資料はない。 しかも江戸時代までの日本人は、きのことは何かすら理解していなかった。
東京都小笠原村は本土とは違う歴史を歩んだ。 1830年代に欧米系や太平洋の住人が住み始め、明治に日本領になり八丈島人が移住、戦後には米軍統治下で英語教育がなされ、1968年に本土復帰。 様々な言葉が混合し、本土復帰直後の欧米系島民はこんな感じで喋っていた。 「おまいはmeらのteacherかい?」