現在のプリキュアで19作目。 作品によってジェンダーや働き方、絆や宇宙、そして食事など、テーマは様々だが、女の子だって暴れたいというコンセプトは継続し、現在も人気を博している。 ちなみにプリキュアが何人居るかを問うのは愚問で、答えは70億人以上だ。 #にいがたさくらの小話 その200
明治時代、来日した欧米人に「ジャパンブルー」と言われるほど人々は藍色の服を着ていた。 抗菌性のない木綿を着るには、抗菌性の優れた藍染をしなければ清潔を保てなかったからだ。 日本では藍の染料の栽培場所は限られ、徳島県吉野川流域などで主に栽培されていた。 暴れ川の近くが適地だからだ。
理系文系論争なんてよく見かけるけど、理系だろうが文系だろうが、学問とはロジカルに考えるものであるはずなので、文系が感情的っていう前提がそもそもおかしい気がしている。
諸説あるが、世界初の乾電池は明治20年の日本で誕生したという。 発明者は屋井先蔵。 丁稚奉公からの叩き上げで、現在の東京理科大の職工として働きながら、試行錯誤して完成させた。 だが、彼には特許の知識もカネもなかったため、世界初の特許は逃したという。 しかし、彼は後に乾電池王となる。
1960年代、コカ・コーラ本格輸入開始。 その情報にラムネやサイダーを作っている日本の中小企業は戦慄した。 あれは美味すぎる。 勝てない。 彼らはコーラに負けない飲み物を世界中から捜し出す。 そしてみつけたブラジルの飲み物に一縷の望みを掛けた。 それが現在の北海道名物。 『ガラナ』だ。
戊辰戦争の頃、石川県加賀市にあった大聖寺藩には新政府から弾薬供出が命ぜられた。 だが弾薬を買うカネはない。 そこで手を染めたのがニセ金製造。 銀を溶かし不純物を混ぜ、メッキを施す。 出来栄えは完璧だったが、担当者は思った。 「新しすぎて怪しまれる。温泉に浸けて使用した感を出そう」
完成したのは「女の子だからおしとやかにしなさい」という当時まだ蔓延っていた概念の真逆を行く物語。 その姿に当時の幼女は熱狂。玩具も大盛況。2年目も大ヒット。 だがプリキュアは少女たちの成長を描く物語。次作を作れば物語が複雑になってしまう。 そこでキャラを変える戦隊モノ方式を導入。
幕末、南部盛岡藩は度重なる蝦夷地警備の負担により財政が悪化していた 「10年間で功績上げなきゃクビな」 下級武士達はリストラの危機 困った彼らを救ったのは、当時60代のおじいちゃんと、木すら生えない不毛の原野だった 「ここに街を創ろう」 こうして開拓された街が、現在の青森県十和田市だ
俵。 古来から、米だけでなく、麦、塩、海産物、肥料等あらゆるものを梱包してきたものだ。 だが明治初期、俵の作り方は雑で、中のものが溢れたり、俵自体が破損するものも多かった。 更に大きさが一定ではないため、場所場所で検査が必要となり不便だった。 この米俵の改良に生涯をかけた人間がいた
古くから玉ねぎの産地である淡路島。 淡路の農地はぬかるみが多く、昭和30年代の軽トラではスリップするため畑に入って行けず、玉ねぎを運び出すのに苦労した。 だがトラクターは当時まだ高価だった。 そこで地元の鉄工所はスクラップ部品と鉄骨を使って問題を解決した。 それが「農民車」だ。
日本人が初めて世界一周したのは江戸中期。 しかもただの庶民だった。 1793年に石巻から船で江戸へ向かう途中で漂流し、アリューシャン諸島へ。 その後ロシア人に助けられイルクーツクへ。 10年程滞在した後、ペテルブルグで皇帝に謁見し、なんやかんやあって1804年に長崎まで輸送され故郷へ辿り着く
黄金の国ジパングは過去の話で、既に掘り尽くしてしまったと思っている人も多い。 だが実は、現在でも商業規模で稼働中の金山が鹿児島県にある。 それが、菱刈鉱山だ。 1985年に金採掘が始まったが、現在採掘した分だけで、佐渡金山の累計産出量の3倍以上、260トンもの金を産出した鉱山だ。
江戸前期、領内を調査していた津軽のサムライは困惑した。 「土の中から謎の焼き物が出てきたんだが?」 何だコレは?訳がわからん。 とりあえずそう日記に記した。 現在の世界遺産·亀ヶ岡遺跡である。 この情報が都会に伝わると愛好家たちがこぞってこの土器を集め、海外にまで渡った土器もある。
東日本大震災 大災害を前に医療関係者たちは、全国から被災地へ向かった だが、医療現場で彼らは困った 患者の言葉がわからないのだ 地元の看護師に翻訳してもらわないと、診察すらできない 間違って方言を解釈してしまえば命にも関わる そこで作られたのが『東北方言オノマトペ用例集』だ
肥後細川家の殿様は病弱だった。 殿を心配する家臣達は、地元で取れる上に滋養強壮効果のある蓮根に着目した。 「これならいける」 だが殿は嫌った。 「泥まみれで、穴の空いた物など食えるか!」 なんとかして食わせたい。 そこめ城の料理人が必死で考え出したものが、熊本名物『からし蓮根』だ。
その後も、登場プリキュアを増やしたり、敵を味方に引き入れたりと、常に新しい要素を入れ毎年違うプリキュアが誕生する。 スタッフが萎縮せず新しいことができるように、プリキュアの生みの親は勇退し、制作スタッフが変わるごとにイメージもガラリと変わるスタイルに。 戦隊モノのシリーズのように。
江戸時代、米相場の発展に伴い情報の速達性が尊ばれた。 相場情報を印した紙を昼夜交代で飛脚を使っても江戸大坂間で3日かかるのが商人の悩みの種だった。 「速さが足りない!!」 そこで使われたのが旗振り通信。 これにより江戸大坂間で最速8時間。瀬戸内沿岸なら1時間もかからず情報伝達可能に
薩長土肥。 幕末に活躍した4つの藩のことだ。 西郷どんの薩摩藩、テロも辞さない長州藩、日本の夜明けぜよの土佐藩と比べて肥の知名度は低い。 肥前佐賀藩。SAGAのことだ。 佐賀藩は幕末最強の軍事技術で活躍したのだが、なぜ佐賀藩がその役を担えたかには理由がある。 藩主がミリオタだったからだ
『がいし』 電線とそれを支える物の間を絶縁しながら繋ぐ器具だ。 日本では明治3年に電信用のがいしを国産化。陶磁器の歴史を持つ日本には比較的容易だった。 しかし、特別高圧のがいしはそうはいかない。 電気工学の知識が必要だからだ。 「国産化したい」 電機メーカは陶器メーカに持ちかけた
和気あいあいなムードが一変、ガチ勢の作戦により会場は阿鼻叫喚に包まれた。 会場は東京なのに、焦点は3点のうち唯一日本国内である極寒の襟裳岬! 結局対抗イベントは奇策を用いた緑チームが勝利。 それからIngressをやる面々の中には、ゲームをやるためだけに海外へ行く頭のおかしい人達が出始める
こうして導入されたコーヒーは1855年の宗谷警備で飲まれた。 極寒の地で淹れられたため、浅煎りで粉も混じった一杯だったと想像される。 その条件では、ビタミンCが吸収される割合が飛躍的に高まるらしい。 偶然に偶然が重なり、コーヒーによって命は救われたのだ。 #にいがたさくらの小話 その389
青森県陸奥湾。 ホタテ養殖が盛んな地だ。 ホタテ貝を鍋代わりにして、卵と味噌を入れて煮る、みそ貝焼きという郷土料理がある。 2011年の東日本大震災では被害はなかったものの、観光客が激減。 みそ貝焼き用のホタテ貝が余ってしまった。 「どうにかして欲しい」 頼まれた男が閃いたのがコレだ。
1970年の大阪万博は日本のヨーグルトの歴史も変えた。 舞台は勿論、ブルガリア館。 その味に衝撃を受けた明治の社員は、その場でヨーグルトを貰い、研究所で商品開発を開始。 それまでの日本にない新しい味。 売り込むには本場の名前を冠した商品にせねば……。 だが、ブルガリア大使館に断られる。
日本を代表する調味料·醤油は江戸時代、上方から江戸に大量輸送されていたことは有名な話だが、実は長崎を通して海外にも輸出されていた。 長崎から欧州へ輸出するのだが、木製の樽のままでは長時間の輸送中に劣化し、醤油本来の風味が失われるのが問題だった。 そこで開発されたのがコンプラ瓶だ。
戦前のアメリカ·カリフォルニアには、『ポテトキング·馬鈴薯王』と呼ばれた日本人がいた 彼の名は牛島謹爾 20代前半で単身渡米 白人が嫌っていたデルタ地帯を開拓して頭角を現し、広大な耕地を管理し、当時の米国全体の約1割のじゃがいもを生産するに至った傑物だ