神社のご利益は、その神社の御祭神が持つご利益と建立後に噂や逸話で追加される2パターンがある。 現代では恋愛成就が人気だが、この追加されたご利益が殆どだ。 だが、鎌倉時代から恋の神「恋命」のみを祀る神社が世界に一つだけ存在する。 福岡県筑後市の恋木神社だ。 ちなみに恋以外のご利益はない
黒船来航より前から蒸気船の存在は知られており、聡明な藩主は各自で蒸気船製造の研究をしていた。薩摩、水戸、佐賀等の名だたる大藩の中に、何故か小藩の伊予宇和島藩もいた。 蒸気船を作りたい。そのために作れそうな人材を藩内中から探し回り、一人の男に依頼した。 「わし提灯張替職人だが?」
英国海軍のカレーの流れを汲む当時のカレーには、南アジア料理では定番のチャツネが添えられていた。 だがある時、チャツネを切らしてしまう。 困ったシェフは代わりに福神漬を添えたのが始まりだという。 ちなみに福神漬を添えたのは一等客のみで、二等以下の客には沢庵が添えられていたらしい。
国際規格ISOの中でもお茶は、食品専門委員会茶分科委員会という専門の会議体を持っており、お茶にまつわる様々な規格を作っている。 英国等の西欧はお茶の大量消費国。 自国生産不可のため輸入となるが、以前はその際に偽物や混ぜ物などが蔓延り品質低下したため、国際的な規格が必要だったのだ。
産業革命は蒸気機関の改良、農業革命はノーフォーク農法の発展など、革命には技術革新が付き物。 第二次世界大戦後のアメリカの物流でも革命的なことが起きた。積卸時間を大幅に短縮させたり、船舶とトラック輸送を効率よく連結するモノが発明されたからだ。 それは四角い箱。 つまり、コンテナだ。
日本国内において、ジビエではなく養豚が生業になるのは明治以降。 だが、鹿児島と沖縄だけは江戸以前から養豚しており、戦国時代に来た外国人宣教師も薩摩の漁村での養豚を記している。 14世紀に大陸から齎された豚だが、琉球で広まったのには理由がある。 大陸の使者、豚肉を大量に食うのだ
現在も、月刊ムーとコラボするなど、精力的に『キリストの墓』を推している。 キリストの墓の近くには、村人が作った売店『キリストっぷ』でキリストグッズを売っている。 真実なんてどうでもいい。 村に人が来てくれるなら、偽物だろうが本物より価値があるのだ。 #にいがたさくらの小話 その96改
この望遠鏡は幕府の天文方だけでなく、様々な人たちへも広まる。裕福な町人も望遠鏡を買えたらしい。 伊能忠敬も測量のため、この望遠鏡を持ち運んでいたという。 なお、この後技術革新があり、江戸後期には更に高性能な望遠鏡が鉄砲鍛冶により作られることになる。 #にいがたさくらの小話 その209
つよつよな神社ですね
日本一のお茶の産地といえば静岡県……と、思いきや実は鹿児島県。 鹿児島県のお茶栽培は平家の落人まで遡るほどの歴史があるが、本格的にお茶が作られるのは昭和40年代以降と、ビジネスとしてのお茶の歴史は浅い。 全国的に茶畑が減っている中、鹿児島県だけは増加傾向。 それは、畑が平坦だから。
マラッカ海峡の海賊は減少傾向だが、まだ治安に不安がある。マラッカ海峡が通れなければロンボク海峡を通るが1600km以上も遠回りだ。 タイの一番細いところに運河を作る話もあるが、出ては消えの状態で実現には程遠い。 マラッカ海峡の重要性は千年以上変わらないのだ #にいがたさくらの小話 その287
外国人たちの言葉は、別のアジアの言語とごっちゃになっていたり、意味を取り違えたりそのまま定着したものもある。 ポンコツは元々マレー語のpungut(手にする)という言葉だったものが欧米人に殴るという意味に理解され、開港地で日本人に使われた結果今の意味になったそうだ。 ペケなども同様だ。
一般に焼畑農業は熱帯地域に多いが、現在の日本でも行われている。 焼く理由は複合的だが、土壌改良や地力の回復、強害雑草の効率的な除去など多様であり、地域によって期待する効果が異なる。 英語ではhifting cultivationなので焼くことは本質ではなく休閑が本質。なので、焼かない焼畑もある。
設立の経緯からして、紅茶にまつわる定義がズラリと並んでいることがわかる。 ちなみにISO3103が冒頭の『紅茶の淹れ方』の定義。抽出液の調製法と書かれると、パッと見お茶の淹れ方だとはわからないと思う。 こういう定義をしないと恣意的に取り扱われて、品質が担保できなくなってしまうのだ。
もぐり対策としては、幕府による公認。免許制が取られ、江戸のお玉ヶ池種痘所などが公認されている。 江戸後期の予防接種はこうして普及していった。 ちなみに迷信では接種すると牛の角が生えるとか言われてたそうだ。 現代でも似たような事を言ってる人もいるなぁ。 #にいがたさくらの小話 その216
東北·北海道地方の方言で、丁寧に喋ろうとするとなぜか過去形になるというのがある 理由は諸説あるんだが、有力な説として、『敬語はそもそも相手との距離を保つもの、これらの地方では時間軸で適切な距離にするために過去形にする』ってのがあるらしい
火力発電についても興味持ってね! twitter.com/monkey_across/…
一閑張という技術がある。 大陸の明朝が崩壊した時に日本に亡命した一族には一閑張の技術者がいた。 紙を渋柿や漆でコーティングする技術のことで、固く、濡れても染み込まないという特性がある。 これと、眼鏡屋が技術の粋を凝らして作ったレンズにより、軽くて持ち運びの良い国産天体望遠鏡が完成。
現代の唐揚げは戦前からあるが、一般家庭には普及するのは昭和30年代。ブロイラーの飼育が広がり、鶏モモ肉の価格が安くなったから。 日本初の唐揚げ専門店も同時期の大分県宇佐市で始まるが元々は居酒屋だった。 だが、お客さんがツケ払いをしまくった結果、現金がなくなり唐揚げ専門店になったそうだ
その桜はかつて反対派が集会を開いていた寺に植えられていた樹齢400年以上の見事な大木だった。村のシンボルでもあった。 村は水没するが、そのシンボルだけでも残せないか。そう考えた会社のトップは日本一の桜博士と植木職人に依頼。 だが、桜はそもそも外傷に弱い植物。 前代未聞の計画となった。
第一次世界大戦は別名欧州大戦とも呼ばれ、文字通り欧州の主要な地点が全て戦禍に。 当然イギリスもその影響を受けた。 銀食器が輸入できない! 当時イギリスはドイツから輸入していた。日本だって洋食器が珍しい時代。作ってくれと言われても困る。 そんな無理難題に応えた街が、新潟県燕市だ。
江戸時代。食用の牛など居ない時代、彼らは農耕用の牛を彼らに分け与えたという。 文化を超えた献身的な救助·保護に、当時の大英帝国の女王ヴィクトリアも感激し、江戸幕府を通じて当時の領主だった南部盛岡藩宛に感謝状と金の懐中時計を送った。 今でも、盛岡市のもりおか歴史文化館に展示してある。
現在でも更にカニに近づけるために研究を行っており、農林水産大臣賞も受賞している。 ちなみに研究員は毎年、最高級のカニを皆で食べ、この味と同じにしたいという意思を醸成している。 そこに本物になろうという意思があるだけ、偽物のほうが本物よりも本物だ。 #にいがたさくらの小話 その221
愛媛県四国中央市。 紙幣と切手以外の紙製品は何でも作れると豪語する日本一の紙の街。 この地域は元々和紙の街だが、歴史は江戸中期頃からと後発で、かといって北海道のように域外からの大規模な資本投下でできたわけでもない。 新技術を導入·探求し続けることで紙産業を発展させてきたのだ。
更に家の設計までやっている。 黍殻を使って間取りを設計したそうだ。 暑がりだった彼が風通しに極振りした設計になっている。 ただし、目が視えない彼が設計したので、明かり採りが全く考慮されていないらしい。 現存して、土日は開放している。 #にいがたさくらの小話 その350