後編から見た人、前編も見てね! twitter.com/monkey_across/…
明治時代、西洋からあらゆる機械が導入されるが、麺類は手打ちだった。 パスタと異なる日本の麺には、独自の製麺機が必要だ。 西洋にないなら日本で作ろう。 佐賀の発明王·真崎照郷は、そう決意し、日本初の製麺機を作る。 8年の歳月と先祖伝来の田畑、そして家業の造り酒屋を犠牲にして。
初期の住民は欧米人、ハワイ人だったという。英語、デンマーク語、イタリア語、ポルトガル語やハワイ系言語を母語とする人々は、英語を基にそれぞれの言語が混ざった言語を生み出す。 日本領になると、主に八丈島から移民が入り、英語ベースの言葉を話す人と八丈弁を話す人が意思疎通の必要に迫られる
幕府や藩の役人などを捌きつつ、庶民を飽きさせない為のでみせや屋台の手配、輸送される秘仏·秘宝の輸送状況の管理、そして資金調達など、ありとあらゆる手配を整えて御開帳されたという。 現代の博物館の特別展と祭りを合わせたようなイベントだったという。 イベント記念の浮世絵などもあったそうだ
江戸中期、天明の大飢饉では特に東北地方の米が壊滅した。 現在の岩手県奥州市江刺区も餓死者が続出し経済が崩壊。 米以外の産業を興せないか? この地には、平泉文化が残した木工技術と、初代藩主·伊達政宗が残した派手好みな気質があった。 この2つを組合せて商品化したのが、岩谷堂箪笥だ。
みんなはどの将棋が好きかな?
現代と比べて娯楽の少なかった江戸時代、出開帳は一躍ブームになったそうだ。 ちなみに道中の名古屋などでも出開帳を行われた形跡があるという。 江戸時代の庶民も我々とあんまり変わらないのかもしれない。 #にいがたさくらの小話 その187
戦乱の戦国時代が終わっても、北東北の南部藩には殺伐とした気風が残っていた。 せっかく盛岡城と城下町を作ったのに、家臣は一狩りしようとする輩ばかり。 藩主は文化的な生活を根付かせるため、茶の湯に着目。 そして京から鋳物師を呼び、茶道具を作らせた。 盛岡の南部鉄器はこうして始まった。
マラッカ海峡は狭くそして浅い。人間サイズでは問題ないが、大型タンカーには致命的。水深22.5mの浅瀬があり、それを安全に超えれるサイズが求められるのだ。 パナマ、スエズを超えれる最大サイズをパナマックス、スエズマックスというが、マラッカ海峡を超えれる最大サイズはマラッカマックスという。
世界有数の豪雪地帯·新潟県上越市。ここに130年続くワイナリーがある。 江戸時代から葡萄の産地だった山梨県とは違い、葡萄栽培からのスタート。 しかし元々適地ではないため、葡萄が実らない。 そこで、後に日本のワイン葡萄の父と呼ばれる川上善兵衛は全財産を費やし、この地でも実る葡萄を開発する
藩主を擁護する直訴は前代未聞。幕府役人も江戸市民も庄内農民に同情的になる。仙台藩主伊達斉邦も幕府中枢に苦言を呈す程。 命令を出していた11代将軍家斉が死去すると、幕府は命令を撤回。村々では勝利の宴が繰り広げられた。 江戸期の転封撤回はこの1件だけだ。 #にいがたさくらの小話 その62改
まだ現代のように交通が発達していない時代、庶民が旅行するのは高嶺の花。江戸から近い成田山だって二泊三日の旅程だ。 だが、各地で有名な秘宝·秘仏が公開されているのなら行ける!ってことで、人々が参加することに。 大規模イベントとなるため、イベント会社を雇い、段取りをやらせていたそうだ。
オノマトペ(擬音語、擬態語)は状態や気持ちを表すことが多い 医療で必要な語彙である気持ちや状態を表すものは、名詞と違って標準語への置き換えが難しい 例えば「胸がどやっとする」と言われて、「どやっとするとは標準語ではどういいますか?」と聞いても、患者は答えに窮するだけだろう
最初にアポを取ったのは日本の宮内庁だった。だが、皇室御用達というハードルは高く、ポッと行っただけで獲得できるものではなかった。 次に依頼したのは米国大統領だったがこちらも玉砕。 そしてローマ法王庁だ。 神子原という名前だから、神の子という安直な発想だった。 だが、ローマ法王庁は快諾
ローマ法王庁には貢物を受取る文化があった。 日本からも古くは織田信長が献上している記録が残っている。これまでの日本からの貢物の中に米はなかった。 このことが当時、国内外の様々なメディアが取り上げた。 あまりにもキャッチーだったからだ。 そして神子原米は飛ぶように売れたのだという。
北海道伊達市は戊辰戦争で負けた仙台藩亘理領の旧武士たちが開拓した街。殿様自ら集団を率い移住し、農業に従事した。 苦労の末、開拓に大成功した旧家臣団だったが移住から15年、若い世代は元々武士だったことを知らないことに気付く。 そこで、武者行列を行う祭りを始めた。 伊達武者祭りの起源だ
カレーと出会ってから、福神漬は変わってしまった。 元々茶色が主流だったが、茶色いカレーに合うように赤く変化。 味もカレーのパンチに合わせて甘くなる。 こうして福神漬はカレーの添え物に特化してゆく ちなみに福神漬発祥の店は現存しており、こちらの福神漬は特化する前なので何にでも合う。
ものづくりの街·新潟県三条市の市がやってる求人サイト。 業種が、製造業かその他しか選択肢がないww
そして極めつけは毎年6月の第一日曜日に行われるキリスト祭り。 キリストの墓の周りを囲んで盆踊りを踊るというすごくシュールなイベントだ。 (2019~22年はコロナで中止) ちなみに神事として行われるため、神主による祈祷や玉串奉奠、獅子舞なども行われる。 もはや、ツッコんだら負けだ。
幕末の安政南海地震。 現在の和歌山県広川町に住む庄屋は、津波の引き波を見て、大津波が来ることに気付く。 彼は高台にある自分の田んぼで刈り取って天日干ししていた稲むらに火をつける。 火事か?と思い村人が高台に集まったところで津波が襲い、住民は助かった。 という話だが、微妙に事実と違う
職人の街、新潟県燕三条。 多くの金属加工工場があり、大勢の職人がいる。 昭和30年代、毎日忙しなく製品の受注がありひっきりなしに働いていた時代。 出前を頼む職人が殺到。しかし広い市内を配り回るにはどうしても時間がかかり、麺がぬるくなり伸びてしまう そこで生まれたのが燕三条系ラーメンだ
このあとに漂流したゴンザの話はこちら twitter.com/monkey_across/…
今でも神子原地区の農産物直売所に行くと、ローマ法王の名前が踊る。 絶大なブランド力は、常識に囚われては獲得できないのだ。 #にいがたさくらの小話 その60改
元和9年(1623年)、領地の調査をしていた津軽藩のサムライは困惑した。 この亀ヶ岡という場所では、土の中から様々な形をした瓶の焼き物が出てくる。また、三内村では人形の焼き物が出るらしい。だが何故土の中に埋まっているのかはわからない。 後の世界遺産·亀ヶ岡遺跡と三内丸山遺跡である。
測量とは、地図作成や構築物建設のために必要な位置を特定する作業。時には山の中、雨の中で専用の機器を読み取りメモるハードな作業だ。 そんな測量士のために1959年に作られたのが、測量野帳。 頑丈で、立ったままメモれ、防水性に優れている。 現場向けの無骨なデザインだが、一般の愛好家も多い