補足をいただきました。 GHQと会話したのは事実で、その途中のエピソードのいくつかが脚色とのことです。 調べていただきありがとうございます。 何れにせよ伝説上の人物ではあります。 twitter.com/crowley_magick…
ブラジル原産の植物ガラナ。 それが彼らの結論だった。 そこからの動きは早かった。なにせコカ・コーラ上陸は待ってくれない。 ブラジル大使館との直接交渉や日系人などのツテを頼り統一ブランド『コアップガラナ』を開発。 1960年だった。 1961年コカ・コーラ輸入自由化にギリギリ間に合わせた。
当時の熊本城のお堀には蓮根が植えられていた。植えたのは細川家が来る前の熊本城主·加藤清正。 南の薩摩を抑えるため、熊本城は籠城戦が出来るよう、あらゆるものが食える仕様になっており、蓮根もその一つ。 この蓮根に麦味噌と和辛子を混ぜたものを入れると、細川家の家紋、九曜紋にも見える。
みそ貝焼き用のホタテ貝は12cmほどの程よいサイズ感。 このサイズなら、ひょっとしてイケるんじゃないだろうか? 頭には、武田久美子がよぎる。 世代だったのだ。 売れるかどうかはわからないが、彼は全力でふざけてみることにした。 キャッチコピーは、『ライバルに差をつける!』 意外と売れた。
コスプレイベントとして日本に定着したハロウィンだが、元々はケルトの祭りが源流。 欧米的にはジャック・オー・ランタンというカボチャのお化けを飾るのが一般的だが、カボチャは新大陸原産。コロンブス以前の西欧には存在しない。 では、何でジャック・オー・ランタンを作っていたか。 答えは、蕪だ
シアトルには、こんな言葉がある。 「グレートノーザン鉄道を父に、日本郵船を母に発展してきた」 1896年にグレートノーザン鉄道の誘致により横浜〜シアトルの定期航路を開設した日本郵船。これが当時ニューヨークへの最短経路で、サンフランシスコ経由より1日早かった。 ヨーロッパへも最短経路だ。
漁師たちは、賭けに勝った。 豊かなホタテと安定した養殖手法を手に入れた彼らは盤石となった。 ただし、漁師になれるのは限られた人だけ。貝柱の加工工場は最低賃金のままで人手不足だそうだ。 この富を次は何に活かすのか。 それがこれからの課題だろう。 #にいがたさくらの小話 その326
1984年にからし蓮根の真空パックによる集団食中毒事件が起きてからは一旦下火となってしまうが、組合を結成し、店の衛生管理等を徹底。 現在も熊本名物として君臨。 からし蓮根はツマミとして食べることもあるので、この話はいい酒の肴になると思う。 #にいがたさくらの小話 その164改
江戸初期、オランダ東インド会社との交易をしていた幕府だが、日本からの主力商品は鉱物資源だった。 初めは銀だったが資源が枯渇したため、代わりに金を輸出商品に組込む。 小判の形で。 輸出された小判の一部は東インド会社の刻印を打ち、そのままオランダ植民地内での通貨として使っていた。
鍵を握るのはアメリカから導入された重機。 重機を使った工事の経験が少ない当時の日本では前代未聞の数だったという。 コンクリートの打設量も当時の世界一。 そして当時まだ財務が貧弱だった国内重電メーカーによる発電機。 また、安全意識も多くの犠牲の上に作業中のヘルメット着用も定着し高まる。
日付変更線は経度180度とピッタリは一致していない。 ロシアやアラスカは本土と同じ日付にするために仕方ない感があるが、太平洋諸島はかなり複雑な形。 日付変更線を跨ぐと月曜が日曜になり、土曜が金曜になるため、ビジネスがやり辛い。 付き合いの多い国にあわせて日付変更線をずらしているのだ。
現在の十和田市は郊外に広がる美しい田園風景、中心街は碁盤の目状の美しい街並み、そして現代アートの美術館がある青森県第4の街だ 幕末の開拓初期から美しいものを根付かせたからこそ、現代美術館が受け入れられたのだろう #にいがたさくらの小話 その146改
ベトナムではスーパーカブ系の二輪車が人気だ。丈夫で多少の悪路を問題とせず、燃費もいい。 中国系の二輪車の登場はシェアを奪うというよりは、新規開拓に寄与していた。 ベトナム人にとって二輪車は高かったのだ。 価格競争に立ち向かうべく、必要でない性能カットし、部品の選定方法を見直した。
終戦後、どの業界も壊滅したが、特に船会社は苛烈を極めていた。 メーカーなら壊れた機械を修理して日用品を作れるし、商社ならそれを売り歩ける。 だが船がなければ船会社は成り立たない。 復員してくる社員の生活を考えている最中での踏み倒しだ。 連合国の思惑で、会社存続の危機の船会社もあった。
こうして途上国での穀物生産は急増し、人々は飢餓から開放されたが、功罪はある。 高い収穫量を得るには大量の肥料を必要とするため、高くて買えない人々との貧富の差を産んだり、塩類集積で使えない土地が出てきたり。 世界は解決しなければならない課題が山積みだ。 #にいがたさくらの小話 その196
人材しか残っていない船会社だったが、海運のノウハウを担保に金を借り、船を作った。 安定的な需要がある輸送契約のチャーター代を担保に金を借りたのだ。 また当時の日本の海運会社には国際的信用があった。戦時中に停止されていた各航路の船会社の同盟に復帰させるための交渉力を持つ人材もいた。
写真及び参考文献は以下からお借りしました。 なお、最後の写真は私の撮影になります。 江津市史 下巻 dl.ndl.go.jp/ja/pid/9575063… 歴史地理教育 740号 dl.ndl.go.jp/ja/pid/1119846…
雪国の人なら必ず知ってるママさんダンプ(スノーダンプ) 非力な女性でも使えるように軽いプラ製で雪上を滑らせて除雪できるシロモノだ。 ちなみにパパさんは出稼ぎに出ていないのでママさんが除雪する想定で開発していたが、発売開始は昭和60年代なので、出稼ぎに行くパパは少数派になっていた。
殿様はこのからし蓮根を気に入り、以後、肥後細川家の秘伝として伝わっていく。 一般化するのは明治時代。 江戸中期から盛んに蓮根を作りまくっていた熊本県において、瞬く間に普及。熊本名物となる。 ちなみにこのときに、店によって細かいレシピのアレンジがあったため、店によって辛さが異なる。
史上最大の作戦と呼ばれたノルマンディー上陸作戦。 上陸成功には天候が鍵を握るのだが、作戦前夜の現地は大荒れ。波も高く上陸不可。 しかし連合軍の気象チームは、世界初の波浪予報や最新鋭の気象観測装置を用いて、決行予定日の翌日なら僅かな時間だけ天気が好転し、波が穏やかになる予報を出す。
生物多様性の観点からは、どんな生物も保護すべきだが、人間に害を与える生物は撲滅してきた。 代表的な例は日本住血吸虫症と中間宿主・ミヤイリガイだ。 かつては関東~九州北部に広く分布していたが、現在のは山梨県等の狭い地域にしか存在しない。 絶滅した筑後川流域では、供養の碑が建てられた。
千葉県の人って、チーバくんに例えて自分の住んでる場所を言うらしいんだけど、富津市の人って何って言うんだろう。
明治時代の日本の花形産業は製糸業だった。 現在の京都府綾部市も、江戸期から京都の織物用の生糸を作っていた地域の一つ。 明治18年に行われた品評会へも満を持して出品。 だが結果は酷評だった。 このままではこの地域は滅ぶ。 その危機感で設立されたのが、郡是製糸株式会社。 現在のグンゼだ。
日本中が危機感を持つ前から危機感を持っていた彼らは、長崎に近い立地を活かし、西洋の軍事技術にのめり込んだ。 同時に藩士の知力の底上げ、教育改革も行う。 西洋の軍事技術が気に入った藩主は、黒船来航前に長崎に来航していたオランダの軍艦に乗船。 搭載されていた大量の大砲をその目で見た。
皆さん、長澤まさみの初主演映画をご存知でしょうか? 答えはもちろん、世界の中心で……はなく、映画ロボコンです。 高専ロボコンを題材にした映画で、長澤まさみだけでなく、小栗旬や塚本高史、伊藤淳史など、その後の芸能界でも活躍したメンバーたちが出演している。 興行収入?そんなもん知らん