飯間浩明(@IIMA_Hiroaki)さんの人気ツイート(リツイート順)

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プランニング会社からの仕事依頼で「執筆の承諾をいただいた後、クライアントに提案し、承認されれば改めてご依頼します(承認されない場合もあります)」的なものがあります。執筆者よりクライアントの決定権を優先している感じなので、お断りします。よくあるパターンですが、執筆者には失礼ですね。
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かく言う『三省堂国語辞典』も、一時期「元旦」を元日の意味で使うことを誤りとしていた時期がありました。そもそも、初版の「元旦」の説明は、あっさり〈元日(の朝)〉であり、これは『言海』『大日本国語辞典』など先行する辞書の説明と同様だったのですが。
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「高輪ゲートウェイ」と駅名表示板にあるのに、多くの人々が「高輪」と言うようになるかどうかは、予想しがたい問題です。「E電」(国電の新名称)は、駅構内にそういう表示板まで出ていましたが、結局廃れました。ただ、駅名のように公共性が高い名称が、結局浸透しなかった例があるかは知りません。
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「四文字熟語」(四字熟語でなく)がいつの間にか誤用扱いされているのですかね。四字熟語辞典を作った身としては、どっちでもいいと思いますが。 twitter.com/MomentsJapan/s…
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「『悩ましい』は『官能的だ』の意味が本来で、『悩ましい問題だ』という使い方は間違いだ」と、一時期、有識者が発言していました。ところが、歴史的には「悩ましい問題」のような用法のほうが本来的です。規範意識というのはあくまで「その人の規範意識」であることが分かります。
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森山卓郎・渋谷勝己編『明解日本語学辞典』(三省堂)が刊行されました。買った記念に写真を載せます。最新の研究を踏まえ、関係者はもとより、日本語(学)に関心のある一般の人にも参考になる内容です。一読者として推薦する次第であります。
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石川さゆり「天城越え」には作詞者の造語かなと思われることばが多いですね。「隠れ宿」「揺れ墜ちる」……など。調べたら他に用例があるかもしれず、興味が深まります。「隠れ径(みち)」は辞書にありました。
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あらゆるものが、平成30年間の歴史の中に置かれると、急に価値を持ち始めるのは面白いです。例えば、一発芸人と言われる人々とその一発ギャグは、単体で見れば忘れられても仕方がないけれど、「平成年間の一発ギャグ史」となると大学の講座で取り上げられそう。記憶されるべき「教養」になるのです。
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「恣意的」は「意図的」と意味的に重なる部分があります。「恣意的に選ぶ」という場合、自分に都合のいい判断が入り込むので、「意図的」と言い換えることができます。ただし、「恣意的=意図的」ではありません。「文字を意図的に大きく書く」は「文字を恣意的に大きく書く」とは言わないでしょう。
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「月がきれいですね」という表現が有名になったのは、日本語でストレスなく愛を伝えられる表現が乏しいことが背景にあるんでしょうね。使える表現が待望されていたわけです。もっとも、お互いに気持ちが十分近づいた段階での告白なら、「愛してます」でも「好きです」でもすっと言えると思いますが。
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森会長発言の報道で、女性の発言時間の規制に言及した部分は、多く見過ごされた印象があります。元発言が伝聞形式のせいもあるかもしれません。海外メディアでは、「『時間制限を設けないと困るだろう』と付け加えた」(CNN、2/4、拙訳)のように、発言責任を本人とみなす報道が複数あり、対照的です。
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対立する考え方A・Bのうち、一方のAを主張しようとして、Bの論者をからかい、非難し、人格攻撃しても、Aに意見を変えさせることは難しい。何ごとも「北風と太陽」です。「Bの理屈は分かるが、問題なのはこの点だ」と、認める所は認め、相手側が反論しにくい部分に絞って主張すると効果的です。〔続く〕
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国語辞典の記述が妥当かどうかを、多数派の辞書にあるかどうかで判断することがよくあります。でも、注意が必要です。少数の辞書だけが事実を指摘していることが珍しくないからです。辞書の作り手は、むしろそういう事実を見つけようと競っているわけです。
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「平成」発表の頃は、会見で発表された文字をまねしようにも、新聞などの小さな写真をまねるのは難しかった(私はこの字形が好きで、まねしたかったのですが)。「令和」は、会見もハイビジョンだし、ネットに大きい画像も出ている。手本に不自由しなくなりました。
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丘みどり「鳰の湖」は琵琶湖のことだそうです。平安時代からあることばです。たとえば「源氏物語」を見てみると、「にほの湖(みづうみ)に漕ぐ舟」という和歌のフレーズも出てきます。「鳰」は万葉集にも出てくる鳥で、カイツブリ科の水鳥。慌てて調べました。
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Hey! Say! JUMP「明日へのYELL」で〈今はまだ見えなくても 必ず辿り着く〉。「辿」は常用漢字にない字だけれど、ルビなしで使っていますね。歌詞の字幕では、こんなふうにときどき難しい字が出てきます。しんにょうの点は、1点でも2点でもかまいません。
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BUMP OF CHICKEN「なないろ」。朝ドラ「おかえりモネ」はいつも見ていたわけですが、例によってテーマソングは空耳を訂正しないまま聴いていました。〈ヤジロベエみたいな正しさだ〉のところは、なぜか「野次の弁解の正しさが」と聞こえていました。すみません。
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「安心」「苦労」は「安心する」「苦労する」と動詞になるので「ひと」をつけてもいいが、「段落」は「段落する」と言えないので「ひと」がつかない、という主張もあります。整然とした説明のように見えますが、動詞にならない場合に「ひと」をつけてはいけない理由がよく分かりません。
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マナーの提唱者が「私たちの仲間は、この言い方を正しいことにします」と言う場合、根拠がいらないというのは賛成です。たとえば「ありがとう」と言うためには、「有ること難し」が語源かどうかは関係ありません。ただ、「そう言わないとダメ」と、他の人の言い方を否定するのは別問題です。 twitter.com/npong0811/stat…
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milet「Fly High」はウィンタースポーツ応援ソングですが、〈見たことのない景色まで〉飛べる、というのはスポーツらしい表現ですね。『三省堂国語辞典』第8版では「景色」の項目に「優勝して、見てみたい―がある」の例文を入れました。
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両辞書のもうひとつの違い。『広辞苑』の説明は短く簡潔、『大辞林』の説明はやや長く丁寧、という特徴があります。どちらがいい、というのでなく、ユーザーの好みの問題です。字数が多いからといって、一概に情報量が多いということでもありません。このあたりはぜひ読み比べてみてください。
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ことばは誰でも自由に作ったり、変えたり、使ったりしていいものです。それで意味や感情が相手に届くならば。ただし、相手が嫌だというのに、そのことばを使うよう強いるべきではありません。高輪ゲートウェイ駅の場合、大多数の人が嫌だと言うのに、事実上使用を強いることになるのが問題の本質です。
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『大辞林』第4版では〈②落ちてしまいそうなほど量感に富むさま〉として「乳牛のたわわな乳房」を載せています。普通の例文なら「たわわな乳房」で済みそうなところを、あえて「乳牛の」として、いやらしさを消そうとしたとおぼしい。『大辞林』の苦慮を感じるのは私だけでしょうか。
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ここで「愛嬌」とは何かというと、見た目や仕草から感じられる可愛らしさ、または親しみやすさです。古くは「あいぎょう」で、光源氏の形容にも使われ、現在でも男女に使えることばです。むしろ、愛嬌は男女を問わずあるといい性質です。その性質が女にだけ要求されるというのは公平ではありません。
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7月6日(土)、NHK文化センター広島教室で「カープ仕様の国語辞典」について話します。出版経緯は三省堂の社員さんが詳しいのですが、私がしゃしゃり出た格好。カープ仕様には編集委員も知恵を絞ったので、その話を含め、国語辞典の魅力について広くお話しします。近県の方、どうぞおいでください。