飯間浩明(@IIMA_Hiroaki)さんの人気ツイート(新しい順)

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これは何もことばだけの話ではないのですが、私は仕事柄、ことばについて話すのみです。「自分の隣にいる人のことば遣いが見るのも聞くのも嫌だ」という場合、よく自省してみると、それは単に自分と違うから、ということにすぎない場合も多いのです。
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あることばに違和感を感じ、「自分はこのことばを使わない」と言うのと、「他者がこのことばを使うのも認めない」と言うのとではまったく話が違います。誰にでも前者の自由はあるが、後者の権利は必ずしもない。これは他者が自分(の方式、主義)と違うことをどれだけ許せるかという話でもあります。
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この「後で後悔する」が「そのうち後悔するよ」の意味であることは、『三省堂国語辞典』第8版の「後悔」の項目でも触れています。ただ、重言でも何でもないとまでは書かず、「重言だが」と書いたのは甘かった。「今、すごく後で後悔している」と言えば重言だが、とでも書けばよかったかもしれません。
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「後で後悔する」は重言でも何でもないですね。「私は今、すごく後で後悔している」とは言わないでしょう。単に後悔する場合はこの言い方をしない。「そんなことじゃ、後で後悔するよ」の形で使うのです。この「後で」は「将来、そのうち」です。「将来、すんだことを悔やむよ」と言ってるのですね。
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現在の私は、他人様の家庭での命名方法には特に何も意見がなく、「お望みのままに」という感じです。ただ、今後は、子の命名理由を役所にきちんと説明できる家庭に斬新な名前が増えるかもしれない、とは思います。役所に対する説明能力が問われる時代になるかもしれないと。
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キラキラネームを積極的には勧めたくない、と思っていた10年前の私を論理的に叩きのめしたのは、大学のある授業で提出された学生のレポートでした。「名前らしい名前」はどの時代も常に変動しているのだという趣旨。たしかに「頼朝」は大昔のキラキラネームでした。▽毎日新聞 mainichi.jp/articles/20230…
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私もいくつか例を採集していますが、これは「反省すべきことがあれば反省する」という仮定法ですね。直接的な反省の表明を避けているのでしょう。とても便利そうなので、私も使うべきときがあれば使いたいと思います。 twitter.com/green_apple_xx…
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「違和感」は明治~戦前には医学分野で多く使われ、「違和感を感じる」の例も昔からありました。戦後には、椎名麟三・三島由紀夫・梅崎春生・阿川弘之・石坂洋次郎・佐藤春夫・遠藤周作らの例があります。多くの大作家たちのお眼鏡にかなった表現であり、べつに神経質にならなくても、と思います。
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「違和感を感じる」は重言だと言って、機械的に「違和感を覚える」に言い換える例が多い。表現の幅を狭めている気がします。「覚える」以外にも「違和感がある」「違和感を持つ」「違和感が生じる」など多彩な表現があるし、そもそも「違和感を感じる」や「歌を歌う」だって使っていいじゃないですか。
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もはや「定期」ですが、この際、以下もご参照のほどを。 twitter.com/iima_hiroaki/s…
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上司に対し「了解しました」は「承知です」よりもなお不適切と筆者は主張するのですが、実際は「承知でーす」と言う人はむしろ少なく、「了解しました」のほうが受け入れられているのではないかな。マナーの先生の「了解」に対する目は不当に厳しい。▽プレジデントオンライン president.jp/articles/-/656…
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乃木坂46の鈴木絢音さんと、三省堂の編集者・校正者・印刷会社・デザイナーといった方々との、辞書をめぐる対談集です。私も国語辞典編纂者として、鈴木さんと対談させてもらっています。刊行されるのが楽しみです。 twitter.com/ayane_gentosha…
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なるほど、直後の発言を「そう」で指す語法、手近の辞書にはありません。たしかに落語でおなじみで、なんか独特だなとは思いつつ、問題意識が働きませんでした。タツオさんの慧眼に恐れ入ります。 twitter.com/39tatsuo/statu…
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国語辞典の記述が妥当かどうかを、多数派の辞書にあるかどうかで判断することがよくあります。でも、注意が必要です。少数の辞書だけが事実を指摘していることが珍しくないからです。辞書の作り手は、むしろそういう事実を見つけようと競っているわけです。
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「的を得る」の18世紀の用例をひとつ見つけました。すでに同時期の他の例も見つかっているので、当時から珍しくなかったのでしょう。この例は、俳句で「はげたる山に」ではなく「片はげ山に」という表現を思いついたことで、ようやく的を得た、ということらしいです。
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〈暦としては「ウサギ年」ではなく「卯年」と呼ぶのが適切〉とのことですが、これはやはり報道の内規レベルのものと思います。現に「うさぎ年」でニュースを検索すると普通に出てくるし、会話では「うどし」より「うさぎどし」が伝わりやすい。二者択一という印象を与えるのは好ましくないでしょう。 twitter.com/mainichi_kotob…
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タイムラインの議論では、「酒池肉林」の原典に当たる「史記」で、すでに性的に乱れた文脈で使われている、という指摘があります。説得力があります。ただ、2000年以上前の用法もさることながら、特に観察すべきは近代から現代までの例です。そして、それらを見ても、実態は「どっちもあり」なのです。
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「酒池肉林」は、単純に「非常にぜいたくな酒宴」という用法がある一方で、性的に乱れたニュアンスで使われることも知っておかないと、文学作品の読解もできない場合があります。ことばは複数の意味用法、ニュアンスで使われることが普通であり、いつも単一の意味でしか解釈しないのでは不十分です。
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「酒池肉林」を性的に乱れたニュアンスで使うのは誤用かどうか、という議論がありました。「辞書にないから誤用」との意見もありますが、辞書の作り手としては、むしろ「このニュアンスの用法を辞書に載せてなかった!」と敗北感に浸ります。実際には複数の用法があると理解すべきです。(続く)
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かく言う『三省堂国語辞典』も、一時期「元旦」を元日の意味で使うことを誤りとしていた時期がありました。そもそも、初版の「元旦」の説明は、あっさり〈元日(の朝)〉であり、これは『言海』『大日本国語辞典』など先行する辞書の説明と同様だったのですが。
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「元旦」には「元日の朝」の意味も「元日」の意味も昔からあります。私も何回かツイートしましたが、新たに画像をまとめました。「朝(あさ)」「旦(あさ)」はすべての始まりなので、「始まり」の意味も生まれたのだろうと推測されます。
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福山雅治「桜坂」はバラードですが、リズムのよさがあるのは、〈愛と知っていたのに/春はやってくるのに〉〈君よずっと幸せに/風にそっと歌うよ〉と、一種の対句表現が多いからですね。〈揺れる木漏れ日 薫る桜坂〉もそう。対句表現はノリがいい。
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松任谷由実「卒業写真」では〈悲しいことがあると開く皮の表紙〉とあります。「皮」も「革」も動物のかわですが、今ではなめし皮は「革」が一般的です。「卒業写真」は1975年リリースとのことで、当時の「当用漢字」では「革」は「カク」とだけ読み、「かわ」とは読まなかったんですね。
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氷川きよし「限界突破×サバイバー」でキーワードとして出てくる〈オッタマゲ~!!〉ですが、『三省堂国語辞典』では「たまげる」しか載っていません。説明の末尾に「おっ―」はあるのですが。さて、どうしましょう。
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星野源「喜劇」は、〈劣ってると 言われ育った〉自分が、君となら楽しい生活を送れるという歌。〈あの日ほどけた 淡い呪いに〉の「呪い」が、先ほどの「おもかげ」と同じ用法ですね。自分を縛る「呪い」をほどいて自然体で生きられたら、素晴らしい。