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昔は、目上に対して「ご苦労さまでした」が普通に使われました。昭和天皇に対して三木首相(昭在位50年記念式典)や中曽根首相(在位60年記念式典)が「ご苦労さまで(ございま)した」と述べた例も報告されています。ところが、20世紀末に「目上に『ご苦労さま』は失礼」という謎ルールが生まれます。
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官房長官が掲げた「令和」の文字は、「平成」の時と同様、美しい。「令」の字は、最終画が縦棒になっていますが、これは「マ」のように点にしてもけっこうです。というか、手書きはこちらのほうが普通です。学校の先生は、どちらもマルにしてあげてください。
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熊本の阿蘇山とか、鳥取の大山とか、高さの順で言えばかなり下の山でも、名をよく知られ、愛されている山はいくらでもあります。そう考えると、「1番にならないと認知されない」という話に対する反論材料がおのずとできてしまった。「世の中順位じゃないんだよ」という、なんかいい話になりました。
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「違和感を感じる」は重言だと言って、機械的に「違和感を覚える」に言い換える例が多い。表現の幅を狭めている気がします。「覚える」以外にも「違和感がある」「違和感を持つ」「違和感が生じる」など多彩な表現があるし、そもそも「違和感を感じる」や「歌を歌う」だって使っていいじゃないですか。
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どんな文章も、細かく見れば表現の粗い所は見つかるものです。世間で言う「誤用」でなくても、一般的でない表現になることも。通じない表現は改めたほうがいいけれど、行き過ぎると、せっかくの個性的な表現を失う恐れもある。周囲の人に読んでもらって、違和感を持たれなければ十分だと思います。
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部屋の整理をしていると、「予定を先送りしないためにはどうするか」といった趣旨の本が出てきました。以前から、読もう読もうと思いつつ、先送りにしていた本です。「こんな所にあったのか」と本棚に戻しました。これでやっと読むことができます。そのうち読もうと思います。
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5人の中で「(160cmの)Cの次に背が高い人は?」と問われ、「(155cmの)B」と答える人、「(165cmの)D」と答える人の二手に意見が分かれて、話題のようですね。私個人はBで疑いの余地がないのですが、Dが多いことには「へえー」と思いました。「へえー」が、私の感想です。twitter.com/Yuki_jukjis/st…
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「取り急ぎお礼まで」というメールの結びは失礼という意見について。私も、失礼というのは可哀相だな、と思います。「略儀ながらメールにてお礼申し上げます」がよりよいとする意見の理由は、「~ます」と言い切る形だからでしょうか。でも、丁寧な礼状でも「取り急ぎお礼まで」は常用されます。
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富士山というのは、日本一の高さもさることながら、円錐形が美しく、四方の山から隔絶して高いから愛されているわけです。もし仮に、「正しく計測してみたら、日本一は北岳でした。富士山は2番目です」となっても、なおも日本の象徴的な山として愛され続けるだろうと思います。
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「うまい」が「うまっ」となるのは、「尊(とうと)し」を「あな、尊(とうと)!」(=アア、尊イナア!)というのと同じ語幹用法です。日本語では「あな、暗!」とか何とか、昔から言っていますので、日本語から「い」が消えていっているとはいえません。▽ヨミドクター
news.yahoo.co.jp/articles/edd1b…
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小1の時、作文で「お父さん」と書いたら、先生が「父」を漢字で書いてはいけないと赤字を入れた。「よく見る字なのに」と不満でした。今にして思う。教員の大人の事情で「教えない事項」があるのは分かるけど、子ども本人に「学んではいけないことがある」とのメッセージを与えるのはまずい。〔続く〕
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おげんさんが「紅白もこれからは性別関係なく混合チームで行けばいい」。深い発言です。昔、紅白が驚異的な視聴率を誇り成功したのは、男女が互いに張り合う気持ちが今より強かったからだと、私は見ています。昔の紅白の録画を見ると、男女がマジでけなしあってるんです。今は意識は変わったかな?
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当初、和書を出典としても、そこに使われている熟語は漢籍由来のものが多いから、漢籍も出典に挙がるのでは、と言われていました。でも、「令月」と「風和」の組み合わせは「万葉集」独特ではないでしょうか(主な漢籍をざっと調べたところでは)。提案者はうまい方法をお考えになりました。
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「もっと厳しい態度で日本語の乱れを防いでほしい」という声をよくいただきます。私も、いくつか適当なことばを見つくろって「誤用だ」と非難するのは簡単です。でも、言語変化はあらゆるところで進行しています。その全部にNOを言うことは現実に不可能です。「識者」の批判は自己満足に終わります。
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補足すると、「十分・充分」について、個人個人がそれぞれ違うニュアンスを感じて、自分なりの意味づけをして使い分けるのは自由だと思います。それを否定するつもりはありません。でも、一般に明確な意味の区別は存在しないのに、区別があるかのように説明するのは問題があります。
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作家や漫画家がしばしばコメントして「ライブで観客と触れ合うミュージシャンと違い、作品の受け手のイメージが湧かない」と言います。辞書の作り手も、少しそういうところがあります。書店で実際に買い求めてくださった方の姿が見られたのはいい経験でした。いつも観察するわけにはいきませんが。
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あることばに違和感を感じ、「自分はこのことばを使わない」と言うのと、「他者がこのことばを使うのも認めない」と言うのとではまったく話が違います。誰にでも前者の自由はあるが、後者の権利は必ずしもない。これは他者が自分(の方式、主義)と違うことをどれだけ許せるかという話でもあります。
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「事実じゃなくても、面白ければいい」「そうだそうだ」みたいな意見が普通に聞かれるようになりました。「フェイクニュース」「アナザーファクト」といった新語が出現したのと時期が重なっているようにも思います。「それは事実ではない」という指摘が軽んじられる社会にはなってほしくないです。