spartacus alias『消え去る立法者』(@accentdeverite)さんの人気ツイート(リツイート順)

AI導入のはるか以前から、非正規化や自動配架導入によって、大学でも公立図書館でも、司書の数はどんどん減らされている。リニューアル中の東大の総合図書館でも、莫大な予算をかけて自動配架にするらしいが、司書を雇った方がコストパフォーマンスさえマシだろうと陰口を叩かれている。
大学では、かなり前から「崩壊期の社会主義国」化は進行している。なによりプロジェクト型資金獲得のための数々の計画・中間審査・成果報告の類の書類と、掻き集められた「エビデンス」の山は、書き手も読み手も、誰もその内容を信じてない点で、いたって反唯物論的な形式主義・官僚主義の権化である。 twitter.com/toshiitoh/stat…
もちろん、欧米がアフリカ諸国に対して何らかの責任を負わないとは思わない。しかし、いわば政治的争点であるはずのものが、民事的な「賠償」のタームに置き換えられることには、違和感が残る。
それはそれとして、真鍋氏には、気象学と軍事研究がどんなふうにかかわっていたのか、その具体的なところを少し話してもらえたら、と思う。
西日本の人間は概して東北を知らない。多分、心理的には北海道より遠い。しかし、東京-仙台は東京-名古屋とかわらず、東京-盛岡は東京-大阪都大してかわらないと知ると、なんかこう、地図が歪む感じがする。関東の人にとって一番遠いのは、山陰か奥丹後あたりだろうな。
この教科書でフランス語を習い、例文を丸暗記したせいで、今でも私は第五共和制憲法冒頭や、フローベールの恋人宛の書簡や、クローデルのボードレール評などを諳んじることができる。蓮實重彦担任のクラスでは、最初の第五共和制憲法の部分だけは、学生を一人一人研究室に呼んでテストしたものらしい。 twitter.com/consaba/status…
小樽商科大学、小林多喜二の母校だが、フランス語の政治経済学関係の書籍が豊富で、Google Booksでたいていの本が見つかるようになるまでは、わざわざ北海道から本を取り寄せたりしたものだった。この国立大学唯一の社会科学系専門校が、北見工業大学・帯広畜産大学と統合予定であるのを知る。
しかも、フランスの極右の「移民問題がない日本」というイメージは、日本人の誤ったセルフイメージを反映している。「移民問題」が旧植民地から旧宗主国への人口流入を指すなら、同化政策の末に日本に居ながらにして外国人化された「在日」の韓国・朝鮮・台湾人は当然その範疇で考えられるはず。
元首相が選挙演説中に銃殺され、マスメディアがこぞって喪に服し、民主主義の危機を喧伝しながら、それが別段選挙結果に影響を与えたようにも思えず、ほとんどの国民は黙って棄権を選んだというのは、それ自体すごいことだな。
社会学を学べば差別がなくなる、か。世の中はお前の頭ほど単純にはできてない、と言いたくなるな。
五月三日が憲法記念日なのは、1947年のこの日に憲法が発効したからだが、そうなったのは前年十一月三日の明治天皇の誕生日に憲法が公布されたからだ。そのことに気づいてから、国家というのはあの手この手で正統性を担保したがるものだなと思ってきた。
89年春、昭和天皇の家具を皇居内で解体するバイトをしたことがある。ろくな家具はなかったが、菊の御紋はすでに丁寧に切り取られていた。帰り道、廃材を積んだ軽トラックの荷台にへばりついて、皇居内で「インターナショナル」を高唱していたら、廃材が桜の木に引っかかり、自分の上に崩れ落ちてきた。
学生の時、一年生でフランス語文法学ぶやいなやボードレールの『悪の華』読まされたり、二年生でいきなりプルーストの『失われた時』を読まされたりした。大学院重点化で失われた、あのディレッタントでもある「パンキョー」の世界が、意外と「戦後民主主義」の支えでもあったのかもしれないなと思う。
夜の空港の周りには売春婦が群がっていた。ソフィアの中心部、スターリン様式の三角形の広場、昔は共産党本部と官庁が周囲を取り巻いていたらしいが、いまや国会議事堂と、大蔵省と、もうひとつ文科省が入った建物の一階にはカジノがテナントに入っていた。
しかも、やってる官僚や教育に口出す経済人たちは本気で一発逆転を狙っており、流石に一発では逆転ができないので十発十中を狙うとか、真顔で確率論も学術的発見の論理も無視したこと言うので、本当に狂っている。 twitter.com/rivereastbambo…
ジジェク。「ネオファシスト」プーチンに対立し、平和を求めるだけでなく、TVの向こうの惨状を生み出したのは「われわれ」であるとわきまえ、ロシアの反戦派とともに、言葉ではなく行動を変えよと呼びかける。現代の「帝国主義戦争から革命へ」テーゼ。 @franceculture franceculture.fr/emissions/la-g…
アルゼンチンが没落したのは、世界大恐慌の煽りでイギリス帝国の穀倉でなくなったからで、別に立憲主義が終わったからではない。立憲主義体制のもとで続いた大地主支配に終止符を打ち、曲がりなりにも国民国家の体裁を整えたのは「ファシスト」ぺロンだろう。資本主義と自由主義の幸福など稀なのだ。 twitter.com/AtaruSasaki/st…
国民的アイデンティティのもう一つの支柱であったはずの文学には、人が集まらないのか。もっとも、フランスでは小説は売れているとも聞くから、これは大学内の「文学研究」に限ってのことかもしれない。
外国語のテクストの訳読が早晩技術的に乗り越えられてしまうトレーニングとばかり思えないのは、訳読の主眼が外国語を日本語に移すことにではなく、言葉の次元でどんなふうに思考が組み立てられているかを検証し、それによって日本語自体の拘束を反省する契機になるからだと思う。
ソ連東欧の崩壊は、確実に知的退行を招いたと思う。社会主義の理想がなくなったからではない。違う体制下に生きている人間が、同じ現象を前にしてもまったく異なる知覚をもち、反応をするという、ごく初歩的なことさえ、いまの人類にはどうやら想像もつかなくなっているからだ。