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学生の時、一年生でフランス語文法学ぶやいなやボードレールの『悪の華』読まされたり、二年生でいきなりプルーストの『失われた時』を読まされたりした。大学院重点化で失われた、あのディレッタントでもある「パンキョー」の世界が、意外と「戦後民主主義」の支えでもあったのかもしれないなと思う。
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思想・文学研究で「最新の研究」を参照せよとはあまり言わない。特にこの20年は世界中、粗製濫造論文が多いし、そもそも見ておかなければ成り立たない「最新の」論文などそうない気がする。むしろある問題について、どれくらいの「幅」と「深さ」で考えられるかが勝負だろうと思ってきた。
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集団安保法制の頃から、権力行使が超法規的になり、個人に具現化され、対する批判が政治家個人に集中していく一方で、政治的・法的手段による責任追求ができないなら、普通はテロかクーデタが起こるはずだと思っていた。今回のテロの動機は不明だが、日本でも物理法則は実現するんだなと感じる。
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外国語のテクストの訳読が早晩技術的に乗り越えられてしまうトレーニングとばかり思えないのは、訳読の主眼が外国語を日本語に移すことにではなく、言葉の次元でどんなふうに思考が組み立てられているかを検証し、それによって日本語自体の拘束を反省する契機になるからだと思う。
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話題の東出昌大、なにしろ絵に描いたような善人顔の美男なので、コノヤローと嫉妬をたぎらせる向きがあるのも分かるけど、父親の不倫を絶対許せぬという女を妻にしながら、フラフラッと則を超えてしまうところ、実に人情味があってむしろ愛すべきだと思う。さすが落語ファン、とでも言いたくなる。
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兎も角、日本の研究者が、というより日本語の話者が、日本の資本主義同様、日本語という最大最強の非関税障壁に守られているのは確かで、グローバル資本主義は必ずこの非関税障壁をぶち壊しにくるし、現に来ている。アメリカ人みたいに英会話ができるようになりましょう、みたいなのはその尖兵だろう。
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文学部で仕事するまで知らなかったが、実際、文学部はたくさんの小さな研究室=専門分野の寄合世帯で、哲・史・文・行動科学系の間にまず交流はない(誰も人文諸学一般のことは考えていない)。しかも(なんとなく異種だと思っていた)行動科学系でも、社会学と社会心理学では全く傾向が違うのだった。 twitter.com/yoh_heidegger/…
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この教科書でフランス語を習い、例文を丸暗記したせいで、今でも私は第五共和制憲法冒頭や、フローベールの恋人宛の書簡や、クローデルのボードレール評などを諳んじることができる。蓮實重彦担任のクラスでは、最初の第五共和制憲法の部分だけは、学生を一人一人研究室に呼んでテストしたものらしい。 twitter.com/consaba/status…
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いまや大学院生になると、バイトせずに学資・生活費全部親がかりの者など少数派だろう。そうやって学生にバイトさせて労賃を下げ、またいざという時の雇用調整に宛ててきたのも、この国のやり方だ。学生は、もっと多くの者を救え、と訴えたっていいと思う。
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あえて下品に状況論的に言えば、いまどきの政治勢力の「分断」は、いまや誰も、大江健三郎ほどの振り幅の広さを一つの作品の中に織り込む言葉を書けず、またそれを読めなくなっているからじゃないだろうか。その意味で「戦後」の支柱が失われたのを感じる。
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少なくとも人文系で、英語で読んで英語で書けばよろしいみたいなこと言うのは、ただでさえか「恵まれた」条件を享受している、(人種・ジェンダーを問わず)「ヤンキー」どもに、もっと楽させることにしかならない。そんなことは、北米大陸の陸の孤島でやっておけばよろしい。
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かつてバルトやフーコーがたびたび日本に来て「現代思想」ブームを後押ししたひとつの理由は、仲良しのモーリス・パンゲが駒場で教えていたからだった。アルチュセールとも近しかった人(学生の頃、駒場東大前の駅で見かけた。退官前の最後の年)。そんな事態は、余程の偶然がない限り再来しまい。
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ジジェク。「ネオファシスト」プーチンに対立し、平和を求めるだけでなく、TVの向こうの惨状を生み出したのは「われわれ」であるとわきまえ、ロシアの反戦派とともに、言葉ではなく行動を変えよと呼びかける。現代の「帝国主義戦争から革命へ」テーゼ。
@franceculture franceculture.fr/emissions/la-g…
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元首相が選挙演説中に銃殺され、マスメディアがこぞって喪に服し、民主主義の危機を喧伝しながら、それが別段選挙結果に影響を与えたようにも思えず、ほとんどの国民は黙って棄権を選んだというのは、それ自体すごいことだな。
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ちょっと真面目に言うと、文系の学者がブルジョワでなくても務まるようになったのは、70s以降のことなんじゃないかと思う。自分自身も含め、資本も文化資本もさしてないのに、学者になれるようになった。ある意味、幸福な時代。今はまた、旧体制に復しつつある気もする。
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大阪の友人は、この間のコロナ騒動下に、吉村某や松井某や橋下某がしょっちゅうTVに出てくるのにウンザリしていたが、たしかに、安倍政権の人気が落ちると「野党」ぶって維新が出てきて、政権批判を吸収するという構図は、安倍政権の統治技法かも知れない。
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だが、アフリカ諸国が欧米諸国に奴隷制の賠償を求める運動については、いつもどうなのか、と思う。それは「とりかえしのつかない」出来事を、現在の収支の観点から、「賠償」で「なかったこと」にすることではないか? 歴史の「贖罪」=「買い戻し」は可能なのか? 悪事は金で買い戻せるのか?
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京大は「学生の本分に反する」と称して停学処分を乱発し続けている。しかし、大学が学生を停学処分に処すことの方が、「大学の本分に反する」。京大の100年史を覗いてみれば、全共闘の頃か、学生部長みずからそんな風に言って学生処分を控えていたのが分かるはず。
kyoto-np.co.jp/articles/-/683…
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王様は裸だ、という言葉が暴露として機能するには、少なくとも、裸で人前に出歩いてはいけないという了解が成立していなければならないが、いまや裸だと言われた王様を、みんなして、いや裸だけど何か?と開き直って擁護する。
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社会学を学べば差別がなくなる、か。世の中はお前の頭ほど単純にはできてない、と言いたくなるな。
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天皇制とは、政治的対立にフタをする巧妙な装置だと思わされるのはこういうところだ。どれだけの対立があり、闘争があっても、最終的に「日本国と日本国民の統一」は「象徴」されることによって維持される。悪いのはせいぜい「君側の奸」である、と。 twitter.com/Tshmz/status/1…
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ソ連東欧の崩壊は、確実に知的退行を招いたと思う。社会主義の理想がなくなったからではない。違う体制下に生きている人間が、同じ現象を前にしてもまったく異なる知覚をもち、反応をするという、ごく初歩的なことさえ、いまの人類にはどうやら想像もつかなくなっているからだ。
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ウォーラーステイン没。彼の世界資本主義論は、60s、第三世界主義・脱植民地化後の帝国主義批判の勃興と軌を一にした世界同時的現象だった。日本でも、京大人文研の世界資本主義研究に参加していた角山栄が、いち早くウォーラーステインに目を付けていたと聞く。
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アルゼンチンが没落したのは、世界大恐慌の煽りでイギリス帝国の穀倉でなくなったからで、別に立憲主義が終わったからではない。立憲主義体制のもとで続いた大地主支配に終止符を打ち、曲がりなりにも国民国家の体裁を整えたのは「ファシスト」ぺロンだろう。資本主義と自由主義の幸福など稀なのだ。 twitter.com/AtaruSasaki/st…
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京大は総長選挙、自由投票抜きで、一次選挙から選考会議が示した候補者(何かスゴいメンツである)のなかから一択の形式になったのか。「自由の学風」はどこへやら、どんどん単なるベンチャー系地方大学になっていくな。