若松 英輔(@yomutokaku)さんの人気ツイート(いいね順)

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言葉は種子である 語った人が いなくなってから 咲くこともある 祈りと愛の花々の種である
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早く知らねばならないと思い込むから、時間がないと思うし、焦りもする。だが、何かを味わおうと願うのなら、まず、その焦りを鎮めなくてはならない。大切な人と話をしているときに、明日のことを考え始めてしまったら、いつまでも「今」はやってこない。「今」、それが人生の現場だ。
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ほんとうに苦しい人は、苦しいといえないことがある。だから、支援は、ひとびとの声が上がってきてからでは遅いのだ。
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文字で記されている本でさえ、言葉を理解するだけでは読み解けないのだから、人生の意味が、頭を使うだけでは理解されないのも当然なのかもしれない。この世界は、言葉の姿をしていない意味であふれている。生きる意味も、ほとんどの場合、目に見えず、口にもできない姿をしているのではあるまいか。
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念のために歴史を復習しておきましょう。 twitter.com/news24ntv/stat…
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「布マスク」が届いたが、私はどこにも寄付しない。寄付するなら、ちゃんと機能するマスクを買って、しかるべきところに送る。今、目撃している愚かさを忘れないために書棚に入れておく。
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「分かる」とは何らかの意味で「変わる」ことだといったのは歴史家・阿部謹也の師である上原専祿だった。あることが本当に「分かった」か否かを確かめるには、自分のなかで、何かがか「変わった」か否かを確かめればよい、というのだろう。本当のことだろうが、なかなか厳粛なことだとも思う。
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毎日、コロナ禍をめぐるNY州の記者会見を見ている。中央に知事(政治責任者)が座り、脇を部門の専門家、責任者が固める。クオモ知事はしばしば「すべての責任は自分に」と語る。日本のように専門家に単独で語らせ、責任をいつでも転嫁できるようにはしない。この点に私たちはもっと注意深くてよい。
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大学を辞めようか迷っているとき、伊集院光さんとお話しする機会があった。「若い人に言葉を届けたくて大学の教師になった」と言ったら伊集院さんが「えっ?大学から出た方が言葉は届くかもしれないけどね」と言われ、何か肩の荷が下りたように思いました。これからは若い人の所へ出向いて参ります。
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読書は不思議な営みだ。書かれていることが十分に理解できなくても、行間にある何かがある確かさで感じられる場合ある。文字に表れていない何かを知性とは異なる認識の力が把握するのである。むしろ書かれていることだけを理解する読書の貧しさをこの頃、強く思う。大切な人からの手紙も同じだろう。
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専門家会議は、自分たちも正確なデータをもっておらず、 困っているのだと言いたいだろう。これが二か月前なら、まだ分かる。この間、何をしてきたのか。この会見をみて恐怖を感じないのが世間なら、私はその方が怖い。メディアの皆さんは、どうして食い下がらないのだろう。私は納得できなかった。
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どうして日本の現状を知るのに、CNNのニュースを見なくてはならないのか。しかし、ここを頼みにするしかないのかもしれない。このレポートで、医師が検査を願い出ても90%は受けれ入れてもらえない、と語っている。 twitter.com/willripleyCNN/…
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たぶん、この方たちは自分がなぜマスクをしているのか、わからなくなっているのだと思う。//東京オリンピック開催の最終判断「来年3月以降で間に合う」 | NHKニュース www3.nhk.or.jp/news/html/2020…
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詩は独り言に似てるから、ひっそりと書くのもよい。詩は願いを込めて書くこともあるから、自分以外には分からない言葉で書いてもかまわない。詩は祈りにも似ているから大いなる者の前で、素の自分をさらけ出してよい。詩は言葉にならないものの書く営みだから、書けなかったことを深く味わうのもよい。
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年齢を重ねてくると、若い頃にもっと学んでおけばよかったと感じることが、しばしばある。若さとは、楽しむために与えられた条件であるよりも、むしろ、学ぶために準備された時間なのだと今さらながらに思う。
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40代の半ばから老眼になり、50代になって、より見えにくくなったが、絵や彫刻にふれる感度は、鋭くではなく、より深くなった。かつては、多くを絵を激しく受容したが、今は、一枚の絵の前から動けなくなり、美術館を本当に去りがたいと感じるようになった。老いるとは悪いことばかりではないらしい。
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知的であることは素晴らしい。しかしそれが唯一の在り方ではないだろう。優れて知的でなくても素晴らしい生き方をしている人は無数にいるからだ。だが大学では、知的であることが最初の扉になる。「知」の扉は、「情(感情)」や「意(意志)」の扉の後でもよいのであるまいか。人の痛みが分かる知性。
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3月31日付で東京工業大学を「卒業」しました。これからは執筆と講演、社会人教育にエネルギーを注ぎます。学びの土壌は、働くことによって、実に豊かに培われることが分かったからです。「勉強」は、何ものかに強いられて行うのでしょうが、「学び」は、真の自己に出会おうとする真摯な営みなのです。
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オリンピックは、多くの人が感じているように中止になると思われるが、その理由は、パンデミックが収束しないというだけでなく、パンデミックをめぐる日本の対応が国際社会から、大きく信用を失っていることも大きな要因なのだろう。仮にIOCと日本がやるといっても、多くの国が参加を辞退するだろう。
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どうするべきか父に相談するとこう言った。「数万円を使って絵を見に行くと思えば高額に思えるだろう。しかしそれが単に高いがどうかは、これからお前がどう生きるかによって変わってくる。その価値を生めると思うなら行かないわけにはいかないだろう。」翌日、電車に乗り、兄のいる東京に向かった。
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ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相のコロナウィスルに対する指導力はすばらしい。決断が早く、危機をいち早く国民と分かち合い、そして、何よりも「いのち」を守ることを最優先すると語り、それを実行しつつある。ドイツのメルケル首相とともに今や、世界のリーダーだといってよい。 twitter.com/BarbMcQuade/st…
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「これくらいはできて当たり前」「出来ない方がおかしい」。そんな空気が流れている場所は少なくない。だが本当にそうだろうか。あるとき、「こんなこともできなくなる。それが当たり前」。それが私たちの現実なのではあるまいか。「できる人たちだけがここにいる」。そんな空気は耐えがたく感じる。
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大学に勤務していて、つらく感じたのは、あらゆる所で比較と競争が横行していることだった。人は、己れという絶対を発見しながら、他者もまた、絶対的存在である事実を認識するのだろうが、そうしたことが空論に聞こえるほど比較と競争が日常化していた。そして、それがよいことのように行われていた。
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本当の意味で「成長」したいなら、植物がそうするように、まず深く根を張らねばならない。いたずらに上に向かうよりも、深く下へと進むのだ。人の目に見えるようにではなく、自分にしか分からないように、さらにいえば、自分にすら分からないよう進む。宮沢賢治がいう「透明な軌道」を歩くのである。
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8月6日になりました。皆さん、おはようございます。今日は、広島で亡くなられたすべての人たちに祈りを捧げつつ、一日を過ごしたいと思います。皆さんも、もしよろしければ原民喜の『夏の花』、あるいは彼の詩集を開き、彼に言葉を託した亡き者たちの声に耳を傾けていただけたらと思います。