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メディアでの発言を切り売りして生活の糧を得ている言論人が顧客向きの発言になるのは当然で、最もボリュームのある層が反リベラル、反知性なのだから、それに合わせた発言をするのは不思議なことではない。しかし、本当の知性があるなら、その苦々しさを一番味わっているのは本人のはずなのだが。
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本当に左翼でなくていいから、日本のドメスティックな限界を乗り越えて、世界標準のリベラル・デモクラシーの政治を行える政治家が現れて欲しい。そういう政権であれば、左翼は批判をするにしても、敬意をもって批判することができるだろう。
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冷笑系は形式的な制度をもって日本も自由民主主義国家だと言い張るわけだが、自由主義も民主主義もその主体に相応しい国民が存在して初めて自由民主主義と言えるのであって、そういう主体の存在しない日本を世界標準の自由民主主義国家と呼ぶことはできない。
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実際にコロナでは老人や病者が政府の不作為によって殺されているし、大勢の障害者が殺された事件もあり、その前に数多くの労働者がリストラという名目で生活の権利を奪われている。社会のパイが小さくなると、こうして弱者からはじき出されていく。これが「頭のいい人」の考える「対策」なのだそうだ。
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日本人て人を貶めるのが好きだよなあ。人の誤り、失敗、欠点、弱点を虎視眈々と狙っていて、隙あらばそこを突いて勝ち誇った気になっている。
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今取り沙汰されている「統一教会」だけでなく反共・保守の宗教団体と自民党との深いつながりを考えれば、個人の自由と平等、民主主義、近代主義を基調とする日本国憲法の理念と衝突するのは当然だ。ではそのどちらが全国民にとって利益が大きいか。今後の改憲策動の中でまず考えねばならないことだ。
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個人にはそれぞれ不可侵の領域というものがある。その当人の許可なく何人も触れてはならない領域である。例えば、思想、信仰、性的志向、体質、病歴、プライベートな人間関係・消費・移動・居所等々。マイナンバーシステムはこうした個人の不可侵の領域へ国家が土足で踏み込むことである。
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日本政府には昔も今も、常識は通用しない。
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人間の理性への過信が極めて危険なことは言うまでもない。しかし、理性の限界を知るのも理性の働きなのだから、理性を放棄すれば理性によって生み出された問題を修正することもできなくなる。現実がどんなに理不尽に満ちていても、我々は理性を決して手放してはならない。
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幾度も言っていることだけれど、世の中におかしなことを言ったりやったりする人間がいること自体は止めようもないのだ。ただ、社会の根幹に確固たる倫理があり公正があり正義があるならば、そうしたおかしな言動が影響力を持つことはないのだ。日本社会の根幹にそれらがないことが問題なのだ。
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中島岳志氏の言う「個人の理性には限界があるから歴史の中で鍛えられた先人たちの集合的理性から学ぶべきである」という「保守」の定義には全面的に同意する。ただその「先人たち」を日本人に限定する必要はないだろう。世界中の「先人」から学べばいい。それを日本に限定するから保守が守旧になる。
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世界は厳しい競争の上にあり、力がなければ勝ち残れない、力こそ正義だ、というのは間違いではないと思う。ただ、力というと腕力や暴力やがむしゃらな体力しか思い浮かばないならこの競争に勝ち目はない。現代社会においては経済力も軍事力もそれを支えるのは知力なのだから。
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放射線は目に見えない危険なものだというと「放射脳」と揶揄され、コロナはよく分からない危険な感染症だというと「コロナ脳」と揶揄されるなら、中国が攻めてくるというのも「中国脳」と揶揄されるのだろうか。
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今の日本の状況は、まさに昏迷、混乱、迷走で、それは政治や社会に無関心な国民と、それゆえ問題解決能力のない政府がもたらした当然の帰結ということになる。この国を救うには強く正しい意思を持った国民が一人でも増えることしかないが、それが難しいというのであれば、もはや何をか言わんやだ。
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60年代、70年代の異議申し立ての方法と現代の異議申し立ての方法が同じである必要はない。ただ、国民が異議申し立てをしなければ決して世の中はよくはならないということは、いつの時代も変わらない。
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資本主義の枠の中で新自由主義に対抗できるのは社会民主主義しかない。岸田の言う「新しい資本主義」には社会民主主義的要素がない以上、社会民主主義的政策を柱とした野党共闘で政権交代を目指すべきだろう。まずはあくまで経済福祉政策の一致に限定し、それ以外の価値観の分かれる問題は棚上げして。
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「戦争を起こさないように努力するべきだ」という言説も一見全うではあるが、いったん戦争が始まってしまえば、主戦論に転じない保証はない。いかなる戦争にも反対するという姿勢を貫ける日本人はいったいどれほどいるだろうか。しっかり見届けていたい。
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内閣改造人事では、当然統一教会との関係を問われることになるが、全く関係ない議員なんているのだろうか。
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「バカであること」が高い価値として評価される社会では、皆競ってよりバカになろうとするのは当然のことだ。
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日本の自公政権や資本家・経営者が世界と比べて特に悪辣というわけではないだろう。日本に欠けているのはそれらに対する対抗力であり、力の拮抗である。その力があまりに弱いために権力を持つ者のやり放題となり、不正義は正されず、社会もよりよい方へ向けて発展していかないのだ。
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多くの日本人にとってリアルに実感できるのは自分と身内だけであって、その外でどれだけ人が死のうと、何が起ころうと、自分の身に迫ってこない限り、単なる風景(今風に言えば情報)に過ぎないのだ。原発事故やコロナ禍で現れたこの状況では、社会全体に責任を負うべき政治が生まれるはずもないのだ。
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リベラルは嫌い、インテリは嫌い、老害は嫌い、左翼は嫌いという憎しみの四重奏にさらされている😂
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日本はこのままではまずいと思っている人は、一般人から専門家まで決して少なくないと思うけれど、ではどうすればよいかを部分ではなく、全体を体系的に示せる人はいないのではないか。結局、今この飛んでいる飛行機にはエンジンや機体の専門家はいても、操縦士が誰もいないということだろう。
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立場上上の言うことに従っているという人が、内心で本当に思っている通りの行動をしたら、それだけで日本は今とはずいぶん違う国になるだろう。
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宮台真司氏の言う「感情の劣化」というのはよく分かる。確かに理性が感情をコントロールするのではなく、感情が理性を規定するものだろう。そう考えるといかに「感情教育」が重要かということになる。豊かで人間的な感情をどう育てていくか。心の豊かさと貧しさを見極められる人を育てる必要がある。