中嶋 哲史(@J_J_Kant)さんの人気ツイート(リツイート順)

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戦争になったら兵隊の命への配慮は必要ないという考えと、財政が厳しくなったら老人や障害者の命への配慮は必要ないという考えとは同一である。日本人が「人権より国益」という考え方から抜け出さない限り、状況次第によって掛け替えのない人の命が国によって奪われる。
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社会は個人の集まりなのだから、正しく考え正しく行動する個人がどれだけいるかが正しい社会の条件となる。正しい個人がわずかしかいない社会が正しい社会になることなど原理的にあり得ない。
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Twitterというのは安全地帯から石のつぶてを投げつけられるところだから、自分の気に入らない相手に対して容易に罵詈雑言を浴びせることができる。その意味では人の悪意や憎悪を増幅する装置であるとも言える。面と向かっては言えるはずもない言葉が自然に出てくるのである。
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日本の軍備拡張は精神安定剤以上の意味はない(精神安定剤としての意味はある)。ただし、非常に高価な薬だから、日常生活が圧迫されることは覚悟しなければならない。
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日本には日本国憲法という立派な国家の指針があり、政府がその理念を誠実に履行すれば世界に伍して恥ずかしくない国になれるのに、言うまでもなく自民党政権にその気はないから、糸の切れた凧のようにただ世界を浮遊するだけの国になってしまった。
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たまたまタイムラインに流れてきた立教大学の授業での先生と学生のバトル。学生があそこまで激高して、儀礼も弁えない汚い言葉で教師を罵倒しながら、求めていたものが「面白い授業」であるということに脱力する。教授の学説が受け入れ難いとか、方法論的に間違っているとかいうのならまだしも。
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趣味とか好き嫌いとかの話ではなく、道理に合わない判断は結局失敗に終わるということで、それは政治においても同じだ。アベノミクスが失敗したのは道理に合っていなかったからであり、モリカケサクラが批判されたのは道理(法理)に反していたからだ。道理に反する政治は多くの人を不幸にするのだ。
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日本会議や神道政治連盟は一応日本文化の中にその根拠を持っている保守・右派団体であり、日本の保守政治に一定の影響力を持つこともやむを得ないとは言えるが、統一教会は外国の宗教団体で、どうしてそれが政権党を事実上支配できるのか、まったく理解に苦しむ。やっぱり集金力の違いなのだろうか。
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「人間の尊厳は不可侵である」というドイツ憲法第1条の冒頭の言葉こそ、我々も身に着けなければならない人類共通の理念だと思う。老人にも若者にも、女性にも男性にも、障害者にも健常者にも、外国人にも日本人にも、同性愛者にも異性愛者にも全く同等の尊厳がある。
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男も女も、老人も若者も、健常者も障害者も、日本人も外国人も、すべての個人は対等平等だという意識を皆が持てなければ、民主主義は成立しないし、人権も守られないし、嫌悪と憎悪が渦巻く差別社会しか生まれないだろう。競争だってその上で行われなければ向上の契機にはならない。
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早く日本が多民族国家にならないかなあ。
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日本政府の方針を決めているのは自民党なのか統一教会なのかもはや分からなくなっている。日本はカルトの腐海の中に沈んでいくようだ。
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「日本には四季がある」というのは今は昔の物語で、いつの間にか夏と冬の二季だけになってしまった。
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なぜ政治は真面目でなければならないのか。それは政治は他人の人生に関わるからだ。自分だけのことならヘラヘラしようとチャラチャラしようと自由だ。しかし、人には人それぞれ計り知れない事情があるのだ。政治はそれらすべてを汲まなければならない。だから必然的に真面目にならざるを得ないのだ。
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民衆には「数」という力があるのに、日本はそれを活かせていない。リベラルの中には人と「つるむ」ことを酷く嫌う者が少なくない。しかし、数で動くというのは「つるむ」とは違うと思う。馴れ合うのではなく、同じ目的を掲げてあくまで個人として連携して行動する。そういう運動が生まれて欲しい。
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これ本当におっしゃる通り。要するに政府には私生活に介入して欲しくないのだ。 twitter.com/koichi_kawakam…
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成長しないと倒れてしまい、資源の浪費と環境の破壊と格差の拡大しかもたらさない資本主義経済をいつまで続けるのだろう。いや、いつまで続けられるのだろう。
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政治というものは個別利益の奪い合いではなく、普遍的価値の創造(の競争)であるべきなのに、日本の政党はどれも狭い団体の利益代表にすぎず、どの政党も普遍的・全体的視野を欠いているから、結局相対的多数の個別利益だけが実現し、いびつで歪んだ社会にしかならないのだ。
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国民のレベルが低ければ、政府はいくらでも手を抜けるし、消費者のレベルが低ければ、生産者・供給者はいくらでも手を抜ける。自分たちのレベルを上げなければ結局損をするのは自分自身なのだ。
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政治はまず社会の助けを必要とする弱者のためにあるのであって、強者は政治に頼ることなく、自由に活動すればよいのだ。政治も彼らの活動の自由は保障しなければならないが。日本はそれがまるで逆で、政治は強者を保護するばかりで、弱者は常に厄介者扱いされる。全く不正常な政治が続いているのだ。
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正直に言うとこのフォロワーさんの数は荷が重いのだけれど、気負わず気にせず、これからも「違和感」を呟いていきます。皆様の何かの気づきのきっかけになれれば幸いです。
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政治家や官僚が理(法理)を忘れたら国は滅びる。政治は徹底的に理に基づいて行われなければならず、国民は理に基づく政治を行う政治家を選ばなければならない。国会はその理を競う場なのだ。情を活かす場は政治以外のところにいくらでもある。このメリハリをつけることが豊かな文化を生む。
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今の日本の問題は、この民主制を捨て貴族制へ向かおうとする動きを止める力があまりに弱いということだ。最も鋭く対立するべき労働界は完全に貴族制になびき、マスコミも言論界、学界も今や多くは貴族制の側に立つ。政党も維新、国民は言うまでもなく、立憲も貴族制と民主制の間で逡巡している。
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どうして自民党の政治家や閣僚というのはかくも「正々堂々」としてないのだろうか。それだけで信用に値しないのだ。
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共産主義イデオロギー(そんなものが今あるとして)よりも反共イデオロギーの方がはるかに強力かつ広汎で権力とも深く結びついているということだ。現実を離れた虚偽意識が社会を牛耳っている訳だ。脱反共イデオロギー、脱カルトが課題なのだけれど、この課題の前では絶望的にならざるを得ない。