中嶋 哲史(@J_J_Kant)さんの人気ツイート(リツイート順)

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自民党支持者の主張を見ていると、彼らは自民党の政策を論理的に支持しているわけではなく、また野党の主張を論理的に批判しているわけでもなく、ただ「日本と日本人はこうでなければならない」と言っているようにしか見えない。これが「国体護持」でなくて何であろうか。
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結局、リベラルは思想の流行り廃りなどとは関わりなく、すべての人の自由と人権が保障される理性的で進歩的な社会の実現へ向けて、愚直に粘り強く発言を続けることが大事なのだと思う。世の中は一気には変わらないし、時に後退することもあるのだから。
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考えてみれば欧米の政治はシンプルで、自由競争重視で格差を容認し小さい政府を志向する勢力と、人権や環境を重視し相対的に大きい政府を志向する勢力が、時々の経済・社会情勢に応じて政権交代を繰り返してバランスを取っているが、日本はそのような二大勢力は形成されず、そこに天皇制やら宗教やら、
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今さら日本が軍拡しようと核武装しようと、そんなものは気休めでしかない。核大国にやられたら終わり。それよりやられない国造りと外交力を高める方がよほど現実的だ。相手も人間なのだから。
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政府が国民を信用していないから、国民も政府を信用しなくなる。国の中に相互不信が蔓延し、信じられるのは金だけだということになり、それがまた人への不信を増長させ、日本の国力衰退の負のスパイラルを生んでいる。野党には何としてもこの悪循環を断ち切って欲しいのだ。
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台湾の裁判所は同性婚を認めない日本の法律は「公序良俗に反して無効」という判断をしたけれど、日本がこのままだと他の分野でもこういう判決や判断が増えていくだろう。
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「もし封建時代から継承された他力本願的な気持を清算できないならば、……明治憲法に比し飛躍的な近代的性格を持つ新憲法を時の経過と共に空文に葬り去ってしまうことが、決してないとは言えない」 これは75年前、憲法学者芦部信喜が23歳の時に書き、つい最近発見された遺稿(『世界』5月号所収)の
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日本にはドイツ社会民主党のような政権担当能力もある息の長い中道左派政党がどうして作れないのか。個々には熱心に活動する個人がいても、層としてまとまらなければ保守・右派への対抗力にはなれない。中道左派層をどう形成すればよいのか。ここでいつも答えに詰まってしまう。
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このところの右派ポピュリズム政党の簇生や、統一教会による侵食、さらに「ひろゆき現象」には通底する問題があると思う。これらは生体でいえば免疫力の低下による日和見感染のようなものだろう。つまり社会や政治が健全さを保つ能力を失っているということだ。生体ならかなり危険な状態だ。
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個々人が依存を脱却し自立すること、個々人が正しく学び正しく考えること、個々人が規範を持ち正義に生きること。こういう人が増えれば政治も社会も必ず変わる。こういう人が増えなければ社会はもたれ合いの重みに耐えらなくなり、内から潰れていく。これ以外に日本が救われる道はない。
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日本は様々なマイノリティーと平和的に共存してきた、昔から多様性を認める差別のない国だと言う人がいるけれど、それは単にマイノリティーが黙って耐えて耐えて耐えて耐えてきたことに気づいていないだけの話だ。
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アノミー(無規範)となった社会で唯一信頼できるものは金だとなるのは当然だ。他方でやはり人は確固たる信念体系にすがりつきたくなるもので、そこにカルトが入り込む余地がある。西洋にはキリスト教という回帰点があるが、日本にはそのような回帰点がない。金かカルトかにすがりつくしかない。
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Twitterには新自由主義的冷笑系保守派とでも呼ぶべき一群の人々がいるけれど、彼らの人間観は、人間を動かすものは金銭と暴力であり、人間はある刺激に対して一定の反応しか示さない機械のようなものだと考えているようだが、人間の本質はむしろそこから常に逸脱しようとすることではないか。
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ぼくにも一人娘がいるが、娘が3歳だったときのことを思い返すと、子供がこんな苦しみの中で死んでいったことで、ご両親の怒り、悲しみ、無念、絶望はいかばかりであるか、想像するだけで胃が痛くなる。車を降りるときに車内を見渡さなかったことは「ヒューマンエラー」だと?ふざけるんじゃない。
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日本の経済が回復しないのは経済政策がまずいのではなく、国民の能力を育てない教育と、その能力を引き出したり活用したりできない企業の体質の問題だろう。
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どこの国の人であろうと、困っている人に最低限度の生活を保障することがなぜ気に入らないのだろう。もちろん保障には限度があるし、不正受給は端的に詐欺なのだから告発すればいい。しかし、可能な限り支援を行う、そのために税金を納めるというのは人間として当然のことだと思うが。
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教育とは自己教育力を育てることであり、学校はすべてのことを教える場ではないし、だいたいそれは初めから無理なこと。ただ、古文漢文であれ、微積行列であれ、そういう世界があることは学校で触れるべきであって、それがその先に各自が自ら学んでいく道案内となるのだ。
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マスクをするかしないかぐらい、誰かに決めてもらうのではなく、自分の頭で考えて、誰になんと言われようとするならする、しないならしないとできないのか。情けない。
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今、コアの支持者を除いて政府を信用・信頼している国民はどれだけいるだろうか。コアの支持者だけでも政権は維持できるかもしれないが、国全体の運営がうまくいくとは限らない。これは決して数値には現れないが、日本全体のパフォーマンスは相当低下しているのではないだろうか。
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中国への敵視政策は自ら危機を作り出しているようなもの。「力による現状変更」はもちろん許されないが、かつて「力による現状変更」を一方的に行った当事国がろくな反省も清算もしていないばかりか、その時代への憧憬を隠さないのだから、説得力はない。
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政府がするべきことをしなければ当然こうなる。今の日本を象徴する結果。 www3.nhk.or.jp/news/html/2022…
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何度でも言うけれど、正義とは自分を縛るものであって他人を縛るものではない。ただ、その正義に普遍性があれば多くの人に広まるだろうし、普遍性がなければその人の内なる正義にとどまるだろう。それだけの話だと思う。
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このままではいつの間にか気がついたら世界戦争になっていたとなりそうだ。毅然と戦争をやめろ!と言う国は現れない。
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日本という国だけを取ってみても、豊かな人もいれば貧しい人もいる、元気な人もいれば病弱な人もいる、学歴の高い人もいれば低い人もいる、海に住む人もいれば山に住む人もいる…、そういう全ての人を包括し、一部の利益ではなく、全体の利益を最大化していこうと考えるのが政治ではないのか。
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自由を徹底すれば平等が壊れるし、平等を徹底すれば自由ではなくなる。だから自由も平等も相手のために譲歩する必要があり、完全に自由で平等な社会というものは諦めなければならない。しかし多くの人が許容できる不自由・不平等を最低ラインとして、自由と平等を最大化していく努力が政治の役割だ。