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日本政治のちぐはぐさは、端的に言って「国民のため」という思想や発想が政府にも多くの国民にもまったくなく、「権力構造(国体)の維持のため」という政治観が当たり前のように人々の心の奥底まで通貫していることが原因だろうと思う。「国体」から逃れられないのは日本人の宿痾なのだ。
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人の本性は善か悪かというのは不毛な議論で、善にせよ悪にせよいつどういう形で現れるか分からないのが人間というものだ。だから人を考えるときには、常に悪を警戒するとともに善を信じなければならず、どちらか一方では必ずうまくいかなくなる。
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今回の知床の観光船事故は6年前の軽井沢スキーバス転落事故を思い起こさせる。利益優先で安全運行管理を怠った結果だろう。あの教訓が全く生かされていない。人の命を預かる事業を行う企業を自由な競争原理の下に置くべきではない。劣等な企業が淘汰されるとき、そこに乗客の命が巻き込まれる。
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学問は普遍的真理に寄与するのであって、普遍的でも真理でもない時々の政府が批判の対象となるのは当然のこと。学問と政府のどちらが上位かといえば、言うまでもなく学問に決まっている。
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もう21世紀も半ば近いのだから、いい加減国家という枠組みを中心にして考えるのやめたらどうなんだ。これは一国でできることではないから、国際社会に向けて国家を相対化していこう、最終的にはなくしていこうという運動が広がって欲しい。
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昭和の頃までの官僚は、反共ではあったけれど、基本的に近代主義者であり合理主義者だった。だからその点は信頼できたのだが、いつの間にか官僚も自民党に歩調を合わせ、非合理的民族主義と新自由主義のアマルガムに成り下がった。
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弁護士の口から「反日」という言葉が出るのも驚きだが、「反与党」にすぎないことを「反日」と呼ぶとはいかがなものか。すべての国民には日本をどのような国にするかの選択の権利が保障されているのであり、それがどんなに厳しく現体制を批判し、根本的に異なる体制を対置したとしても、日本という国を
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大阪万博の公式キャラクターを見て、ああこれは極一部の人だけが内輪で盛り上がるイベントで、多くの人に喜んでもらおうという考えは初めからないのだなということを想像する。
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日本を正しい軌道に戻して、主体的で持続可能な発展社会に変えていくには、国民の知的レベルを実質において高めていかなければならない。今の教育では質的にも量的にも足りない。高等教育が科学技術系に傾くのは時代の要請だろうが、それなら高校までに人文系の基礎をしっかり育てなければならない。
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芸妓・舞妓・お座敷遊びというのは、どうしても守らなければならない伝統文化なのだろうか、とは思う。
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一人の人間が見ることのできる世界は世界全体のほんの一部でしかないのだけれど、人はそれを全てだと思い込む。逆説的なようだが、自分には世界の一部しか見えていないのだと自覚することが世界全体を見る視力を与えてくれる。自分の目に満足していたらいつまでも群盲を逃れることはできない。
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護憲派は現在の憲法を一字一句変えずに(旧仮名遣いを新仮名に、各条文に見出しをつけるぐらいの手を加えて)、「憲法改正案」として発議し、国民投票を経れば「押し付け憲法」という批判は封じることができる。
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人の行動制限がなくなるということは、ウイルスも行動制限がなくなるということなのに。
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先進国の要件というのは経済的豊かさだけではない。全ての人権が保障され、教育のレベルが高く、文化や芸術も充実し、知的で穏やかで平和的な人々が秩序を守って暮らしている国。まあ、これはユートピアに違いない。しかし、そういう国を目指さずしてどうして本当の先進国になれるだろうか。
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この3年半のコロナ禍でも、国民の生命や健康を守ることより、財政を守ること、企業の利権や経済活動を守ること、つまり命より金を優先したことはしっかりと記憶に留めておきたい。
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日本の学校は点数至上主義だから学習が「負担」となるのだ。どの教科でも自分の理解できるところまで理解すればいいのであって、それでテストの点数が何点だろうと自分の人生には関係ない。点数に縛られなければどんな科目も好きになれる。
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難民は難民を出す国の責任、どうして日本が受け入れなければならないのだというツイートを見て、今さらだが人間として心は痛まないのかと情けなくなる。その国の政府に責任があるのは当然。だが、それを言っても今助けを求めている人は救われない。イエスでなくとも「誰が隣人か」と問いたくなる。
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医療資源を守るために感染しても治療の必要がない人は必要のある人に譲れと言うけれど、治療の必要があるかないかを決めるのが医療ではないのか。他の病気であれば「素人判断は危険、おかしいと思ったらすぐ医師に相談を」というけれど、それはコロナだって同じだろうに。
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結局日本政府のコロナ対策というのは、いかに政府の負担、保健所の負担、病院の負担を最小限にとどめるか、いかに経済活動を通常通りに保つかだけが優先的に考慮され、国民の命や暮らしについては運命だと思って諦めろということだったのだ。
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もうここらで真剣に、日本人全体の本当の知性を数段アップさせないと、間違いなく日本は滅んでしまうだろう。
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日本が日本的なやり方でうまく行ったのは高度成長までで、バブル以降はそのやり方では生き残れなくなったのだ。しかし、そこに権力の根拠を持つ権力者たち(政官財)は、たとえ日本が没落し国民生活が破綻しようとそのやり方を変えることができない。本当の近代へ脱皮する以外に活路はないのだが。
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安倍政権のモリカケサクラや岸田息子の公邸遊戯、さらには閣僚の靖国参拝は私による公領域の侵犯だけれど、マイナカードは公による私領域の侵犯なのだ。近代国家の大原則は公と私の截然とした区別の上で、人は両者で異なる行動原理を取ることなのに、両者の区別に意識が行かない日本は未だ前近代。
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「人への投資」は結構なことだが、時代に遅れ道理に外れた日本の権力構造を破壊できる人材を育てない「人への投資」なら意味はない。
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岸田息子にとって首相公邸は「俺んち」なのだろう。このように、この国には「公」概念はなく、政治は力の強い者の私益の実現ということになる。だから企業も諸団体もマスコミまでも、権力と私的な関係を結ぶことで私益を実現しようとする。
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自助とか自己責任と言う人の根底にあるのは、別に新自由主義的経済合理主義ではなく、単なる人間嫌いだろう。