851
早く日本が多民族国家にならないかなあ。
852
近代日本の成長の原動力は常に先進諸国との経済的、文化的、軍事的格差を解消することだったから、そこに追いついた時点で成長は止まり、あとは停滞か迷走かもしくは勝手に暴走して自滅するしかなくなる。その間に再び大きな格差が開くまで、日本の衰退は続くだろう。
853
斎藤幸平氏の「脱成長コミュニズム」には本当に共鳴、共感するし、それ以外に人類が救われる道はないと思うけれど、そこに至る道程は明らかでない。結局はそこへ向かう持続する意志を持つしかないのだろうか。
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人の命を犠牲にしてまで守らなければならない社会というのは詰まるところ権力者にとって都合のよい社会であって、犠牲になる者たちにとっては自分の命を犠牲にしてまで守らなければならない社会ではない。
855
野党も含め、政治に道理や理性が存在しないというのは、日本人あるいは日本社会に何か根本的な欠落があるとしか思えない。
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日本は個人でも国家でも、あるいは企業や学校その他の集団でも、未来を論理的にかつ現実的にデザインするということが決定的に不得意だという気はする。
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この女性が「昔からある寸借詐欺」かどうかは分からない。しかしこうした事実から「何かが始まった」と考えることが重要で、それが問題意識だ。ぼくも何かが始まっていると考える。 twitter.com/OGURISaori/sta…
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平等は まやかしだけの 消費税
金持ちに 苦しみ分からぬ 消費税
取る側の 便利さだけが 消費税
金持ちの 優遇穴埋め 消費税
万骨の 枯れ果つるとも 消費税
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検察は何とかして山上容疑者を起訴しなくてよいことにしたいのだろう。
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日本会議や神道政治連盟は一応日本文化の中にその根拠を持っている保守・右派団体であり、日本の保守政治に一定の影響力を持つこともやむを得ないとは言えるが、統一教会は外国の宗教団体で、どうしてそれが政権党を事実上支配できるのか、まったく理解に苦しむ。やっぱり集金力の違いなのだろうか。
861
ぼく自身は、人間にとって自由は命の次に大事なものだと思っているから、リベラリストの看板を下ろすつもりはない。
862
ぼくが自然とリベラリストになれたのは父がリベラリストだったからで、昭和4年生まれの父は、自由は命の次に大事なものだといつも言い、そのようにぼくらを育てた。
863
Twitterに自分を晒していれば一定の割合で嫌われるのは仕方がないと思う。万人から好かれようなどとは思っていないし、嫌いたい人は嫌えばいい。それで自分の意見が変わることはないのだし。
864
そもそも日本の植民地支配、慰安婦問題、戦場での残虐行為等々について、ぼく自身はまったく「恥ずかしい」という思いがないので、それを隠蔽したり歪曲したり修正したりする必要性を感じないのだ。日本無謬論にも神聖論にも立たないし、帝国主義的支配と戦争の人類史上の一コマに過ぎないのだから、
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Twitterという巨大SNSをオーナー一個人の意思で左右できるのかという社会実験のようだ。
866
嫌われることを恐れていると、言いたいことも言えなくなるし、生きたいようにも生きられなくなる。一見我儘そうに好きなように生きている方が不思議と人は集まってくるものだ。皆もっと人の目なんか気にしないで好きなように生きればいいのだ。
867
リベラルというのは実際には厳しいものだと思っている。そんな皆が皆温かく迎えてくれるはずもない。嫌われ、叩かれ、非難される自由も認めなければならない。それでも潰れない強さがないとリベラルを維持することは難しい。
868
困っている人を助けたいなら私費でやれ、公費を使うなという考えも自由だけれど、そういう人が少数になるような社会を目指したい。
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性売買は女性の性の搾取なのか自由な営業なのかは当の女性の主観的受け止めによるもので、他人が一方的に決めつけることではないだろう。ただ、後者のつもりで始めても前者に陥ることはあるはずで、そこへ陥った女性を自業自得と突き放すべきではない。
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昭和の時代までは、全体を統括し領導する少数のエリート、優秀な技術者、勤勉で忍耐強い大衆という「鉄のタッグ」で高度成長を達したが、こうした発展途上国型の体制では先進国となった日本は維持できないのだ。いつまでもこうした体制にしがみついているのだから、没落するのも無理はない。
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真の愛国者というのは、例えばヴィシー政権下のレジスタンスのように、外国の侵略や支配を受けたときに、それに抵抗する人々であって、自分の国家観に反する国民を排除しようとする人々のことではない。はたして日本が外国の侵略や支配を受けるとき、本当の愛国者はどれだけいるだろうか。
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相変わらず「リベラルはなぜ嫌われるか」という議論が続いているけれど、嫌われて何が悪いとしか思えない。嫌いたいものは嫌えばいい。
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「狂信」はカルトの属性だと思うけれど、自民党や保守派の「反共」には狂信的なものを感じる。かつては狂信的な共産主義者がいて様々な事件も起こしたが、もはやそのような共産主義者などいなくなったのに、片方の「狂信」だけが生き残っているのは奇妙だ。
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帝京大の教授の一件を見ても、元々「規範のない国」の馬脚が現れたという感じで、一皮剥いたらどこもかしこもこんな連中で溢れているということだろう。規範を守るというのは一種の痩せ我慢だけれど、その我慢をしなくなれば社会は内から崩れていく。
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共産主義さえ撲滅できれば日本を売り渡してもいいと、健康のためなら死んでもいいとは似ている。