576
医療資源を守るために感染しても治療の必要がない人は必要のある人に譲れと言うけれど、治療の必要があるかないかを決めるのが医療ではないのか。他の病気であれば「素人判断は危険、おかしいと思ったらすぐ医師に相談を」というけれど、それはコロナだって同じだろうに。
577
どんな病気だって「すぐに医師に相談を」であるのに、コロナになるとPCR検査は無駄、コロナはただの風邪、治療法はないのだから家で寝ていろという言説が現れるのは、ひとえに新自由主義的医療政策の結果、医療体制を貧弱化させた失政を隠すためにすぎない。全く愚かしいことだ。
578
日本を近代的な民主制国家であると思うから大問題だとなるが、古代的な貴族制(寡頭制)国家であり、世襲の執政官が神政政治を行っている国だと思えば、別段何の問題もないということになる。
579
金の魔力に打ち勝てず、善悪を捨て去ったために国が衰微していくなんて、陳腐すぎて話にならない。
580
自民党政府にとってはコロナも統一教会も突然降って湧いた「天災」だから、ひたすら首をすくめて災難が通り過ぎるのを待っているのだろうと思う。これらの問題を真摯に受け止め、(国民のために)積極果断に解決していこうという意志は微塵も感じられない。
581
国葬はなんとしてもやめさせたいが、もし世論に押されてやめたとなれば岸田の政治生命も終わるから、オリンピックと同じように絶対に強行するだろう。しかし、このように自己の保身とメンツで道理に合わないことを積み重ねていくから、国全体がどんどん常軌から外れていくのだ。
582
自分の権利を主張することは必要だし、いつでも主張するべきなのだが、自分が権利主体であると全く同等に他者も権利主体なのであって、自分の権利が他者の権利に対して何の根拠もなく優越するなどということは決してないのに、他者の権利を圧することが権利の主張だと勘違いしている人は多い。
583
米ソ冷戦のときは黙ってアメリカに付いていればよかった。しかし米中冷戦はそうはいかない。米中の対立で最も深刻な影響を受けるのは日本だろう。下手をすると代理戦争の戦場になりかねない。どちらの言いなりにもならない主体性こそ日本を救う途だが、おそらくそうはなるまい。
584
世界で一番人を殺してきたのは共産主義だと吹聴している人がいるけれど、重要なのは誰が一番殺したかではなく、人を殺しやすい歴史的文脈に注目することであって、そういう文脈を再び作り出してしまったら、共産主義であろうとなかろうと、多くの人が殺される事態が生じることは避けられない。
585
国のコロナ対策はともかく「支出を最小限に抑える」という一点で一貫しているが、金はあるけれど国民のために使うのは嫌だというのならまだしも、本当はもう出せる金もないのではないかという懸念は拭えない。大戦末期の政府だってそうだったではないか。破綻は近いのではないかと予感する。
586
政治というものは個別利益の奪い合いではなく、普遍的価値の創造(の競争)であるべきなのに、日本の政党はどれも狭い団体の利益代表にすぎず、どの政党も普遍的・全体的視野を欠いているから、結局相対的多数の個別利益だけが実現し、いびつで歪んだ社会にしかならないのだ。
587
アベノミクス、コロナ、統一教会はそれぞれ問題の性質は異なるが、政府の問題解決能力の欠如が露呈したということでは共通している。もはやお手上げ状態で今後もさらに迷走が深まることは確実なのに、国葬だけはしっかりやるらしい。
588
古市憲寿氏もそうだけれど、取りあえず左派やリベラルの言うことには反対するということをしていると、正しいことであっても左派やリベラルが言っているからやめておこうとなって、結果として間違ったことを選ばざるを得なくなる。
589
内閣改造人事では、当然統一教会との関係を問われることになるが、全く関係ない議員なんているのだろうか。
590
統一教会の教義と保守派の価値観・世界観がほぼ重なっていることが厄介なのだ。思想良心信教の自由は誰にもあるから、統一教会を信仰したり共鳴したりすることに他者が介入することはできない。もちろん教団の違法行為については法に則って裁かれるべきだが、その先は個々人の良識に委ねるしかない。
591
日本には本当の民主主義はないけれど、本当の資本主義もないのだ。どちらの主体もブルジョワ(市民)であり、彼らにとって国家(政府)は基本的に敵対する存在であり、政府を自己のコントロール下に置くために民主主義が生み出された。こういう原則のない日本を近代国家と呼ぶことはできない。
592
『世界』9月号では自民党と統一教会の関係が「緊急特集」されている。早速、中野昌宏「統一教会・自民党関係史」を読んだ。この論文の中でも「統一教会と自民党の思想・主張の内在的な共通性」が論じられているが、ここに単純に「政教分離」では片付かない深刻で本質的な問題があるのは明らかだ。
593
古市憲寿といえば、以前なんかのラジオ番組で、「温泉や公衆浴場は絶対にダメ。他人の入った液体に自分の体を浸すことができない(空気ならまだ許せる)」と言っているのを聞いて、まあそれは個人の趣味だから是非は論じないけれど、この人の言うことは聞く価値はないなと思った。
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普通に政権交代のある国なら、時の政権が鳩山由紀夫や志位和夫を国葬にしようと言い出すこともあるわけで、そうなったらきっと全力上げて反対するんだろうに。
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日本は先進国では唯一、天動説を公式認定しているような国だから。
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日本を救えるのは、特別の人間ではない普通の人々が、一人でも多く、空気を読まない、長いものに巻かれない、見て見ぬふりをしない、正義の観念をしっかり持った自立した個人となること以外にない。それは自民党が最も嫌がることだから、教育制度に期待することはできない。自分たちで作るしかない。
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改めて、「正義」とは自己を律するものであって、他者に及ぼすものではないということを申し添えておきます。
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カルトかカルトでないかの判断は市民社会原理に反しているか否かが基準となるだろう。いかなる信仰も個人の内心として自由は保障されるが、それが自由、人権、民主主義、法の支配(どこかで聞いたなあ)という市民社会原理に反していれば、宗教法人としては認可されるべきではない。
600
共産主義は市民社会原理の延長(止揚)の先にあるのだと言っても、分からない者には分からないから、これ以上言ってもしょうがないけれど。