601
反共主義というのは、現実にあった共産主義を標榜した国々への忌避感情を利用することで、社会をよりよくしていこうとする人々の真面目で真摯な努力を阻害する、極めて有害な思想と言うべきだろう。
602
日本共産党がかつて社会民主主義と対立しそれを批判してきたことは確かであり、今はそういう考えがないのであれば、綱領など読まない一般人にも分かりやすく、その反省と方針の変更を示して欲しいとは思う。共産主義と社会民主主義の区別など、現代では無意味なのだから。
603
政治とは「国家の意思決定の場」であるのだから、誰もがそこに参加する権利がある。もちろん宗教団体も労働団体も、なんなら反社会的団体でさえも。しかし、その意思決定の議論の中で、極論、個別論、無意味論、反社会的議論等々は排除されるものなのだ。もし政治が正常に機能していれば。
604
日本にはたくさんのカント学者がいるはずなのに、日本社会は少しもカント化されない。いや、本屋に行けば近代思想、近代哲学、近代政治学、近代社会論等々の本が溢れているのに、日本社会は少しも近代化しない。本当にこの現実には目眩と嘆息しかないが、今日も近代とは何かを考え続ける。
605
体感として90年前後から今までの常識、規範、倫理といったものが通用しなくなっているなと感じていたが、古い規範等が時代遅れとなり、新しい規範に取って代わられるというならまだしも、ついにそれは形成されず無規範状態がどんどん深まっているように思われる。
606
規範は人々の間の信頼でもある。だから規範がなくなれば人々は相互の信頼を失い、個々がバラバラに孤立して生きざるを得なくなる。デュルケムの言った「アノミー」である。デュルケムの時代から100年遅れて、今日本は本格的な「アノミー」状態に入ったということではないか。
607
今、コアの支持者を除いて政府を信用・信頼している国民はどれだけいるだろうか。コアの支持者だけでも政権は維持できるかもしれないが、国全体の運営がうまくいくとは限らない。これは決して数値には現れないが、日本全体のパフォーマンスは相当低下しているのではないだろうか。
608
医療体制を守るために国民(患者)を犠牲にするという、安定の日本政府しぐさ。
609
仮に今回の件で自民党内に危機感が生まれ、表向き統一教会との関係を断ったとしても、本質的に両者の利害は一致しているのだから決して断ち切ることはないだろう。だいたい統一教会だけでなく、怪しげな宗教団体との関係は他にいくらもあるのだから、神政政治が終わることはない。
610
本当に日本に左派政権をなんて贅沢は言わないから、せめてせめて日本国憲法に準拠した、近代的で合理的な自由民主主義政権が生まれて欲しい。それは決して不当な要求ではないだろう。
611
20XX年。厚生労働省通達。
「国民の皆様、医療費削減のためにがん検診は控えましょう。がんになるのは前世の悪業の報いです。このまま地獄に堕ちないように厚労省指定の壺を買いましょう。今ならマイナポイント3倍です」
612
アノミー(無規範)となった社会で唯一信頼できるものは金だとなるのは当然だ。他方でやはり人は確固たる信念体系にすがりつきたくなるもので、そこにカルトが入り込む余地がある。西洋にはキリスト教という回帰点があるが、日本にはそのような回帰点がない。金かカルトかにすがりつくしかない。
613
要するに「コロナはただの風邪」論者というのは、PCR検査や隔離、治療、行動制限の補償に公費を使うなと言いたいだけだろう。なんともしみったれた了見なことよ。
614
教育、福祉、医療という国民一人一人のlife(人生、生活、生命)に優先的に予算を配分していくことこそ、最高の経済政策であり、安全保障政策だろう。
615
ある宗教団体が宗教活動の一環として違法行為特に刑法上の犯罪行為(詐欺、恐喝、強要、逮捕監禁等)を行った場合に、宗教法人格を与えない、与えた法人格を剥奪するということだけで十分だと思う(任意団体として信仰の自由は守られる)が、どうしてそれさえ行えないのか。
616
毎年繰り返されるこの日の靖国参拝。国会議員の参拝は止める法的根拠がないから致し方ないが、閣僚や政務官は行政府の一員なのだから、その身分の間の参拝は違憲・違法だろうと思う。せめてそれぐらいのけじめはつけられないのか。
617
日本という国は、お父さんの趣味の外車や世界旅行には惜しげもなく金を使うのに、子供の本を買ってやったり、栄養に気を配ったりすることには「財源がない」と言って放置し、それどころか病気や障害を持った家族は厄介払いしようとする、まるでもって毒親国家だ。
618
貞観二年、太宗は魏徴に「何をもって名君、暗君というのだろうか」と質問した。
魏徴は次のように答えた。
「名君が名君だといわれる訳は、衆人の意見を博く聞くということです。暗君だといわれる訳は、偏って信用するということです。」(『貞観政要』巻一君道第一第二章、石見清裕訳)
619
日本という国は、何時も何事においても、政府が支出するべき公金を絞れるだけ絞って、末端のシャドウワーク、アンペイドワークによって問題を切り抜けようとする。それを黙って引き受けてしまう国民がいる限り。
620
9年近くも憲法を蔑ろにし、民主主義を破壊し、国民を欺き続けてきた人間に対して「黙祷」を要請するなんて、一言で言って「ふざけるな」としか言いようがない。
621
政治というのは、嫌でも敵対する相手にも利益を分かち与える行為。そうしなければやがて社会は破綻し、自分たちの利益の基盤も失うことになる。社会の幼児化は分かち合いをますます困難にし、破綻を自ら引き寄せることになる。
622
政府がするべきことをしなければ当然こうなる。今の日本を象徴する結果。
www3.nhk.or.jp/news/html/2022…
623
昭和の頃の自民党の国会議員は、本当は賢いのだけれど、賢さを出すと賢さを嫌う有権者にそっぽを向かれるからアホなふりをしていたのが、いつの間にかそれがデフォルトになって本当のアホになったという説に一票。
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ブロックって何となく逃げているようで嫌だったのだけど、ゴミをゴミ箱に捨てることだと思えば、別にためらうことはないわけだ。
625
人の行動制限がなくなるということは、ウイルスも行動制限がなくなるということなのに。