426
日本の学校は点数至上主義だから学習が「負担」となるのだ。どの教科でも自分の理解できるところまで理解すればいいのであって、それでテストの点数が何点だろうと自分の人生には関係ない。点数に縛られなければどんな科目も好きになれる。
427
日本社会を特徴づけるキーワードはやはり「依存」であって、自立を嫌いよりよい依存先を求める国民が、依存を餌にする政党を選び、僅かなおこぼれの陰で好き放題する政治を許しているのだ。政権交代しても、それが新たな依存先を求めてであるならば、民主党政権の末路と同じことになる。
428
日本の政治は一貫して「虎の威を借る狐」政権だった。虎とは天皇のことであり、途中から張り子の虎にはなるが、虎は虎、政治はその威を借る狐によって行われ続けた。江戸時代にもなると徳川は自ら事実上の虎に近づいたが、それでも張り子の虎は残され、それが明治の面妖な狐政権を生む要因となった。
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戦後の憲法は天皇の張り子性を明文化したけれど、国民の意識の内には依然として権威ある虎が根強く残り続けている。戦後の政府はそれを巧妙に利用し、かつアメリカというもう一匹の虎の威を借る狐政権となった。日本の政治が狐を脱することは、天皇があろうとなかろうと、土台無理な話なのだろう。
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知識はそれ自体に意味があるのではなく、思考の素材として意味があるのだ。知識が多ければ多いほど認識は緻密かつ重層的になり、世界をより正確に再現できる。正しい思考はそうした正確な認識の上に築かれるものだ。知識はただ身につけることが目的ではなく、思考に供されて初めて意味を持つ。
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昨日の頼朝ではないけれど、決して自らは手を汚さず、相手をけしかけて攻撃の口実を作らせるというのが大国のやり方だ。それを知ってか知らずか、ともかく怖くなって「先制攻撃!」とばかりこっちから手を出してしまう小国は必ず滅ぼされる。
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中国への敵視政策は自ら危機を作り出しているようなもの。「力による現状変更」はもちろん許されないが、かつて「力による現状変更」を一方的に行った当事国がろくな反省も清算もしていないばかりか、その時代への憧憬を隠さないのだから、説得力はない。
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マスクをいつ着けていつ外すかも政府に決めてもらわなければならないのか。科学的合理的思考能力以前に、自分では何も決められない国民になってしまっていないか。
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日本も独立国なのだから自衛は国家の権利であり、9条を改正して国防軍の設置を明記するべきだという理屈は理解できるが、日本の実態には即さない。民主主義の未確立な国では軍隊はあくまで政府のための軍隊であり、国民は守らない。だから政府から国民を守るために、9条は依然必要なのだ。
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一人でも多くの人々が、よりよい社会を創造しようとしなければ社会がよくなるはずはない。社会は自然現象ではないのだから放っておけばなんとかなるというものではないのだ。皆がその意志を持たなければ、社会は一部の者の占有物となり、その不利益は皆に及ぶ。民主主義とはそういう社会のことである。
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日本は本当に「大人」と出会うのが難しい国だ。
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元々少ない野党支持層の中で野党同士の票の奪い合いになっている。これで自民党の厚い岩盤を崩すことなど到底できない。日本の最大多数派である支持政党なし層をどうやって取り込むのか。誰か良い知恵は出せないのか。
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本当にこの構造が無法と理不尽を蔓延させ、多くの人に苦痛と困難をもたらし、日本の発展を阻害している元凶だ。もういい加減この構造を解体し、世界標準の近代社会に作り変えないと、日本の再浮上はあり得ない。
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日本の企業なんて皆自民党に合法非合法の献金をしているのだから、そんなことを言っていたら何も飲めないし、着られないし、住めないし、食べられなくなる。まずはこういう「御恩と奉公」のような精神構造を変えないと公正な近代社会は実現しない。
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いっそのこと、日本を大日本帝国憲法支配地域と日本国憲法支配地域の2つに分けられたらスッキリするんだろうな。
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「あだ名」禁止という取り組み、敢えて言うと賛成だ。学校はそれぐらい「よそよそしい関係」であった方がいい。学校は児童・生徒が一日の大半を過ごす場所ではあるが、やはり基本的には「公」の空間であり、個人が馴れ合う「私」の空間ではないと思う。その方がむしろ居やすくなる子もいるだろう。
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日本は77年もアメリカの属国だったのだから、アメリカのよいところをもう少し学んでもよさそうなのに、悪いところばかり真似している。アメリカの民主主義、国民の自主自立の精神、リベラリズムとプラグマティズムなど、まだ学ぶべきところはいくらもある。
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日本の経営者や経済人て政権から距離を取ろうという考えはないのか。真のブルジョワなら政権に尻尾を振って仕事をもらうなんてことは屈辱だろうに。
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「資本家の犬、財務省の犬」は確かにその通りだと思うが、こういう表現が一般の有権者の心にどこまで響いただろうか。野党の議員はあくまで理詰めで政府を追い詰めて欲しいと個人的には思う。例えば、静かにしかし厳しく「あなたはまるで資本家の犬のようだ」と言った方が凄みがある。
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日本のコロナ対策、何もやらなかったとは言わないが、その優先順位は1政府(財政)の都合、2厚生行政の都合、3政治家・財界の利権の都合、4医療機関の都合であり、国民の都合は最下位でほぼ無視された。いつものことだが、本来あるべき姿から見事に逆立ちした対策だった。
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昔のドラマで、政府高官が悪事を行おうとすると部下が「そんなことをしたら野党が黙っていませんよ」とか、「マスコミに知れたら大変なことになりますよ」と諌めるシーンを見た記憶があるけれど、今では全くリアリティのないセリフになってしまった。
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政府はすべての国民が幸福になるために最大の努力をしなければならない(憲法13条)という政治の大原則が完全に抜け落ちている。「国民の生活が第一なんて政治は間違っている」というのは端的に憲法違反の政治なのだ。こういう政治を変えるという一点で野党は共闘して欲しい。それを切に願うのみ。
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日本には本当のエリートはいない。国の運営を担う者は、国家と国民という「二つのnation」の利益を最大化するために知力のすべてを尽くすべき存在なのに、一貫して国民の方は視野になく、最近は国家さえ視野から消え、専ら自己の利益にしか関心がない。これではまともに国の運営ができるはずもない。
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どの国にも、真面目、知的、理想、合理、理性といったものを嫌う人は一定数いると思うが、日本はちょっと多すぎるような気がする。
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日銀総裁は本当に一般庶民の生活実態、経済状態について完璧に無知なようだな。というより終始一貫して関心がないのだろう。こういう人が経済政策の一端を担っているのだから、国民生活が改善するはずはないのだ。