中嶋 哲史(@J_J_Kant)さんの人気ツイート(古い順)

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我々は自由や人権の根拠を持っているだろうか。ただ先進国にはそういうものがある、日本も先進国でありたい、だから自由や人権はよく分からないけれど、あることにしておこう。そういう自由や人権は力によっていつでも奪われてしまう。何としても自由や人権の根拠を持たなければならないのだ。
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「戦争」という言葉は、ある国の政府が他の国の国民を理不尽に大量殺害するという現実を隠蔽してしまう。
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Twitterを眺めていると、これからも「普遍」、「正義」、「規範」を問い続けていかなければならないということを確信する。
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民主主義というのは国民一人一人が権力者であるという自覚を持つことだ。自らの持つ権力を普遍的な正義(法)に基づいて行使する責任を負うことだ。それは代議制民主主義においても変わらない。これは建前である。しかし、この建前を実現しようとしなければ民主主義は実質を失い、機能しなくなる。
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子ども食堂に補助金を出したり、塾代を助成したりというのは、例えば警察が人が足りなくて泥棒を捕まえられないからって家に鍵をつける補助金を配るようなおかしなことだ。
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結局、リベラルは思想の流行り廃りなどとは関わりなく、すべての人の自由と人権が保障される理性的で進歩的な社会の実現へ向けて、愚直に粘り強く発言を続けることが大事なのだと思う。世の中は一気には変わらないし、時に後退することもあるのだから。
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慰安婦像を撤去したからって事実は何も変わらない。「なかったこと」にできるのは内輪の世界だけだ。全世界が忘れ去ってくれるまで、撤去を続けていくのだろうか。
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護憲派は現在の憲法を一字一句変えずに(旧仮名遣いを新仮名に、各条文に見出しをつけるぐらいの手を加えて)、「憲法改正案」として発議し、国民投票を経れば「押し付け憲法」という批判は封じることができる。
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日本人は自らの手で天皇制を克服しないと、これから先へ進むのは難しいだろうと思う。
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社会の隅々まで統制の取れた、お行儀のよい社会なんてどこかの独裁国家のようで気持ち悪い。社会の周縁には様々な逸脱があった方が活力のある健全な社会だと思うけれど、それは一方で中心に明確な規範が存在することが必要だ。それが周縁から常に挑戦を受けることで社会は自己更新を遂げていく。
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文科省は「生きる力」などという曖昧な言葉に逃げてしまったが、今からでも「ゆとり教育」の原点にあったデューイ流の「問題解決能力」を育てる教育に向かうべきだ。問題解決能力を欠く国民には問題解決能力を欠く政府しか作れない。そして問題解決能力を欠く政府が現在のこの混迷を生み出している。
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力の均衡がなければ強い者に利益が独占され、とても公正とは言えない社会が生まれてしまう。そのために近代国家は権力の分立や、政党、労働組合、市民団体、ジャーナリズムなどに活動の自由を与え、諸勢力の均衡によって公正な社会を実現しようとしてきた。日本ではこの道理がなかなか理解されない。
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「コロナはただの風邪」論者というのは結局強い者(この場合は端的に免疫力だ)だけが生き残り、弱い者は死んでもよい(お気の毒だが仕方ない)、そんな者を公金で救済するのは無駄だ(コスパが悪い)と思っているわけで、強者の論理そのものだ。こうした考えがどの政党と親和性があるかも明白だろう。
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現実に賃金は低下し、経済は成長せず、人口は減少し続け、その有効な打開策を打ち出せず、あろうことかそうした政治を批判する権利も奪おうとしている政府にいつまで政権を任せるつもりなのか。皆何かに取り憑かれているとしか思えない。
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マスクをするしない、ワクチンを打つ打たないは自分で決めればいいこと。他人に左右されることではないし、他人に強要することでもない。
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飲食店の時短を命じた東京都の命令は合理的根拠がなく違法、ただし東京都は専門家の意見を受け入れただけだから賠償責任はなし、命令自体は違憲ではないという地裁判決。これは要するに一番悪いのは専門家だと言っているようなものではないのか。
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どうして弱者に冷たい政治で平気でいられるのか、正直言ってよく分からない。もちろんできることは限られている。誰だってそんな余裕があるわけではない。しかし、自分もできる限りのことはしようという意思がなければ、弱者に優しい政治は生まれない。
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本当に素朴な疑問として、どうしてここまで金、金、金の社会になってしまったのだろうか。金が重要かつ必要なものであることは言うまでもないが、それは生きる上での手段としてであって、決してそれを集めることが生きる目的ではなかったと思うのだが。これも時代遅れの世迷い言か。
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富というのは狡智で他人からかすめ取るものではなく、人の労働から生まれるものだという当たり前の現実が忘れ去られている。金が欲しいのならそれを産み出す人を大事にすることがまず第一だろうに。
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致死性の未知の病気なのだから、一定数の人々が亡くなるのは仕方ないとは思う。しかし、政府はその現実に言葉ではなく行動としてどれだけ抵抗しただろうか。例えばオリンピックなどやってはならなかったのだ。その姿勢の感じられない日本政府を信用することはできない。
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男も女も、大人も子供も、日本人も外国人もすべての個人が、自らの規範に従い、自分の人生は自分で決める、誰の支配も受けない、誰も支配しない、対等で自由な意思でその都度の関係を結ぶという生き方ができるようになれば、社会の姿は大きく変わるだろう。そういう生き方と世の中を目指したい。
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「三角関数」も「古文漢文」も同じこと。自分の人生に不要な知識というのはいくらでもある。各人は自分に必要な知識を身につければよい。しかし、人類にとって不要な知識というものはない。教育は第一義には個人に向けて行う営みではあるが、人類の知の継承という役割も重要な役割として担っている。
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何度でも言うけれど、正義とは自分を縛るものであって他人を縛るものではない。ただ、その正義に普遍性があれば多くの人に広まるだろうし、普遍性がなければその人の内なる正義にとどまるだろう。それだけの話だと思う。
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日本の自公政権や資本家・経営者が世界と比べて特に悪辣というわけではないだろう。日本に欠けているのはそれらに対する対抗力であり、力の拮抗である。その力があまりに弱いために権力を持つ者のやり放題となり、不正義は正されず、社会もよりよい方へ向けて発展していかないのだ。
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男も女も、老人も若者も、健常者も障害者も、日本人も外国人も、すべての個人は対等平等だという意識を皆が持てなければ、民主主義は成立しないし、人権も守られないし、嫌悪と憎悪が渦巻く差別社会しか生まれないだろう。競争だってその上で行われなければ向上の契機にはならない。