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幾度同じシーンを見せられてきたことか。これが日本の「成功者」の倫理観、人権感覚、人間性のスタンダードレベルなのだろう。
news.yahoo.co.jp/articles/bb528…
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憲法以前あるいは以外に人権はないと思っている人は多い。自民党の改憲案はそこを逆手に取って、人権は憲法が許したものに限るとしている。まあ、それも一つの「人権観」ではあるけれど、それでよいのか。例えば同性婚は憲法に規定がなくても基本的人権だろうに。
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今さら論ってもどうしようもないのだけれど、全ては金、金、金という世の中、どうにかならないのだろうか。ああ、牛丼も金をかき集める手段に過ぎなかったわけだ。
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「もし封建時代から継承された他力本願的な気持を清算できないならば、……明治憲法に比し飛躍的な近代的性格を持つ新憲法を時の経過と共に空文に葬り去ってしまうことが、決してないとは言えない」
これは75年前、憲法学者芦部信喜が23歳の時に書き、つい最近発見された遺稿(『世界』5月号所収)の
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正義というものはそもそも自分を律するものであって他人に向けられるものではない。この誤解が正義忌避につながっているのであり、その結果自分を律することのできない人間が増えてしまった。何が正義か、それは各自が考えること。
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経済の本当の力をつける努力を怠って、見せかけだけ景気のよい状況を作り出そうとしてきた結果が今の円安なのだろう。ウクライナ戦争の長期化と相まって物価の上昇は止まらず、生活はますます苦しくなるはず。
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高校大学の学費が公費負担にならないのは政府が「教育は私事」と考えているからだが、だったらなぜ教育内容に介入するのか。私事ならば放っておけばよい。教育内容への介入は高校以下ばかりか今は大学へも及んでいる。金は出さないが口は出すというのは最低の教育政策だ。
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アベノミクス+コロナ+ウクライナで、日本終わりかな。
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レジ袋を有料化したことでどれぐらいプラスチックゴミは減っているのだろうか。客観的数値は明らかにしてもらいたい。プラスチックゴミを減らす必要があることは当然だが、レジ袋を有料化するぐらいでそれが減るとは思えない。
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吉野家は「コンプライアンス遵守」と言っているようだけれど、あれはコンプライアンスの問題ではなく、モラリティあるいはヒューマニティ(の欠損)という問題ではないか。そういう人間が法令や規律を厳しく守る姿はかえって奇怪で恐ろしい。
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侮辱罪の厳罰化策動こそ、表現の自由の危機として論じられるべきことなのだ。
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前にも言ったけれど、天は人の上に人をつくり、人の下に人をつくる。だから人は人の上につくられた人には少し我慢をしてもらい、人の下につくられた人の手助けをしなければならない。それが人が社会を作る意味であり、そういう社会を実現するために政治があるのだ。
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日本には個人の尊厳を守る法律がない。パワハラを受けない、人格を否定されない、容姿や性格、能力、出自についてみだりに言及されない、性的な目で見られない等々。こうしたことは個人の尊厳として守られるべきだ。
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これからの世の中がどうなっていくのかをつらつら考える。いずれにせよ今まで当たり前にあったことが難しくなっていくことは間違いないように思える。問題を抱えているのは日本だけではないから、我々が頑張れば解決するということでもない。まずは何が起きても驚かない覚悟は必要なように思う。
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女性の知り合いから、痴漢、付きまとい、セクハラ、レイプ未遂、ほとんどレイプという話はよくよく聞くことなので、女性が性的な内容を含む表現に不快や恐怖を覚えることは決して過剰反応ではないだろう。「法には触れていない」「表現の自由だ」という以前に、これはdecencyの問題だと思う。
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今回の知床の観光船事故は6年前の軽井沢スキーバス転落事故を思い起こさせる。利益優先で安全運行管理を怠った結果だろう。あの教訓が全く生かされていない。人の命を預かる事業を行う企業を自由な競争原理の下に置くべきではない。劣等な企業が淘汰されるとき、そこに乗客の命が巻き込まれる。
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歴史を直視できないというのは自分に自信がないことの裏返し。帝国主義日本のやったことは素直に認めた上で、戦後は全く別の国になったことをどうして誇りにできないのか。今さら戻れやしない時代にいつまでも執着するというのは本当にみっともない。
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やはり天皇がいるうちは日本の近代化は不可能だと思う。それが日本人多数の選択だというのであれば致し方ないが、それによる不利益は我々全体に降り掛かってくる。
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社会の片隅に帝国日本に憧憬し、ひたすら戦前回帰を願う人々がいても、それは個人の自由だから他人がとやかく言うことではない。しかし、それが政権の方針であるとすれば、それは明白な憲法違反であり、立憲政治の否定になる。憲法がある以上、政権は嫌でもそれに従わなければならない。
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学生の頃、未来永劫変わりそうにない自民党一党独裁にうんざりしていた時に、友人に連れて行かれた新宿の「ともしび」で、ああこんな日本にもこういう人々がいるのだと、本当に生き返る思いがした。我々の世代は今同じような思いでうんざりしている人々に、希望の灯を伝える責任があると思っている。
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当時の日本の権力者に「ファシズム」の自覚はなかっただろう。彼らは彼らなりの「よかれ」に従っていただけで、ただその「よかれ」には普遍性も客観性も合理性も倫理性もなく、世間の勢いと雰囲気で作られ、国民もそれを当然のように受け入れたということだ。その頂点に立たされていたのが天皇だ。
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日本人はどうして大人になれないのだろう。
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いまだ多くの日本人にとって「天皇は神聖にして侵すべからず」(大日本帝国憲法第3条)なのだ。これは心情の問題だから「象徴天皇制」と矛盾なく併存できる。リベラル派の野党の政治家であっても天皇の神聖性を否定すれば議員であり続けることはできない。共産党さえ支持を拡げるためには目をつぶる。
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日本人が「近代」を身に着けなければならないというのはイデオロギーで言っているはなく、日本が世界に追いつけなくなってしまうからだ。その差はもうだいぶ開いてしまっている。
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これがまさに21条が保障する「表現の自由」に対する違反(の疑い)の問題。 twitter.com/qp0305/status/…