中嶋 哲史(@J_J_Kant)さんの人気ツイート(古い順)

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経済制裁というのも一種の戦争だから、すでに第三次世界大戦は始まっていると言ってよいのかもしれない。中国も参戦の意思があるようだし。本当に皆で止めないと、人類滅亡も絵空事ではなくなってきた。日本政府はどうするのだ。
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新自由主義は急速に経済回復できる有効な方法だと言われたが、その恩恵を受けるのは一部の階層だけで、賃金は低下し、格差は拡大し、医療や福祉、教育は崩壊し、社会は分断され、人々の間には憎悪が渦巻き、結果として社会の活力が低下し、経済はますます衰退する。理論ではなく現実が証明している。
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コロナ対応がうまく行かなかったのも新自由主義が原因だろうし、ウクライナへの軍事侵攻にも新自由主義のグローバル化が作用していると思う。新自由主義は人類を地獄へ引き込む悪魔の思想である。
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日本の政治が話にならないのは、本当は「アメリカには逆らえないのだ」「財界の〇〇が言うから」「〇〇省の都合で決めたことだし」「〇〇の顔を立てないと」で決めれていることが一切口には出されず、全て「国民の皆様の安心安全のため」でごまかされているからだ。
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ゼレンスキーがもしも仮に中国の国会(全人代)で演説する機会があったら、満洲国やその後の中国侵略を引き合いに出すだろう。
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コロナ対策について今さら日本政府に何を言うのも無駄な気がしてしょうがないが、徹底したPCR検査をしてすぐに隔離をしていれば経済活動だってさほど制限せずに行えるのに、その目先の支出を渋って全て感染者の自己責任で済まそうとするから、皆自衛に走っていつまでも出口が見えない。
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ゼレンスキーが日本の国会で演説するなら、「日本はかつて侵略国だったが、戦後はそれを反省し、憲法9条を持つ平和国家となった。ロシアは日本を見習うべきだ」と言いそうだが、日本政府はそれだけはやめてくれと思っているだろう。
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日本の国土で食料を完全自給しようとすれば、現在の人口の半分は飢えて死ぬだろう。日本にとっては戦争がなく交易が滞らないことが死活問題となる。戦争に反対し世界の平和を維持することこそが最も日本の国益に適っている。
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母親の葬儀がすべて終了した。亡くなってから火葬まで1週間を要した。今は火葬場が混雑しているらしい。
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相変わらず9条の重要性を言うと、9条では日本を守れないという反応があるが、9条で日本を守れないなんて当たり前で、日本を守るのは理性的な外交とそれを支える国民の意志と、必要最小限の防衛力であり、その精神を明文化しているのが9条だということだ。
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大学院のときの恩師の一人で、おそらくは共産党員だったと思われる先生が「ぼくは共産党が政権を取っても反権力だから、反共産党になるよ」と言っていたけれど、これは自分もずっと守っていたい姿勢だ。
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自分の支持する政党の政権だからといって、それを批判してはいけないということはないと思う。世界は常に動いているのだから、未来の選択において正解というものがあるはずはなく、支持政党であろうとなかろうと、常に批判していくことがむしろ民主主義の主権者が負うべき責任だろう。
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権力は常に批判するべきと言うと、「一生反抗期か」と言ってくる人がいるけれど、そういう人って一生自我が芽生える以前の「赤ちゃん期」なのだろうな。
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「力による現状変更は許さない」とは言うけれど、現状ではロシアによる「力による現状変更」を誰も止めることができない。この後、国際社会は雪崩をうって「力」の支配する社会になるのではないかと懸念する。再び理性の後退する時代になるのか。
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大阪万博の公式キャラクターを見て、ああこれは極一部の人だけが内輪で盛り上がるイベントで、多くの人に喜んでもらおうという考えは初めからないのだなということを想像する。
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強者は政治の力を借りなくても生きていけるから強者なのであって、だから政治は常に弱者を優先しなければならないのだ。強者にばかり目を向ける日本の政治は、強者を弱者扱いして本当の弱者を切り捨てているのであって、これでは本当の強者が育たないし、本当の弱者は生きていけない。
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生物・化学兵器は残虐だから禁止とされるが、銃や砲弾で肉体を破壊する行為は残虐ではないと言うのか。どうしてすべての武器・兵器を禁止することはできないのか。人類全体の重い課題だ。
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件の早稲田の教授、ついに原爆の被害は大したことではないと言うまでになってしまった。左派・リベラル嫌いが拗れるとここまで行くのか。
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ゼレンスキー演説は「9条」という言葉こそ使ってはいないが、日本に期待するのは平和国家としての役割ということであり、日本国憲法の理念に沿った内容だった。日本は日本独自の方法でウクライナの平和回復のために、ウクライナ国民の期待に答えていくべきだろう。
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ぼく自身は「9条信者」であるはずもないのだけれど、「9条嫌い」の方がよほど宗教的なにおいがする。
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30代の頃法律学を少し齧ったことがあるけれど、道理の全く通用しない日本社会にあって、あくまで論理的・合理的であることが要求される法律の世界に最後の救いを見る思いがあったのだが、司法の現実を見るにつけそれも幻想であったと失望を深める中で、今回の札幌地裁判決は微かな希望を見せてくれた。
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もうかれこれ10年ぐらい前になるけれど、ものすごく真面目な生徒から、ものすごく真面目な顔で「シェイクスピアってご存知ですか?」と聞かれたことがあって、社会の共通教養というものがもはやなくなったのだなということを実感した瞬間だった。
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要するに、社会というのは個人の集合体なのだから、良い人が増えれば良い社会になるし、悪い人が増えれば悪い社会になるというだけの話だろう。我々にできることはまず自分自身が良い人になるしかないのだと思う。
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正解のない問いに対して異なる立場の人と真摯に対話をしながら答えを模索していく、失敗をしながら試行錯誤を重ねていく、矛盾を受け止めた上で矛盾の解消に向かって努力する。こういう「弁証法的手法」というのが日本人は決定的に不得意だ。すぐに正解を求めて矛盾や失敗を許さない。
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科学や論理ではなく、常に権力者の意向や都合で物事が決まる社会がうまくいくわけがないのだ。