中嶋 哲史(@J_J_Kant)さんの人気ツイート(古い順)

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民主主義の確立していない国が軍隊を持つことは国民にとっては自殺行為のようなものだ。そういう国の軍隊は国民のための軍隊ではなく、権力者のための軍隊であって、命令されれば国民にも銃口を向けてくる。
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テレビを見ていた頃から思っていたけれど、ウクライナ戦争のような深刻な事態を伝えるメインキャスターが、スポーツコーナーになるといきなり軽薄で上ずった声になることに違和感を感じていた。スポーツニュースをやるなとは言わないが、せめて担当者を変えるとかできないのか。
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新自由主義政策というものは国も国民も豊かにしないということがこれだけ実証されているのに、まだ新自由主義にしがみつくのはなぜなんだろう。
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ウクライナから必死の思いで脱出しようとする人々の弱みにつけ込んで人身売買組織が暗躍するとは、人間というものはどこまでさもしい存在なのか。
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また古文漢文不要論が現れているけれど、不要だという人にいくら必要だと言っても無意味だと思う。そういう人はこの世界から古文漢文を除いた世界しか知ることができないだけの話。ただ、当人はそれでよいのだが、そういう無知な人が増えた社会がどうなるかは今の日本が実証している。
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教育とは自己教育力を育てることであり、学校はすべてのことを教える場ではないし、だいたいそれは初めから無理なこと。ただ、古文漢文であれ、微積行列であれ、そういう世界があることは学校で触れるべきであって、それがその先に各自が自ら学んでいく道案内となるのだ。
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日本教育は本当に窮屈で、ともかく成績がすべてになっているから、学ぶ方も教える方もテストで良い点を取り、取らせることしか考えていない。しかし、それではテストの前に知ったことのみが評価され、いくらテストの後で理解しても成績には反映されない。学びと評価は本来無関係なものなのだが。
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ウクライナ戦争がどういう形で終わるにせよ、その先にプーチンの望むような世界が実現するとは思えない。その結果から今を遡って見るとき、ウクライナ人ロシア人双方の犠牲はいったいどんな意味があるというのか。無理やり奪った人の命の上に理想の世の中など生まれるはずもない。
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戦争は人を狂わす。平和な暮らしの中では起こりえない残虐な行為が戦場では当たり前に行われてしまう。暴力が人間の本能なのかどうかは知らないが、どんな時も暴力を封印できる人間にならなければならないと思う。醜い暴力を解放しないためにも戦争はしてはならない。
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国内でも国際社会でも、現代社会では暴力を振るった方の負けなのだ。確かに暴力はその時その場では圧倒的に力強いが、暴力を振るった者への社会の制裁はそれ以上に強力かつ執拗であり、暴力により得たものは返還させられ、それ以上の賠償を命じられる。端的に暴力は損なのだ。
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朝日新聞は解約した。
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ウクライナからの避難民を保護し生活の支援をするべきことは当然だが、一方で日本国内には政府の責任で保護し支援する必要のある人が大勢いるのに、そういう人々には実に冷たい。まるで外面は誰にも愛想のいいDV夫みたいだ。
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日本人が立場や空気ではなく、自分の本心をはっきり言うようになったら、今とは全然違う社会になっているだろう。
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異性を性的な目で見ることは自然なことだし、誰もが行っていることだと思うが、それは公の場、公の関係の下では封印しなければならないという程度の規範がどうして守れないのか。そもそもそういう規範の存在自体があやしいのはいったい何故なのか。
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ぼくは今でも日本がウクライナのように大国からいきなり軍事侵攻を受ける可能性は極めて低いと考えるが、備えが不要だとは言わない。ただ、日本が単独で軍事侵攻を受けるより、アメリカの戦争に巻き込まれる可能性の方が遥かに高いはずで、「日本を守る」という意味をよく考える必要があると思う。
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自立し、主体的に生きるということは、言い換えれば自己の内に確固たる規範を持つということである。規範がなければ善悪の判断をすることができない。善悪の判断ができなければ、行為を主体的に選択することができない。その結果人は目の前の欲に流されるだけになる。これ以上は言うまでもない。
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「白河上皇や後白河上皇などが行った政治の特徴は、理念がまったくないという点でした。「日本をこうしたい」とか「ここを変えたい」という発想はまるで見当たりません。一つだけあるとすれば、自分自身が贅沢したい。それだけです」(本郷和人『承久の乱』文春新書)。900年前のデジャヴュ。
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「教室で「壁ドン」の練習を」て、何か色々な意味でもう日本は終わっているなと思わざるを得ない。
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教育の本質に立ち返り、自立した、自ら主体的に考える力のある、高い倫理観を持った、創造的な人々を一人でも多く育てていかないと、本当に日本は終わってしまうと思う。自民党政権下の教育・社会政策は一貫してその真逆の方へ向かっているのであり、政権交代がない限り、日本が浮上することはない。
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アメリカが戦闘を長引かせようとしているのは確かだと思うが、いったいこの戦争どちらがどちらを挑発し、誰の意図で動いているのかさっぱり分からない。だからどう止めるかも分からない。ただ確実なのは死者が増えていくことだけ。
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ロシア語の案内をめぐるJRの対応は、自らには何の考えも確信も判断基準もなく、ただひたすら周囲の声に流されますという主体性のなさを暴露している。今の日本全体を象徴する姿。
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人類はこれまで「今より豊かになる」という希望を原動力として歴史を切り開いてきたわけだが、前世紀の終わり頃から「もうこれ以上豊かになれないのではないか」ということに薄々気づき出し、かといってそれを素直に受け入れることもできず、残された資源をいかに分取るかの争いが始まろうとしている。
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自分の気に入らない現実を受け入れない者が現実主義者であるわけがない。
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憲法は国家権力を縛るもののはずなのに、「表現の自由」になるとそれがどこかへ行ってしまう。憲法が禁じているのは権力による表現の恣意的規制であって、私人間でその表現をやめろ、いややれという議論はそもそも憲法の保障する「表現の自由」とは直接関係はない。
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基本的人権は憲法以前に存在するものであり、憲法が条文をもって保障するものはその中で特に重要なもの、政府によって最低限守らせ、実現させなければならないものを成文で列挙したに過ぎない、ということだと思う。これがぼくの答え。後はよく考えて欲しい。