中嶋 哲史(@J_J_Kant)さんの人気ツイート(新しい順)

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どうもリベラルというのは何をやるのも自由、何を言うのも自由、あらゆる自由を認める立場だと思っている人がいるようだが、リベラリズムが求める自由は誰にも左右されることなく自らの意思で自らを律する自由なのであって(「自由の秩序」井上達夫)、決して無規範に自由を許すわけではないのである。
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ぼくは決して西欧崇拝者ではないけれど、西欧にあって日本に欠けているものの一つに「対話dialogue文化」があると思う。自分の意見を明確に示し、それを受けて相手もまた明確な意見を示す。その対話の過程で互いに自分の意見が磨かれ、よりよい解答へ近づく。これができる日本人は本当に少ない。
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自分と異なる意見に出会うと「押し付けられた」と被害妄想するのはその人に主体性がないから。そのくせそういう人は自分の意見を押し付けていることに鈍感である。
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三浦某を笑うことはできない。コネと見栄とごまかしで作り上げた見せかけの栄華が崩れていくのは、まるで日本の自画像のようだ。
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回転寿司は「客はそういうことはしない」という前提で成り立つ形態だが、日本人の知的後退、とりわけ精神的成長の遅滞が常態化するようになれば、その前提は崩れるわけで、今さらモラルの確立などと言っても無理だろうから、もうこういう形態での寿司など食品一般の提供は止めにした方がいい。
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日本人の本音が老人は死ね、病人は死ね、貧乏人は死ね、生産性のない人間は死ねでよいのか。助け合おう、分かち合おう、愛し合おう、信じ合おうは〈本音〉にはならないのか。
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教育や福祉の予算が削られていくのは、社会の中でそれらの果たしている意義が理解されていない(つまり票にならない)からだ。しかし、教育や福祉の充実が経済発展を含む豊かな社会の実現に不可欠なのだという認識が広がらなければ、いつまでも心の貧しい人間が跋扈する状態から逃れることはできない。
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人として自然に生まれ、生き、そして死んでいくことが守られる社会が最も正しい社会だろうと思う。人としての自然を抑圧し、変形し、否定することは、教育であれ、宗教であれ、思想であれ、政治であれ、経済であれ、全て間違っている。だからこの「自然」とは何かが問われることになる。
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多くの日本人にとってリアルに実感できるのは自分と身内だけであって、その外でどれだけ人が死のうと、何が起ころうと、自分の身に迫ってこない限り、単なる風景(今風に言えば情報)に過ぎないのだ。原発事故やコロナ禍で現れたこの状況では、社会全体に責任を負うべき政治が生まれるはずもないのだ。
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でもあんまり戦争反対を叫ぶと、左翼の言う通りになんか絶対させるなと言って、やらなくてもいい戦争を始めかねない国だからな。
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自民党が思い描いている日本と現実の日本との間の乖離が甚だしい。選挙制度のマジックで国会の構成では絶対多数を維持しているが、実際の支持者は国民の半分にも満たない。自民党が進めようとしている方向に国民の多くは従っていない。強権を用いて無理に従わせようとすれば、国家は崩壊するだろう。
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できもしない戦争へ国民の意識を向けようとするのも、今さらながらの異次元の少子化対策も、統一教会から国民の目を逸らそうという目くらまし。全てはこの反社会的カルトと完全に手を切ってからの話で、その手に乗ってはならない。
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共産党も党首に任期を設けて、党員の選挙で選ぶべきだな。開かれた時代の政党になるならば。
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女たちが男社会から自己を解放する運動を始めたように、男たちもムラ社会から自己を解放する運動を始めるべきなのだ。
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日本は依然として、個人ではなく集団の論理に従う、既存の秩序に従い変化を嫌う、外部を理由なく恐れるという「ムラ社会」の論理にどっぷり浸かっている。リベラル左派というのはこの全ての論理に抵触する。「日本ムラ」の住民から嫌われるのも宜なるかなである。
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日本国民に必要な「決意」は国防ではなく、自民党政治と決別することだろう。
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台湾問題は中国の国内問題であり、もしそこに人権侵害が発生するなら国際社会ははっきりと非難するべきだし、必要な制裁も課すべきだろうが、断じて軍事介入などするべきではない。「台湾有事は日本有事」などという政府のプロパガンダに乗ってはならない。
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日本という国にはもはや何も期待できなくなってしまったけれど、日本も世界の一部である以上、世界の動きに引きずられて変わっては行くだろう。世界が良い方へ動けば、遅れて日本も良くなるだろうし、世界が悪い方へ動けば真っ先に悪くなるだろう。国民にも政府にも主体性のない日本とはそういう国だ。
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日本では「公に責任を負う」のは公務員等の身分を持った者だけで、民間人はその責任を負わないと考えられているようだが、民主主義・共和主義の近代国家にあってはすべての国民が公に責任を負うのであって、各個人も常に公共の利益を考慮に入れて行動しなければならないのだ。
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安倍政権以降、日本て何かいいことあっただろうか。
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Colaboに対しては公のもう少し大きな組織が支持なりせめて懸念なりのコメントを出すべきではないか。例えば政党、弁護士会、福祉団体、関連学会など。このままでは相手方のやり放題になる。
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要するに、アメリカのネオリベ・エスタブリッシュメントの思想の受け売りであって、そこには何らオリジナルなものはなく、これもまた一種の「出羽守」に過ぎない。
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政府系インフルエンサーに共通する思想は、命や生活は権利ではない、公に弱者を助ける義務はない、幸せになりたければ強くなれ、強さは金、金は他人から奪い取るもの、奪い取れるチャンスを見逃すな、弱者は強者の慈悲にすがれ、それが嫌なら死ぬしかないね、というものだろう。
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5類にすると「平時」に戻るそうだ。自民党の政治家や厚生官僚、御用学者とその支持者にとっては、毎日人が何百人死のうが「平時」なんだな。「平常事態宣言」でも出すか。
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人を大切にしない政治では国民は幸福にはなれない。人を大切にしない経済では国は豊かにはなれない。人を大切にしない社会では人は安心して生きることはできない。