中嶋 哲史(@J_J_Kant)さんの人気ツイート(新しい順)

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歴史を直視できないというのは自分に自信がないことの裏返し。帝国主義日本のやったことは素直に認めた上で、戦後は全く別の国になったことをどうして誇りにできないのか。今さら戻れやしない時代にいつまでも執着するというのは本当にみっともない。
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今回の知床の観光船事故は6年前の軽井沢スキーバス転落事故を思い起こさせる。利益優先で安全運行管理を怠った結果だろう。あの教訓が全く生かされていない。人の命を預かる事業を行う企業を自由な競争原理の下に置くべきではない。劣等な企業が淘汰されるとき、そこに乗客の命が巻き込まれる。
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女性の知り合いから、痴漢、付きまとい、セクハラ、レイプ未遂、ほとんどレイプという話はよくよく聞くことなので、女性が性的な内容を含む表現に不快や恐怖を覚えることは決して過剰反応ではないだろう。「法には触れていない」「表現の自由だ」という以前に、これはdecencyの問題だと思う。
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これからの世の中がどうなっていくのかをつらつら考える。いずれにせよ今まで当たり前にあったことが難しくなっていくことは間違いないように思える。問題を抱えているのは日本だけではないから、我々が頑張れば解決するということでもない。まずは何が起きても驚かない覚悟は必要なように思う。
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日本には個人の尊厳を守る法律がない。パワハラを受けない、人格を否定されない、容姿や性格、能力、出自についてみだりに言及されない、性的な目で見られない等々。こうしたことは個人の尊厳として守られるべきだ。
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前にも言ったけれど、天は人の上に人をつくり、人の下に人をつくる。だから人は人の上につくられた人には少し我慢をしてもらい、人の下につくられた人の手助けをしなければならない。それが人が社会を作る意味であり、そういう社会を実現するために政治があるのだ。
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侮辱罪の厳罰化策動こそ、表現の自由の危機として論じられるべきことなのだ。
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吉野家は「コンプライアンス遵守」と言っているようだけれど、あれはコンプライアンスの問題ではなく、モラリティあるいはヒューマニティ(の欠損)という問題ではないか。そういう人間が法令や規律を厳しく守る姿はかえって奇怪で恐ろしい。
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レジ袋を有料化したことでどれぐらいプラスチックゴミは減っているのだろうか。客観的数値は明らかにしてもらいたい。プラスチックゴミを減らす必要があることは当然だが、レジ袋を有料化するぐらいでそれが減るとは思えない。
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アベノミクス+コロナ+ウクライナで、日本終わりかな。
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高校大学の学費が公費負担にならないのは政府が「教育は私事」と考えているからだが、だったらなぜ教育内容に介入するのか。私事ならば放っておけばよい。教育内容への介入は高校以下ばかりか今は大学へも及んでいる。金は出さないが口は出すというのは最低の教育政策だ。
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経済の本当の力をつける努力を怠って、見せかけだけ景気のよい状況を作り出そうとしてきた結果が今の円安なのだろう。ウクライナ戦争の長期化と相まって物価の上昇は止まらず、生活はますます苦しくなるはず。
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正義というものはそもそも自分を律するものであって他人に向けられるものではない。この誤解が正義忌避につながっているのであり、その結果自分を律することのできない人間が増えてしまった。何が正義か、それは各自が考えること。
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「もし封建時代から継承された他力本願的な気持を清算できないならば、……明治憲法に比し飛躍的な近代的性格を持つ新憲法を時の経過と共に空文に葬り去ってしまうことが、決してないとは言えない」 これは75年前、憲法学者芦部信喜が23歳の時に書き、つい最近発見された遺稿(『世界』5月号所収)の
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今さら論ってもどうしようもないのだけれど、全ては金、金、金という世の中、どうにかならないのだろうか。ああ、牛丼も金をかき集める手段に過ぎなかったわけだ。
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憲法以前あるいは以外に人権はないと思っている人は多い。自民党の改憲案はそこを逆手に取って、人権は憲法が許したものに限るとしている。まあ、それも一つの「人権観」ではあるけれど、それでよいのか。例えば同性婚は憲法に規定がなくても基本的人権だろうに。
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幾度同じシーンを見せられてきたことか。これが日本の「成功者」の倫理観、人権感覚、人間性のスタンダードレベルなのだろう。 news.yahoo.co.jp/articles/bb528…
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基本的人権は憲法以前に存在するものであり、憲法が条文をもって保障するものはその中で特に重要なもの、政府によって最低限守らせ、実現させなければならないものを成文で列挙したに過ぎない、ということだと思う。これがぼくの答え。後はよく考えて欲しい。
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憲法は国家権力を縛るもののはずなのに、「表現の自由」になるとそれがどこかへ行ってしまう。憲法が禁じているのは権力による表現の恣意的規制であって、私人間でその表現をやめろ、いややれという議論はそもそも憲法の保障する「表現の自由」とは直接関係はない。
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自分の気に入らない現実を受け入れない者が現実主義者であるわけがない。
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人類はこれまで「今より豊かになる」という希望を原動力として歴史を切り開いてきたわけだが、前世紀の終わり頃から「もうこれ以上豊かになれないのではないか」ということに薄々気づき出し、かといってそれを素直に受け入れることもできず、残された資源をいかに分取るかの争いが始まろうとしている。
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ロシア語の案内をめぐるJRの対応は、自らには何の考えも確信も判断基準もなく、ただひたすら周囲の声に流されますという主体性のなさを暴露している。今の日本全体を象徴する姿。
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アメリカが戦闘を長引かせようとしているのは確かだと思うが、いったいこの戦争どちらがどちらを挑発し、誰の意図で動いているのかさっぱり分からない。だからどう止めるかも分からない。ただ確実なのは死者が増えていくことだけ。
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教育の本質に立ち返り、自立した、自ら主体的に考える力のある、高い倫理観を持った、創造的な人々を一人でも多く育てていかないと、本当に日本は終わってしまうと思う。自民党政権下の教育・社会政策は一貫してその真逆の方へ向かっているのであり、政権交代がない限り、日本が浮上することはない。
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「教室で「壁ドン」の練習を」て、何か色々な意味でもう日本は終わっているなと思わざるを得ない。