726
日本は77年もアメリカの属国だったのだから、アメリカのよいところをもう少し学んでもよさそうなのに、悪いところばかり真似している。アメリカの民主主義、国民の自主自立の精神、リベラリズムとプラグマティズムなど、まだ学ぶべきところはいくらもある。
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「あだ名」禁止という取り組み、敢えて言うと賛成だ。学校はそれぐらい「よそよそしい関係」であった方がいい。学校は児童・生徒が一日の大半を過ごす場所ではあるが、やはり基本的には「公」の空間であり、個人が馴れ合う「私」の空間ではないと思う。その方がむしろ居やすくなる子もいるだろう。
728
いっそのこと、日本を大日本帝国憲法支配地域と日本国憲法支配地域の2つに分けられたらスッキリするんだろうな。
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日本の企業なんて皆自民党に合法非合法の献金をしているのだから、そんなことを言っていたら何も飲めないし、着られないし、住めないし、食べられなくなる。まずはこういう「御恩と奉公」のような精神構造を変えないと公正な近代社会は実現しない。
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本当にこの構造が無法と理不尽を蔓延させ、多くの人に苦痛と困難をもたらし、日本の発展を阻害している元凶だ。もういい加減この構造を解体し、世界標準の近代社会に作り変えないと、日本の再浮上はあり得ない。
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元々少ない野党支持層の中で野党同士の票の奪い合いになっている。これで自民党の厚い岩盤を崩すことなど到底できない。日本の最大多数派である支持政党なし層をどうやって取り込むのか。誰か良い知恵は出せないのか。
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日本は本当に「大人」と出会うのが難しい国だ。
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一人でも多くの人々が、よりよい社会を創造しようとしなければ社会がよくなるはずはない。社会は自然現象ではないのだから放っておけばなんとかなるというものではないのだ。皆がその意志を持たなければ、社会は一部の者の占有物となり、その不利益は皆に及ぶ。民主主義とはそういう社会のことである。
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日本も独立国なのだから自衛は国家の権利であり、9条を改正して国防軍の設置を明記するべきだという理屈は理解できるが、日本の実態には即さない。民主主義の未確立な国では軍隊はあくまで政府のための軍隊であり、国民は守らない。だから政府から国民を守るために、9条は依然必要なのだ。
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マスクをいつ着けていつ外すかも政府に決めてもらわなければならないのか。科学的合理的思考能力以前に、自分では何も決められない国民になってしまっていないか。
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中国への敵視政策は自ら危機を作り出しているようなもの。「力による現状変更」はもちろん許されないが、かつて「力による現状変更」を一方的に行った当事国がろくな反省も清算もしていないばかりか、その時代への憧憬を隠さないのだから、説得力はない。
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昨日の頼朝ではないけれど、決して自らは手を汚さず、相手をけしかけて攻撃の口実を作らせるというのが大国のやり方だ。それを知ってか知らずか、ともかく怖くなって「先制攻撃!」とばかりこっちから手を出してしまう小国は必ず滅ぼされる。
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知識はそれ自体に意味があるのではなく、思考の素材として意味があるのだ。知識が多ければ多いほど認識は緻密かつ重層的になり、世界をより正確に再現できる。正しい思考はそうした正確な認識の上に築かれるものだ。知識はただ身につけることが目的ではなく、思考に供されて初めて意味を持つ。
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戦後の憲法は天皇の張り子性を明文化したけれど、国民の意識の内には依然として権威ある虎が根強く残り続けている。戦後の政府はそれを巧妙に利用し、かつアメリカというもう一匹の虎の威を借る狐政権となった。日本の政治が狐を脱することは、天皇があろうとなかろうと、土台無理な話なのだろう。
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日本の政治は一貫して「虎の威を借る狐」政権だった。虎とは天皇のことであり、途中から張り子の虎にはなるが、虎は虎、政治はその威を借る狐によって行われ続けた。江戸時代にもなると徳川は自ら事実上の虎に近づいたが、それでも張り子の虎は残され、それが明治の面妖な狐政権を生む要因となった。
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日本社会を特徴づけるキーワードはやはり「依存」であって、自立を嫌いよりよい依存先を求める国民が、依存を餌にする政党を選び、僅かなおこぼれの陰で好き放題する政治を許しているのだ。政権交代しても、それが新たな依存先を求めてであるならば、民主党政権の末路と同じことになる。
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日本の学校は点数至上主義だから学習が「負担」となるのだ。どの教科でも自分の理解できるところまで理解すればいいのであって、それでテストの点数が何点だろうと自分の人生には関係ない。点数に縛られなければどんな科目も好きになれる。
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男も女も、老人も若者も、健常者も障害者も、日本人も外国人も、すべての個人は対等平等だという意識を皆が持てなければ、民主主義は成立しないし、人権も守られないし、嫌悪と憎悪が渦巻く差別社会しか生まれないだろう。競争だってその上で行われなければ向上の契機にはならない。
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日本の自公政権や資本家・経営者が世界と比べて特に悪辣というわけではないだろう。日本に欠けているのはそれらに対する対抗力であり、力の拮抗である。その力があまりに弱いために権力を持つ者のやり放題となり、不正義は正されず、社会もよりよい方へ向けて発展していかないのだ。
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何度でも言うけれど、正義とは自分を縛るものであって他人を縛るものではない。ただ、その正義に普遍性があれば多くの人に広まるだろうし、普遍性がなければその人の内なる正義にとどまるだろう。それだけの話だと思う。
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「三角関数」も「古文漢文」も同じこと。自分の人生に不要な知識というのはいくらでもある。各人は自分に必要な知識を身につければよい。しかし、人類にとって不要な知識というものはない。教育は第一義には個人に向けて行う営みではあるが、人類の知の継承という役割も重要な役割として担っている。
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男も女も、大人も子供も、日本人も外国人もすべての個人が、自らの規範に従い、自分の人生は自分で決める、誰の支配も受けない、誰も支配しない、対等で自由な意思でその都度の関係を結ぶという生き方ができるようになれば、社会の姿は大きく変わるだろう。そういう生き方と世の中を目指したい。
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致死性の未知の病気なのだから、一定数の人々が亡くなるのは仕方ないとは思う。しかし、政府はその現実に言葉ではなく行動としてどれだけ抵抗しただろうか。例えばオリンピックなどやってはならなかったのだ。その姿勢の感じられない日本政府を信用することはできない。
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富というのは狡智で他人からかすめ取るものではなく、人の労働から生まれるものだという当たり前の現実が忘れ去られている。金が欲しいのならそれを産み出す人を大事にすることがまず第一だろうに。
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本当に素朴な疑問として、どうしてここまで金、金、金の社会になってしまったのだろうか。金が重要かつ必要なものであることは言うまでもないが、それは生きる上での手段としてであって、決してそれを集めることが生きる目的ではなかったと思うのだが。これも時代遅れの世迷い言か。