中嶋 哲史(@J_J_Kant)さんの人気ツイート(いいね順)

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政治はどんな宗教を信じあるいは信じないすべての国民に対して等しく責任を負わなければならない。 政治は国全体が直面する国内外の諸問題に対し、合理的・理性的に判断し解決しなければならない。 こうした政治の責務を考えたとき、そのどこに宗教が入り込む余地があるのか、逆に知りたい。
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人類世界はネトウヨが望む方向には進んでいない。そこは安心している。しかし、日本はどうか。戦前のように、日本国まるごと世界に背を向ければ、日本はネトウヨが望むような国になってしまうだろう。その可能性は低いとはいえ、今その岐路に立たされているというのは確かかもしれない。
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一つの考え方としては、もう婚姻制度などなくしてしまって配偶者控除等は一切廃止し、すべて個人として扱い(婚姻同居は私的行為)、子供養育手当のみ公的補助の対象とするという方法もある。個人的にはその方がすっきりする感はある。
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日本には「人間の尊厳はいかなる場合でも守られなければならない」という確固たる規範がないから、犯罪を犯したり不法滞在となったりした人は言うまでもなく、年を取ったり病気や障害で働けなくなったり、政府や多数派に反対したりする人までも、そんな人間の人権は奪われてもよいと考えられている。
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資本主義の枠の中で新自由主義に対抗できるのは社会民主主義しかない。岸田の言う「新しい資本主義」には社会民主主義的要素がない以上、社会民主主義的政策を柱とした野党共闘で政権交代を目指すべきだろう。まずはあくまで経済福祉政策の一致に限定し、それ以外の価値観の分かれる問題は棚上げして。
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多くの日本人にとってリアルに実感できるのは自分と身内だけであって、その外でどれだけ人が死のうと、何が起ころうと、自分の身に迫ってこない限り、単なる風景(今風に言えば情報)に過ぎないのだ。原発事故やコロナ禍で現れたこの状況では、社会全体に責任を負うべき政治が生まれるはずもないのだ。
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正義というものはそもそも自分を律するものであって他人に向けられるものではない。この誤解が正義忌避につながっているのであり、その結果自分を律することのできない人間が増えてしまった。何が正義か、それは各自が考えること。
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泉健太は立憲が一定勢力を維持し主導権を握れるうちに維新と合流して「第二自民党」を作るつもりなのではないか。そうなれば国民民主を吸収できるし、自公との間で右―右の二大政党化を目論んでいるように思える。さて、左派国民はどうしたものか。
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この人たちは人類社会の進展に伴う時代の自然な変化を「外国勢力による侵略」と見立て、日本を被害者の立場に位置づけ、その侵略から防衛しなければならないと主張する。まさに世界の「うねり」が見えない人たちだ。そこから生まれるのは単なる排外主義であり、日本の孤立であり、凋落でしかない。 twitter.com/HON5437/status…
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ここにも日本社会の見事な価値転倒が見られる。いつ妊娠出産しようとそれは個人の自由。女性教諭がいつ妊娠出産しても学校運営に支障がないように体制を整えておくのが学校設置者の義務であり責任なのだ。 twitter.com/DylsLv/status/…
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自分たち自身を貶めるこの言葉はあまり使いたくないが、残念ながら実態として日本の「衆愚」はもはや取り返しのつかないところまで来ているように思う。国全体が問題解決能力を完全に失っている。ただそれは結局我々自身が選んだことなのだから仕方がない。まさに日本人全体の自己責任なのである。
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マスクをするしない、ワクチンを打つ打たないは自分で決めればいいこと。他人に左右されることではないし、他人に強要することでもない。
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大学まで稼がなければならないなんて、これも一つの学徒動員ではないか。そこまで日本は困窮しているのか。
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件の早稲田の教授、ついに原爆の被害は大したことではないと言うまでになってしまった。左派・リベラル嫌いが拗れるとここまで行くのか。
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野党には経済政策がないというクリシェはよく見るけれど、手厚い教育と福祉政策こそ、最大の経済政策だろうと思う。
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今の日本の問題は、この民主制を捨て貴族制へ向かおうとする動きを止める力があまりに弱いということだ。最も鋭く対立するべき労働界は完全に貴族制になびき、マスコミも言論界、学界も今や多くは貴族制の側に立つ。政党も維新、国民は言うまでもなく、立憲も貴族制と民主制の間で逡巡している。
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リベラルというのは実際には厳しいものだと思っている。そんな皆が皆温かく迎えてくれるはずもない。嫌われ、叩かれ、非難される自由も認めなければならない。それでも潰れない強さがないとリベラルを維持することは難しい。
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自分の正義を押し付けたい人はわんさかいるけれど、その正義に普遍性がなければ、ただの面倒な人というだけの話。それが権力を持ったら面倒では済まない。正義を持つなというのではない。普遍的な正義を持てということ。
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反マスク派が街頭演説していたけれど、この問題ってそんな肩肘張って議論することなのだろうか。公共の場で着用を求めることには合理性があるのだから原則従うべきだと思うが、どうしてもしたくないならしなければいいだけではないか。そんなに「世間の目」が気になるのだろうか。
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色々なことを考えるきっかけになる事件・事故は相次いで起こるけれど、考える作法のできていない社会では誰も正しく考えることができないし、従って問題は何も解決せず、同じ悲劇が幾度も繰り返されることになる。
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自民党政府が行おうとしている軍拡はアメリカとの同盟関係を守るために国民を犠牲に供することも躊躇わずというものであって、決して国民生活の安全・安心を守るものではないということにどうして気づかないのだろう。
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ゼレンスキーがもしも仮に中国の国会(全人代)で演説する機会があったら、満洲国やその後の中国侵略を引き合いに出すだろう。
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個人にはそれぞれ不可侵の領域というものがある。その当人の許可なく何人も触れてはならない領域である。例えば、思想、信仰、性的志向、体質、病歴、プライベートな人間関係・消費・移動・居所等々。マイナンバーシステムはこうした個人の不可侵の領域へ国家が土足で踏み込むことである。
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人類はこれまで「今より豊かになる」という希望を原動力として歴史を切り開いてきたわけだが、前世紀の終わり頃から「もうこれ以上豊かになれないのではないか」ということに薄々気づき出し、かといってそれを素直に受け入れることもできず、残された資源をいかに分取るかの争いが始まろうとしている。
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難民は難民を出す国の責任、どうして日本が受け入れなければならないのだというツイートを見て、今さらだが人間として心は痛まないのかと情けなくなる。その国の政府に責任があるのは当然。だが、それを言っても今助けを求めている人は救われない。イエスでなくとも「誰が隣人か」と問いたくなる。