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どこの国の人であろうと、困っている人に最低限度の生活を保障することがなぜ気に入らないのだろう。もちろん保障には限度があるし、不正受給は端的に詐欺なのだから告発すればいい。しかし、可能な限り支援を行う、そのために税金を納めるというのは人間として当然のことだと思うが。
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このままではいつの間にか気がついたら世界戦争になっていたとなりそうだ。毅然と戦争をやめろ!と言う国は現れない。
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日本は個人より組織、国民より国家を当然のように優先する社会だから、患者より医療体制を守ることが優先されることに驚きはない。個人と社会は決して調和するものではないが、せめて両者が拮抗するところまで個人が力を持たないと、いつまでも個人が組織、国家、社会の犠牲となる状況は変わらない。
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Colaboに対しては公のもう少し大きな組織が支持なりせめて懸念なりのコメントを出すべきではないか。例えば政党、弁護士会、福祉団体、関連学会など。このままでは相手方のやり放題になる。
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どうもリベラルというのは何をやるのも自由、何を言うのも自由、あらゆる自由を認める立場だと思っている人がいるようだが、リベラリズムが求める自由は誰にも左右されることなく自らの意思で自らを律する自由なのであって(「自由の秩序」井上達夫)、決して無規範に自由を許すわけではないのである。
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日本を正しい軌道に戻して、主体的で持続可能な発展社会に変えていくには、国民の知的レベルを実質において高めていかなければならない。今の教育では質的にも量的にも足りない。高等教育が科学技術系に傾くのは時代の要請だろうが、それなら高校までに人文系の基礎をしっかり育てなければならない。
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いっそのこと、日本を大日本帝国憲法支配地域と日本国憲法支配地域の2つに分けられたらスッキリするんだろうな。
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自民党政府の言う「政治的公平性」というのは、自民党の悪口は言うな、どうしても言いたいなら最低でも同じだけ野党の悪口も言えという、しょうもない幼稚なものだ。
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なぜ政治は真面目でなければならないのか。それは政治は他人の人生に関わるからだ。自分だけのことならヘラヘラしようとチャラチャラしようと自由だ。しかし、人には人それぞれ計り知れない事情があるのだ。政治はそれらすべてを汲まなければならない。だから必然的に真面目にならざるを得ないのだ。
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立場上上の言うことに従っているという人が、内心で本当に思っている通りの行動をしたら、それだけで日本は今とはずいぶん違う国になるだろう。
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武力より知力の方が信頼できると思える人をもっと増やしていかないと。いつも言うように、自衛のための最低限の武力を否定はしないと付け加えておくが。
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もうここらで真剣に、日本人全体の本当の知性を数段アップさせないと、間違いなく日本は滅んでしまうだろう。
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アノミー(無規範)となった社会で唯一信頼できるものは金だとなるのは当然だ。他方でやはり人は確固たる信念体系にすがりつきたくなるもので、そこにカルトが入り込む余地がある。西洋にはキリスト教という回帰点があるが、日本にはそのような回帰点がない。金かカルトかにすがりつくしかない。
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男も女も、老人も若者も、健常者も障害者も、日本人も外国人も、すべての個人は対等平等だという意識を皆が持てなければ、民主主義は成立しないし、人権も守られないし、嫌悪と憎悪が渦巻く差別社会しか生まれないだろう。競争だってその上で行われなければ向上の契機にはならない。
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護憲派は現在の憲法を一字一句変えずに(旧仮名遣いを新仮名に、各条文に見出しをつけるぐらいの手を加えて)、「憲法改正案」として発議し、国民投票を経れば「押し付け憲法」という批判は封じることができる。
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日本会議や神道政治連盟は一応日本文化の中にその根拠を持っている保守・右派団体であり、日本の保守政治に一定の影響力を持つこともやむを得ないとは言えるが、統一教会は外国の宗教団体で、どうしてそれが政権党を事実上支配できるのか、まったく理解に苦しむ。やっぱり集金力の違いなのだろうか。
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政治というものは個別利益の奪い合いではなく、普遍的価値の創造(の競争)であるべきなのに、日本の政党はどれも狭い団体の利益代表にすぎず、どの政党も普遍的・全体的視野を欠いているから、結局相対的多数の個別利益だけが実現し、いびつで歪んだ社会にしかならないのだ。
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小西発言はいただけないけれど、別に違法なことをしたわけではないのだから、高市と同列に論じることはできない。泉党首は放送法追及の時も小西議員らを支えなかったが、今回もあっさり更迭。立憲はバラバラで野党としての品格がない。
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民衆には「数」という力があるのに、日本はそれを活かせていない。リベラルの中には人と「つるむ」ことを酷く嫌う者が少なくない。しかし、数で動くというのは「つるむ」とは違うと思う。馴れ合うのではなく、同じ目的を掲げてあくまで個人として連携して行動する。そういう運動が生まれて欲しい。
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Twitterを眺めていると、これからも「普遍」、「正義」、「規範」を問い続けていかなければならないということを確信する。
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要するに、アメリカのネオリベ・エスタブリッシュメントの思想の受け売りであって、そこには何らオリジナルなものはなく、これもまた一種の「出羽守」に過ぎない。
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今の日本の政治経済社会を横断する様々な問題の多くは、長年政府が問題解決に真剣に取り組まず、ずっと問題の先送りをしてきた結果だろう。あまりにも多くの問題が累積し、複雑に絡み合っているので、もはやこれを解決できる人は、日本人の中に誰もいないのではないか。
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日本には日本国憲法という立派な国家の指針があり、政府がその理念を誠実に履行すれば世界に伍して恥ずかしくない国になれるのに、言うまでもなく自民党政権にその気はないから、糸の切れた凧のようにただ世界を浮遊するだけの国になってしまった。
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政府の言う「丁寧に説明を続けていきたい」というのは、「絶対に変える気はないからな」という意思表示。
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台湾の裁判所は同性婚を認めない日本の法律は「公序良俗に反して無効」という判断をしたけれど、日本がこのままだと他の分野でもこういう判決や判断が増えていくだろう。