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「人間の尊厳は不可侵である」というドイツ憲法第1条の冒頭の言葉こそ、我々も身に着けなければならない人類共通の理念だと思う。老人にも若者にも、女性にも男性にも、障害者にも健常者にも、外国人にも日本人にも、同性愛者にも異性愛者にも全く同等の尊厳がある。
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日本の軍備拡張は精神安定剤以上の意味はない(精神安定剤としての意味はある)。ただし、非常に高価な薬だから、日常生活が圧迫されることは覚悟しなければならない。
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必要な再分配を行うために相対的に大きな政府を作るには税収の確保が避けられないが、それは担税能力に比例して課税すればよいことであって、消費税の減税を否定する理由にはならないだろう。
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日本政府には昔も今も、常識は通用しない。
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安倍がまだ総理でなくてよかった。
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本当に左翼でなくていいから、日本のドメスティックな限界を乗り越えて、世界標準のリベラル・デモクラシーの政治を行える政治家が現れて欲しい。そういう政権であれば、左翼は批判をするにしても、敬意をもって批判することができるだろう。
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NHKてここまで堕落しているのか。もはや政府情宣機関でしかないのではないか。このゾッとするほど気持ち悪いイラストの顔、一線を越えている気がする。 twitter.com/unbonvinblanc/…
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夫婦別姓や同性婚を制度化すれば確かに社会は変わるが、それはそれだけ個人の自由の幅が広がる、多様性を認める豊かな社会に変わるということで、もっともっとその方向に社会を変えていかなければならない。
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天皇は元首にして国政を総覧し、内閣は議会に責任を負わず、臣民の人権は政府が許す限度でしか認められず、臣民は天皇に忠を親に孝を尽くし、妻は単独で法律行為をなし得ず、男は兵役の義務を負い、戦争となれば天皇のために命を捧げなければならない。本当にこういう国に戻りたいのだろうか。
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公的支援を受けている団体や個人は反権力的言動をしてはならないという考えは、意識が十分近代化されていない人の耳には入りやすい。しかし両者には何の関係もなく、いかなる個人や団体にも権力を批判する権利はある。
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「それってあなたの感想ですよね」というのは、実は小論文指導の際によく使うフレーズだ。結論は出ているけれどその論証がない、または不十分であるというときに指摘する定番のコメント。論文は結論を論証する文章なのだから当たり前だ。しかし、日常の対話で求めることではない。
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バイデンが岸田に感謝の意を示し、ぜひ日本を訪問したいと言っているらしいが、これはちょっと気になる動きだな。
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成田某の発言が問題なのは、まともな政府があれば「馬鹿なこと言ってんじゃないよ」と一笑に付せるけれど、現在の政府だと本当にやりかねないからだろう。
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気がつくと日本から善が消えている。人間の本質は悪であり、世界は悪によって支配されている。表向きの善は悪を隠すための仮面に過ぎない。全ての善は偽善であり、善を言う人間こそ最も邪悪で警戒するべき人間だ。これが日本社会のデフォルトになっている。さて、どうしたものか。
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大阪万博の公式キャラクターを見て、ああこれは極一部の人だけが内輪で盛り上がるイベントで、多くの人に喜んでもらおうという考えは初めからないのだなということを想像する。
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「反省すべきは反省する」って当たり前のことで、反省すべきを反省しなければ非難されるが、反省すべきを反省しても何ら褒められない(カントの完全義務)。
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かつて大江健三郎は核戦争の被害想定を綿密に行った科学者を「グロテスクだ」と言った。何千万人という死亡者の中に自分を含めていないことは明らかだからだ。今核共有だの非核三原則の見直しだのと言う者も、核兵器により苦しみの中で死んでいく人々の中に自分を含めてはいまい。まさにグロテスクだ。
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日本の経済が回復しないのは経済政策がまずいのではなく、国民の能力を育てない教育と、その能力を引き出したり活用したりできない企業の体質の問題だろう。
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男も女も、大人も子供も、日本人も外国人もすべての個人が、自らの規範に従い、自分の人生は自分で決める、誰の支配も受けない、誰も支配しない、対等で自由な意思でその都度の関係を結ぶという生き方ができるようになれば、社会の姿は大きく変わるだろう。そういう生き方と世の中を目指したい。
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日本の政治が話にならないのは、本当は「アメリカには逆らえないのだ」「財界の〇〇が言うから」「〇〇省の都合で決めたことだし」「〇〇の顔を立てないと」で決めれていることが一切口には出されず、全て「国民の皆様の安心安全のため」でごまかされているからだ。
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自分と異なる意見に出会うと「押し付けられた」と被害妄想するのはその人に主体性がないから。そのくせそういう人は自分の意見を押し付けていることに鈍感である。
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学生の頃、未来永劫変わりそうにない自民党一党独裁にうんざりしていた時に、友人に連れて行かれた新宿の「ともしび」で、ああこんな日本にもこういう人々がいるのだと、本当に生き返る思いがした。我々の世代は今同じような思いでうんざりしている人々に、希望の灯を伝える責任があると思っている。
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相次ぐ最高裁の酷い判決や、明白な違法行為に対する検察の不起訴は法の番人であるべき国家機関が正義を放棄しているということだ。ただ、我々国民の側も正義の実現・実行の意識は弱い。しばしば見られる正義に対する冷笑的姿勢を改めないと、最高裁や検察庁を糾弾することは難しい。
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自己責任というのは本来「自分の歯の痛みは誰も代わってやることはできない」という意味なのであって、自己責任だからといって冷たく突き放すのではなく、自己責任を代わることはできないから、せめてお互いできることで助け合おうでなければならない。
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趣味とか好き嫌いとかの話ではなく、道理に合わない判断は結局失敗に終わるということで、それは政治においても同じだ。アベノミクスが失敗したのは道理に合っていなかったからであり、モリカケサクラが批判されたのは道理(法理)に反していたからだ。道理に反する政治は多くの人を不幸にするのだ。