801
政治というのは、嫌でも敵対する相手にも利益を分かち与える行為。そうしなければやがて社会は破綻し、自分たちの利益の基盤も失うことになる。社会の幼児化は分かち合いをますます困難にし、破綻を自ら引き寄せることになる。
802
成長しないと倒れてしまい、資源の浪費と環境の破壊と格差の拡大しかもたらさない資本主義経済をいつまで続けるのだろう。いや、いつまで続けられるのだろう。
803
自由を徹底すれば平等が壊れるし、平等を徹底すれば自由ではなくなる。だから自由も平等も相手のために譲歩する必要があり、完全に自由で平等な社会というものは諦めなければならない。しかし多くの人が許容できる不自由・不平等を最低ラインとして、自由と平等を最大化していく努力が政治の役割だ。
804
そんな狂ったように反共、反共と叫ばなければならないほど、日本共産党に社会的影響力なんてないだろうに。
805
この狂った世界で正気を保つには、先人の優れた知恵の支えが必要だ。世界が狂うのは今に始まったことではなく、枢軸の時代以来、その度に洋の東西に知恵の人が現れ、狂った世界を正しい軌道に戻そうと努めた。もし自分も正気の側に立ちたいと望むなら、こうした知恵に学ぶ以外に方法はない。
806
貞観二年、太宗は魏徴に「何をもって名君、暗君というのだろうか」と質問した。
魏徴は次のように答えた。
「名君が名君だといわれる訳は、衆人の意見を博く聞くということです。暗君だといわれる訳は、偏って信用するということです。」(『貞観政要』巻一君道第一第二章、石見清裕訳)
807
政治家の息子たちの愚行を見ていると、自分は世界の中心ではないこと、世界を自分の思い通りにしようとしてはならないこと、他者とは力ではなく対話で関係を築くべきことは、親が子供にきちんと教えなければならないことだと改めて思う。
808
日本経済を再興するには企業にじゃぶじゃぶ金を出すことではなく、国民一人一人の能力を高めるしかない。最先端の知識を与え、思考力・判断力・実践力を育て、特定分野に偏らない幅広い教養を身に着け、民主主義社会の主体として自立して行動できる国民を一人でも多く育てるしかない。
809
帝京大の教授の一件を見ても、元々「規範のない国」の馬脚が現れたという感じで、一皮剥いたらどこもかしこもこんな連中で溢れているということだろう。規範を守るというのは一種の痩せ我慢だけれど、その我慢をしなくなれば社会は内から崩れていく。
810
政府が国民を信用していないから、国民も政府を信用しなくなる。国の中に相互不信が蔓延し、信じられるのは金だけだということになり、それがまた人への不信を増長させ、日本の国力衰退の負のスパイラルを生んでいる。野党には何としてもこの悪循環を断ち切って欲しいのだ。
811
個人が私欲で生きることは何ら責められることではないが、政治という公の世界は私欲の実現の場であってはならない。政治に参加するということは私欲をいったん脇に置いて、公のつまり社会全体の利益を創造することである。政治もまた私欲実現の手段となれば、社会が溶解していくのは目に見えている。
812
「バカであること」が高い価値として評価される社会では、皆競ってよりバカになろうとするのは当然のことだ。
813
人の本性は善か悪かというのは不毛な議論で、善にせよ悪にせよいつどういう形で現れるか分からないのが人間というものだ。だから人を考えるときには、常に悪を警戒するとともに善を信じなければならず、どちらか一方では必ずうまくいかなくなる。
814
日本には個人の尊厳を守る法律がない。パワハラを受けない、人格を否定されない、容姿や性格、能力、出自についてみだりに言及されない、性的な目で見られない等々。こうしたことは個人の尊厳として守られるべきだ。
815
結局、リベラルは思想の流行り廃りなどとは関わりなく、すべての人の自由と人権が保障される理性的で進歩的な社会の実現へ向けて、愚直に粘り強く発言を続けることが大事なのだと思う。世の中は一気には変わらないし、時に後退することもあるのだから。
816
中島岳志氏の言う「個人の理性には限界があるから歴史の中で鍛えられた先人たちの集合的理性から学ぶべきである」という「保守」の定義には全面的に同意する。ただその「先人たち」を日本人に限定する必要はないだろう。世界中の「先人」から学べばいい。それを日本に限定するから保守が守旧になる。
817
プーチンによる核の使用→第三次世界大戦→全面核戦争→人類滅亡の直前まで来ているというのに、まだまだ世間は呑気なものだ。
818
日本が外国の支配を受けることがあるとすれば、それは軍事的な支配ではなく経済的な支配だろう。国防というと軍事力の増強しか頭にない人が多いが、経済力特に産業の力の衰退の方がよほど日本の未来を危うくしている。未だ消えない日本の経済力への過信が現実を見えなくしている。
819
明治以降の上っ面だけの近代、上っ面だけの資本主義、上っ面だけの民主主義がいよいよどうしようもないところまで来てしまったのだ。中身のない社会だから拝金主義だけが跋扈する。何のための経済、何のための政治、何のための社会なのか。その根本の価値がすっぽりと抜けているのだ。
820
日本にはドイツ社会民主党のような政権担当能力もある息の長い中道左派政党がどうして作れないのか。個々には熱心に活動する個人がいても、層としてまとまらなければ保守・右派への対抗力にはなれない。中道左派層をどう形成すればよいのか。ここでいつも答えに詰まってしまう。
821
世界は厳しい競争の上にあり、力がなければ勝ち残れない、力こそ正義だ、というのは間違いではないと思う。ただ、力というと腕力や暴力やがむしゃらな体力しか思い浮かばないならこの競争に勝ち目はない。現代社会においては経済力も軍事力もそれを支えるのは知力なのだから。
822
教育や福祉の予算が削られていくのは、社会の中でそれらの果たしている意義が理解されていない(つまり票にならない)からだ。しかし、教育や福祉の充実が経済発展を含む豊かな社会の実現に不可欠なのだという認識が広がらなければ、いつまでも心の貧しい人間が跋扈する状態から逃れることはできない。
823
このところの右派ポピュリズム政党の簇生や、統一教会による侵食、さらに「ひろゆき現象」には通底する問題があると思う。これらは生体でいえば免疫力の低下による日和見感染のようなものだろう。つまり社会や政治が健全さを保つ能力を失っているということだ。生体ならかなり危険な状態だ。
824
そもそも日本の植民地支配、慰安婦問題、戦場での残虐行為等々について、ぼく自身はまったく「恥ずかしい」という思いがないので、それを隠蔽したり歪曲したり修正したりする必要性を感じないのだ。日本無謬論にも神聖論にも立たないし、帝国主義的支配と戦争の人類史上の一コマに過ぎないのだから、
825
確かに「人様には迷惑を掛けるな」ということの隠れた真意は「人様に迷惑を掛けられたくない」ということだろうな。